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何とも見苦しい
集団ヒステリー状態の

マスコミと自民党D
青山貞一
掲載月日:2012年4月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo

        

 ところで、集団ヒステリー状態にあるのが今の日本のマスコミと自民党議員である。それも半端でない集団ヒステリー状態だ。

 マスコミも自民党もさらに第二自民党と貸している民主党の松下政経塾内閣は、極限まで品性が劣化している。

 世界の笑いものになっている。おそらくこんなマスコミや自民党議員をそのまま放置していて良いわけがないだろう。

 ここでは日本のマスコミや自民党議員が行ってきた星の数ほどある小沢氏に対する名誉毀損行為に対し、とるべき法的手段について示したい。

 以下に関連部分を示す。これらはいずれも親告罪であるので、まさに刑事告訴からはじまることになる。

◆刑法の名誉毀損、信用毀損、侮辱

 最初は、刑法 第34章、名誉毀損に対する罪である。

第34章 名誉に対する罪
(名誉毀損)

第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

(公共の利害に関する場合の特例)
第230条の2 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。3 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

(侮辱)
第231条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

◆民法の不法行為による損害賠償
 
 刑法の名誉毀損に対する罪の次に想定されるのは、民法の「不法行為による損害賠償」そして謝罪広告請求であろう。以下に民法の関連部分(第5条)の一部を示す。

第5章 不法行為
第709条 故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任ス

第710条 他人ノ身体、自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ハス前条ノ規定ニ依リテ損害賠償ノ責ニ任スル者ハ財産以外ノ損害ニ対シテモ其賠償ヲ為スコトヲ要ス


 次に上記の刑事告訴及び不法行為の成立条件について述べる。

◆名誉毀損罪(刑法)及び名誉毀損による損害賠償(民法)の成立条件

 刑法及び民法の名誉毀損が成立する条件を法理及び判例から見てみよう。この場合、民法における名誉毀損における不法行為による損害賠償、謝罪広告などは、刑法における名誉毀損の成立条件と密接に関係する。

 そこで、まず刑法における成立条件について見てみよう。

 刑法230条の2第1項によれば、仮に被告側に名誉を毀損に相当する表現があっても、

 第一に、それが公共の利害に関する事実に係るものであり、
 第二に、その目的がもっぱら公益を図るものであり、
 第三に、当該事実が真実であれば、


処罰されないことになっている。

 このうち、第一と第二の要件については、

 一般の場合(同条1項)、処罰を免れるには、「公共の利害」、「公益目的」、「真実性」のすべてを被告人が立証しなければならず、いずれかの立証に失敗すれば230条1項の原則に戻って処罰されることになる。 過去における裁判では真実性の証明に多くの場合、失敗している。

 まず、新聞、テレビの小沢報道がその報道内容に広義の意味で公共・公益性があることは言を待たない。

 それは小沢氏が国会議員であり、民主党の元代表であり、元幹事長であることからも、その小沢氏に関連する事項は、間違いなく公共、公益性があると解されるからである。

 メディアによる小沢報道における名誉毀損上の最大の関門は、三つ目の「真実性」の証明ということになる。この場合、この「真実性」がどの程度まで厳格に要求されるか課題となる。

◆真実性の証明における「真実性」と「相当性」

 法的に見て、通常、ある「事実」が「真実」であることを完全に証明することは、実際問題として不可能か、著しく困難であるといえる。

 であるから、真実の証明を厳格に報道機関に要求し、真実の証明がなければ処罰する(あるいは損害賠償責任を課する)ということになると、一般論としては、マスコミ、ジャーナリズムなどの表現活動は著しく萎縮させることになることは確かである。

 つまり、マスコミ、ジャーナリズムなどの表現活動をする者(表現者)は、刑罰や損害賠償をおそれて、その真実性に少しでも疑いのあることについては、発表しなくなる可能性が強くなるからである。

 こうした現象を自己検閲と呼ぶが、この傾向は、テレビや新聞のように、速報性が売り物であって、そのため事実関係の確認にあまり時間をかけられないメディアの場合には特に顕著となる。

 実は、われわれが通常「真実」であるといっているものは、真実であると信ずるに足るだけの資料・根拠に基づく情報である、ということを意味している。

 ここでは、真に客観的に「真実」であるかどうかまで問題にしているわけではない。これを「真実性」に対し「相当性」と言う。

 もし、そうだとすれば、刑事、民事を問わず名誉毀損裁判の場合にも、客観的に真実であることまで要求せず、真実であると信ずるに足る根拠があれば免責される。もし、相当性が証明できれば刑事事件の場合には処罰されず、民事でいえば損害賠償責任を負わないと考えることができるのである。

 これによって「表現の自由」と「名誉の保護」との調和を図るべきとされており、我が国の名誉毀損に関する裁判はこうした立場をとってきたと言える。

 だが、今回の一連の数1000に及ぶ新聞、テレビ、雑誌などの小沢氏への誹謗中傷、また検察リークの垂れ流しでは、仮にマスコミが司法当局がそういったからと言っても、真実性あるいは相当性を示せなければ免責されず、通常、損害賠償、慰謝料、謝罪広告などの責を負うことになる!!

 さらに、三浦和義氏(ロスで死亡)が本人訴訟で勝訴したように、仮に共同通信、時事通信から配信された記事を掲載したからといって、それを掲載した新聞、雑誌、テレビの記事、報道は、免責されない。親ガメ、子ガメ、孫ガメいずれもが損害賠償の責を負うのである!!
 
 ちなみに三浦氏は本人訴訟で700−800の記事、報道に対して不法行為の訴訟を提起し、その70%で勝訴を得ている。

 上記は何も大マスコミに限らない、インターネット上で誹謗中傷を書きたい放題書いているブログでも同じである。通常、ブログは実名でなく匿名となっているが、執筆者不詳のまま刑事告訴や不法行為による民事提訴は可能である。

◆「反論権」について

 「公共性」、「公益性」、「真実性(あるいは相当性)」は、従来の名誉毀損の法理に照らした成立要件である。

 これに対し、安念教授(成城大学法学部教授、弁護士)は、上記の3点に加え、「反論権」と言う概念を提起する。これは政治家など公人に対する報道、マスメディアなど表現者の名誉毀損の成立条件をより厳しくするものである。

 要約的にこの「反論権」を説明すれば、首相、国会議員はじめ公人は、いつでも記者会見などを開き、反論する機会を有するので、憲法の表現の自由との関連にあって、刑法、民法を問わず、名誉毀損を安直に認めてはならないとする学説である。

 実際、この第四の観点は、多くの公人が提起した名誉毀損裁判において適用されている。


◆おわりに

 今までこれでもかと飛ばし記事やニュースを出してきた新聞社、テレビ局、通信社、雑誌社らは、今後、提訴される可能性はあり、その場合、真実性か相当性を明確に示さなければ、巨額の損害賠償を負うことになる。

 繰り返すが相当性は、司法当局がそういっていたではすまされない。もとより、その司法当局はかりにいくら情報を漏らしていても、漏らしていたとは言わない官僚である。しかも、その司法当局が調書などを捏造、改ざんしていたことが明らかになっている以上、そんないい加減な情報を公器に白昼堂々と書いていたマスコミの責任は免れないだろう。

 もちろん、小沢氏は刑事告発、民事損害賠償の訴訟を起こすより、民主党の立て直しに全力を挙げると思うが、だからといってこの3年間、マスコミがしてきたことは国民としても許せるものではないだろう。

 この論考の最後に、小沢一郎問題を継続的にフォローしてきたオランダのジャーナリストであり教授のカレル・ヴァン・ウォルフレン氏(アムステルダム大学教授)の論考を以下に掲載する。

◆小沢批判を18年続ける日本メディアをオランダの大学教授が批判
  週刊ポスト2011年9月2日号

 民主党代表選が本格化する中で、またぞろ政・官・報から「反小沢」の大合唱が巻き起こっている。この“恒例行事”を、「日本の歪んだ民主主義政治の象徴である」と喝破するのは、長年にわたって日本政治を研究し続けてきたカレル・ヴァン・ウォルフレン氏(アムステルダム大学教授)だ。

 私は30年以上にわたって日本政治、そして日本と国際社会との関係を取材・研究してきた。その立場から自信を持っていえることは、現在の日本は、民主主義国家としての命運を左右する重要な転換期を迎えているということである。

 その最大のキーマンが小沢一郎氏だ。私は現在の日本政治において、本当の意味での改革を成し遂げられるのは彼以外にないと考えている。

 しかし、民主党の代表選がいよいよ始まろうとする中で、小沢氏に対して再び官僚や新聞・テレビメディアによる攻撃が強まっている。私は『誰が小沢一郎を殺すのか?』(角川書店刊)の中で、繰り返される「反小沢キャンペーン」が、いかにアンフェアで悪意に満ちた「人物破壊」を目的としたものであるかを論じた。

 もちろん他の国でも、政敵に対するネガティブキャンペーンはある。だが、小沢氏に対する攻撃は、1993年の自民党離党・新政党結成以来18年の長きにわたって続いてきた。これほど長期にわたって個人を標的にした「人物破壊」は世界に類を見ない。

 日本では少しでも小沢氏を擁護する発言をすると、大メディアから「小沢の犬」という評価を受ける。それ故に日本では、「小沢支持」を堂々といえる知識人が現われない。

 断わっておくが、私は1994年以降、小沢氏とはほとんど会っていない。むしろ、会った回数でいえば菅首相や鳩山由紀夫・前首相の方がはるかに多く、何度も議論を交わしており、政治的にも私は“小沢サイド”に立つ人間ではない。私が訴えたいのは、検察と大メディアによる小沢氏への「人物破壊」は、一政治家のスキャンダル報道にとどまらず、日本の民主主義を後退させるものであるということだ。

 私が昨年12月に日本に滞在した時、小沢氏を支援する一般市民が検察への抗議デモを広範囲に行なっていた。だが、新聞、テレビはそれを決して取り上げなかった。

 また、去る7月28日に行なわれ、約10万人がインターネットで視聴した小沢氏と私の対談も、大メディアは完全に無視した。その場で小沢氏は「官僚主導の政治から、政治家主導、国民主導の政治に変えなくてはならない」「その代わり、国民の代表である政治家は自分自身の責任で政策を決定、実行しなくてはならない」と語った。しかし、そうした重要な発言も、メディアが報道しなければ国民の政治的現実とはならない。

 逆に、些細な政治上の出来事が過大に誇張されて報道された場合、それは重要な政治的現実として国民の脳裏に焼きついていく。一昨年以来続けられてきた「小沢資金疑惑」の報道ぶりは、小沢氏が国家への反逆行為を起こしたとか、あるいは凶悪なレイプ犯罪をしたかのような暴力的な書き方だった。

 しかし、読者は新聞記者が書いた意見を、自分たちも持つべきだと思い込むようになる。強大なメディアはこうして情報を独占し、“政治的現実”を作り出して、国民世論に重大な影響力を与えてきた。

※週刊ポスト2011年9月2日号