エントランスへはここをクリック   

グアム現地総合調査


参考・グアム島と沖縄3
JapanTimes 枯葉剤報道第11弾
ジョン・ミッチェル

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2019年1月24日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 
無断転載禁

グアム島全体目次

グアム島と沖縄1   グアム島と沖縄2   グアム島と沖縄3

 軍の除草剤使用の研究を主導するラルフ・スタントンは、1969年から1970年にこの島に駐留した期間に自身も被曝しており、この出来事についての政府版の発表に懐疑的である。「国防省は米国に戻ったドラム缶の記録を持っていない。だから、彼らの発表は神話か虚偽だと思う。1950年代、船舶輸送コストは除草剤よりも高く付くものだっただろう」。

 最初の在庫の行方とは関係なく、スタントンの調査で明らかになったのは、1960年代から70年代、米国がヴェトナム戦争に関与するにつれて、軍用除草剤は定期的にグアムで散布され、島を経由して東南アジアに向かい、敵地の食糧収穫や身を隠すジャングルを枯渇させる目的で大量に使用されたということである。

 ヴェトナムだけでも、赤十字の推定で300万の人々が今なお、この薬剤の影響による病状に苦しんでいる。 1970年代初頭に第43輸送部隊でグアム任務に就いたエドワード・ジャクソンによれば、これらの除草剤はよく目にするものだったという。「アンダーセン空軍基地にはエージェント・オレンジやその他の除草剤の大量の在庫があった。

 何千ものドラム缶があった。海上輸送のため海軍基地によく運んだよ」と、ジャクソンはジャパンタイムズ紙に語った。

 これらの薬剤の毒性について知り得ている現在では、兵士たちは防護服を着て作業に当たっただろうと想像しがちである。だが軍と製造会社は何年もその危険性についての調査を抑え込んだ。「エージェント・オレンジは歯磨きに使っても大丈夫なくらい安全だと言われた」、スタントンは語る。

 これら除草剤の取扱いだけでなく、処分もいい加減に行われた。ハンビー飛行場(現在の北谷町)、嘉手納空軍基地と海兵隊普天間飛行場に埋却したと元兵士が主張している沖縄と同様に、グアムの元兵士も同様の慣例に従ったと語っている。

 ジャクソンによれば、除草剤のドラム缶は輸送中に破損することもあったので、アンダーセン空軍基地に放棄した。「トラックを、太平洋に落ち込んでいく小さな崖までバックさせた。私は自分で25本は捨てた。ドラム缶は殆ど空のものから、満タンのものまでいろいろあった」とジャクソンは説明する。

[写真キャプション]猛毒の遺産:
 米空軍退役兵のリロイ・フォスターが2010年、生まれて間もない彼の孫娘を抱いている。生まれたとき手と足に12本の指があり心雑音もあったが、この障がいは1960年代末に彼がグアムでエージェント・オレンジ被曝したことが原因だと考えている。写真提供リロイ・フォスター。

 1990年代、米政府はこの手法を摘発しジャクソンがドラム缶を投棄した場所の環境調査を実施したところ、非常に深刻な汚染が発覚し環境保護局(EPA)による緊急浄化のリストに加えられた。

 この小さな島全域にわたって100カ所の同様の汚染地が確認され、一カ所の土壌からは1万9000ppm(認識されている安全値1000pptと比較されたい)のダイオキシン汚染も見つかり、この地球上でもっとも汚染された土地のひとつになった。住民をさらに驚かせたのは、これらの場所の多くが、島の飲料水の供給源である北部のグアム帯水層に近接していたことだった。

 2007年、グアム大学元教授のルイス・サイフレスは、島民は「事実上、あまねく場所で虹色の除草剤の霧のなかで」生活していたと警告する。グアム住民における鼻咽頭(上咽喉)癌と糖尿病罹患率の急激な上昇が、彼の推測に根拠を与えているようである。

