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バルト3国現地調査 エストニア
パルヌ旧市街、歴史地区

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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【エストニア・パルヌ】 【ターリン歴史地区】
リーガからパルヌへ 旧市役所とラエコヤ広場
パルヌ・歴史地区 ドミニコ修道院と市博物館
【エストニア・ターリン】 聖ニコラス教会
パルヌからターリンへ リュヒケ・ヤルク通り
エストニアの概要 トームペア城と大聖堂
ターリンの概要 聖オラフ教会

●2010年2月20日(土) エストニアの海沿いの保養地、パルヌ

■パルヌ(Parnu)とは

 パルヌ(Parnu)は、エストニアの夏の首都と呼称されているように、夏ならリゾート地(保養地)でバルト海を望むビーチで保養となるところだが、何しろ極寒の2月、いたたまれない寒さで、それどころではない。

 そのパルヌは1154年、アラブ人旅行者の記録に最初に登場する。そのころはタルトゥ、ウィリヤンディなどエストニアの他の都市との間で河川貿易が行われており、その一大拠点となっていた。

 13世紀にドイツ騎士団にエストニアが占領された後、地政学上パルヌはバルト海貿易の重要拠点となる。ハンザ同盟にも加わる(ハンザ同盟とは参照)。

 その後、何度もまちは破壊されたため旧パルヌが新市街地の位置、新パルヌが旧市街地という奇妙な関係となっている。

 19世紀、このパルヌはリゾート地として発展、隣国のロシアや欧州諸国からも保養客が訪問し、たくさんのホテルも立地し、昔の元気を取り戻している。


夏のパルヌ  出典:資料画像

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  ところで滞在先ホテルで朝食後、エストニアのパルヌからエストニアの首都、ターリンに向かう。地図上の距離はせいぜい130kmほどのはずだったが、実際は180kmほど走ることになった。

 せっかくなので、パルヌの町も早朝に視察するが、何しろ外気はマイナス12度から14度ととんでもなく寒い。朝食後、パルヌ市街地を見学してからタリンに向かうことにした。かなり風が強く寒い。

パヌルではエリザベート教会、タリン門、エカテリーナ教会などを視察するが、あまりにも寒くうまく体が動かず、しかもデジカメのリチウム水素の電池が寒さですぐに切れてしまう。これはこの後、ターリンやフィンランドのヘルシンキでしょっちゅう遭遇することになる。

 何しろ少しでも風が吹くと居ても立っても居られなくなる寒さだ。東京から持参した手袋を2つ重ねてつけても、手がかじかんでシャッターが押せない。

 そこでパルヌではじめて、私だけが車から降り、写真を撮ってすぐに車に戻る「突撃方式」(笑い)を採用することになる。しかし、それでもこれを繰り返すとすぐに、電池が寒さで切れてしまうことが分かった。


■エリザベート教会

 まず最初はエリザベート教会だ。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 この教会は、1744年、ときのロシアの女帝、エリザベータがスポンサーとなり建築したことからその名が付いたとされている。赤い塔が目立つバロック様式の教会である。なかなか、かわいらしい。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 教会の内部には、キリストの復活を描いたオランダ製の祭壇がある。また1928年に設置されたオルガンはエストニアで最高のものとのことで、よくこの教会でコンサートが開かれるとのことだ。

 左下の車が私たちのアウディ A3の乗用車である。
 

 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010



■タリン門

 次は地域で有名なターリン門である。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 タリン門はその名とは異なり、エストニアの首都タリンにあるわけではない。

 タリン門は、バルト諸国の旧市街で17世紀以降に建設されて残っている唯一の門である。1710年までその門はカール・グスタフ門(又は 王の門)と呼ばれていた。

 タリン門から郵便道路を結ぶ橋があり、Rigni通りから船着き場に向かい、そこから、ヴァナ(Vana)-パヌル(Parnu)を経てターリンに通じている。

 19世紀、軍事要塞が撤去された後、門は二つの稜堡と堀とともに保存することが決まった。

 門の外観は、町の門であるKonungsporten門(王の門)に非常に似ている。それは、Dahlbergがナルバ(Narva)のために描いたものであるが、未完成のままで完成することがなかった。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 下はターリン門の内部。なかなか重厚だ。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 下は裏側から見たターリン門。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 一方、夏のタリン門は下のように緑も多く秀逸。


出典:WikiMedia English


■エカテリーナ教会

 さらに下はエカテリーナ教会(Jekateriina kirik, 英語でSt. Catherine's church)である。教会のすぐそばにサンクト・ペテルブルグという名のホテルがあることからも、エカテリーナはエカテリーナ2世( 1729年4月21日 - 1796年11月6日)、 ロマノフ朝の第8代ロシア皇帝。夫はピョートル3世が建てた教会である。

 教会の壁にあった解説を見るとこのエカテリーナ教会は1765年から1768年の間に建築されている。1764年、この地を通ったエカテリーナ2世が建て替えを命じてできた教会とのこと。


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010

 
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010


 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S10 20 Feb. 2010


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition