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第二次三陸津波被災地 現地調査
S補遺・宮沢賢治

青山貞一 東京都市大学大学院
池田こみち 環境総合研究所(東京都品川区)
掲載月日:2011年12月3日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

第二次岩手県・宮城県北部津波被災地現地調査(目次)
@調査の前提・概要   J岩手県大船渡市(再訪) 
A岩手県宮古市田老 K岩手県陸前高田市(再訪) 
B岩手県岩泉町 L宮城県気仙沼市(再訪) 
C岩手県田野畑村・普代村 M岩手県一関市「猊鼻渓」
D岩手県野田村・久慈市 N宮城県南三陸町
E岩手県北部リアス海岸 O宮城県石巻市大川小学校
F岩手県宮古市 P宮城県石巻市雄勝
G岩手県山田町 Q宮城県石巻市長面
H岩手県大槌町(再訪) Rまとめと提言について
I岩手県釜石市(再訪) S補遺:宮沢賢治 英文版
◆参考:第一次岩手県南部・宮城県北部津波被災地現地調査
◆参考:宮城県・福島県北部被災地調査(速報)

宮沢賢治のミッション・パッション・アクションを今に生かそう!
 
                        
青山貞一

 筆者(青山貞一)はその昔(40年ほど前)、花巻市にあった宮沢賢治の友の会に入会していた。

 第一次三陸津波現地調査では、せっかく花巻まで行きながら、宮沢賢治記念館に時間がなく行けなかったが、今回は新幹線を待つ1時間ちょっとの時間ではあったが宮沢賢治記念館を訪問することができた。

 
行ってみて分かったのだが、何の因果か宮沢賢治は何と明治三陸津波が起きた1896年(明治29年)に生まれたことが分かった。


出典:第一次調査時の新花巻駅舎にて


出典:第一次調査時の新花巻駅舎にて

 青山貞一や池田こみちの知人であり、友人でもある櫻井勝延南相馬市長は、物心ついたときから宮沢賢治を敬愛し、大学も岩手大学農学部(旧盛岡高等農林学校)に入学。卒業後、農業(酪農)に励んでいた。

 宮沢記念館では、ボランティア学芸員からいろいろ貴重なお話が聞けた。

 宮沢賢治は、理性、知性が高く、同時に、感性するどいことで知られている。
 
 賢治は、わずか37歳という短い人生にあって、いまに言う生態学や土壌学などの環境科学はもとより、信仰から童話などの文学、音楽、オペラ、絵画などあらゆる芸術を自ら嗜むなど、まるでイタリアのレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロなみの全人格的な能力を発揮しつづけた希有で秀逸な人間であることが、今更ながら分かった。
 
 あらゆる事柄が個別専門分化している今の世界にあって、賢治のように森羅万象にわたり興味、関心を抱き、同時にパッション、情熱を持って問題解決に奔走する人間が今こそ必要ではないかと思う。

 今回、第一次、第二次調査ともに、賢治のふるさとである岩手県花巻を拠点として、東日本大震災・津波の被災地調査を行ったが、もし、宮沢賢治が生きていたら、現状をどうみるか、大変興味深いものがある。

 今回まわった三陸海岸は、どれも個性があり自然、地形、歴史、文化と生活がそれなりに融合している場所である。
 
 私は昔から「特異な地形」をまちづくりに生かすことを重視してきた。今回訪れた場所の多くはまさに「特異な地形」がそこかしこにある場所である。

 内陸の遠野、花巻、平泉には、独自の歴史と文化がある。

来年定年を迎えるという小原松男船頭が歌う南部牛追唄
動画撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.11.20

 野田村にも塩の歴史、文化もある。食べ物も海、山ともに素材がたくさんある。

 東日本大震災・津波を大きなきっかけとして、ぜひとも私たちは東北地方を見直し、日本国民がもっともっと観光であれ何であれ、足を運ぶ地にしなければならないと思う!

 そして、このブログが、そのきっかけとなればと思う。

 
宮沢賢治

●宮沢賢治の優しさこそ東北の神髄

                          池田こみち

 宮沢賢治の生家はとても貧しかったという。37歳という短い人生の間に東北地方の凶作を何度も経験し、そのたびに苦しむ農家を救いたいという思いを募らせていった。家族や自分自身の病気、日露戦争なども賢治の人生に大きな影響を及ぼしている。

 こうした辛く厳しい経験は、貧しい人や小さな生き物にやさしい賢治の性格を育んだのだ。農業化学の専門家として土壌の改良に取り組み、農家を指導した一方、野の花、昆虫などを愛し、多くの心優しい歌や詩、物語を残し、夢を語った。

 賢治のふるさと、花巻市の辺りの東北弁はとてもリズミカルでやさしい言葉なのだそうだ。今では純粋な方言を話せる人も少なくなっているようだが、それぞれの地域で、地元の言葉で、地元の物語を語り継ぐひとを育てることも大切な事業ではないだろうか。

 花巻市の隣の遠野市では、課外授業として地元のお年寄りが語り部の伝授をしているという。子どもたちが地域の歴史や文化に愛着と誇りを感じることができてこそ復興の一歩が始まると思う。