 今日、米政府は島の汚染地域の大半を浄化し終えたと主張している。だがグアム大学準教授のリサ・ナティビダードはこの点について確証できないと見ている。「彼らの浄化されているという定義は不正確であることが多い。そのため独立研究者に依頼して国の主張を検証する必要がある」、彼女はジャパンタイムズ紙にそう語った。

 だが、グアムの人々は沖縄住民と比べれば幾分ましなほうだ。米軍のダイオキシンで汚染されてきた島の土壌と水の状態について故意に無視を決め込まれているのが沖縄だ。

 繰り返し、日米両政府は島におけるエージェント・オレンジ汚染の調査要請を拒絶している。よく知られるところでは2011年11月、ヴェトナム戦争中にエージェント・オレンジを大量に保管していたと指摘するジャパンタイムズの報道を受けて、名護市住民がキャンプ・シュワブ付近の環境調査を求めたことがある。

 闇に葬られ、現在沖縄に暮らす人びとは、島の基地で暮らす米兵とその家族もそこには含まれるが、汚染の可能性について思案するしかない。普天間飛行場は、グアムにおけるアンダーセン空軍基地との共通点から特に関心を持つべきだ。双方の駐留地は60年以上にわたって軍に使用され、軍用機が問題なく操縦できるようにと、エージェント・オレンジに限らず、危険な薬物が日常的に垂れ流されてきた。

 アンダーセンのEPA報告書は、鉛、PCB、ヒ素を含む32種の「懸念すべき汚染源」を明らかにしている。普天間は、アンダーセン同様、網状に広がる洞穴と地下水源の上にある。さらに憂慮すべきは、アンダーセンは人口密度の低い地域にあるが、普天間は9万4000人の人口を擁する宜野湾市の混み合う中心部に位置している。

 普天間閉鎖をめぐる論争は16年にわたって続き、米日関係を緊張させ、沖縄の人びとは試練に耐えている。だがアンダーセンとの比較が正しければ、閉鎖後も普天間の浄化には数十億ドルが必要となるだろう。日米地位協定は環境浄化に関する資金負担を全額日本の納税者に負わせている。これほどの金額がかかるならば、東京が、普天間閉鎖について長期に及んで解決の糸口も見えないままに放置してきたことは、さして不思議ではない。

 グアムと沖縄の運命は、数千人の米海兵隊員の移駐という、太平洋を舞台とする「ゴーディアスの結び目」に絡み取られてきた。ナティビダード准教授は、この計画でグアムの指導者たちはペンタゴンに島の汚染地域の完全閉鎖を要求しにくくなったと考えている。

 「前知事は再編計画を危うくしてはまずいと、ワシントンで波風を立てることを恐れていた。現在の知事はもう少し自信を持っているが、彼が許可を求めてワシントンに圧力をかけても、汚染地域は浄化されていますとの回答が文書で届いただけだった」。

 アメリカがグアムと沖縄にエージェント・オレンジを持ち込んだ理由は、過去の冷戦に根ざしていることが今日では明らかである。だが、ふたつの島におけるこれら有毒物質の存在を認めようとしないワシントンの拒絶は、ますます信じ難いが、それは、21世紀におけるこの地域の軍事戦略という網の目にきつく編み込まれて起こっているのである。
「私たち退役兵は米日間の政治的駆け引きの捨て駒になってきた」と元空軍曹のジャクソンは言う。「私たちは死を待つ軍隊なのです」。

 エージェント・オレンジについて更に詳しい情報は、ラルフ・スタントンの総合的なウェブサイト[http://www.guamagentorange.info/]を参照されたい。今年5月に琉球朝日放送はジャパンタイムズが報道してきた沖縄におけるエージェント・オレンジ問題に焦点を当てたドキュメンタリー「枯れ葉剤を浴びた島」を放送した。日本民間放送連盟のドキュメンタリー賞にノミネートされ、最終選考結果は9月に発表される予定である。感想とご意見はcommunity@japantimes.co.jpまでどうぞ。


グアム島全体目次