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   東南アジア最後の秘境 ミャンマー

バガンの概要
Overview of the Bagan

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2016年8月4日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
(77) バガンの全体地図  (78) バガンの概要  (79) バガンの歴史(1
(80) バガンの歴史(2)  (81) バガン王朝とは(1)  (82) バガン王朝とは(2)


バガンの概要

 昔はパガンと呼ばれていたバガンは、ミャンマーのマンダレー地域に位置する古都です。9世紀から13世紀にかけて、このまちは、パガン王朝の首都でした。

 パガン王朝はこの地域を統一した最初の王国であり、後に近代ミャンマーを築くことになります。11世紀から13世紀の間、王朝は絶頂期を迎え、この間に、1万を超える仏教寺院、仏塔、僧院などがバガン平原に建設され、そのうちの2,200の寺院と仏塔が現在も残っています。

 バガン考古学地域は、国の初期の観光産業にとっての中心的な観光資源(呼び物)となっていました。まさに、多くの人がバガンの魅力は、カンボジアのアンコールワットに匹敵すると考えているのです。


エーヤワデー川側から見たバガンの仏塔群  Source:English Wiki


◆バガンの地理

 バガン考古学ゾーンはオールドバガンを中心とした13km×8kmの範囲をさし、北はNyaung U、南はNew Baganを含み、イラワジ川の曲がったところ(蛇行したところ)に位置する上ビルマの平原に広がっています。マンダレーの南西290km、ヤンゴンの北700kmに位置しています。座標は、北緯21°10′、東経94°52′です。


気候

 バガンはビルマの「乾燥地帯」の中心に位置しており、北のShweboと南のPyayの概ね間の地域に当たります。また、年間雨量が2500mmを超えるような熱帯モンスーンの雨が降る沿岸域とは異なり、西側にあるRakhine Yoma 山地域によって雨が遮られているため乾燥地帯の雨は少なくなっています。オンラインで入手できる気候情報はバガンの気候情報と大きく異なっています。
[hide]Climate data for Bagan
Month Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec Year
Average high °C (°F) 32
(90)
35
(95)
36
(97)
37
(99)
33
(91)
30
(86)
30
(86)
30
(86)
30
(86)
32
(90)
32
(90)
32
(90)
32.4
(90.5)
Average low °C (°F) 18
(64)
19
(66)
22
(72)
24
(75)
25
(77)
25
(77)
24
(75)
24
(75)
24
(75)
24
(75)
22
(72)
19
(66)
22.5
(72.4)
Source: www.holidaycheck.com[18]
[hide]Climate data for Bagan
Month Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec Year
Average high °C (°F) 25
(77)
27
(81)
30
(86)
30
(86)
30
(86)
27
(81)
26
(79)
26
(79)
25
(77)
25
(77)
26
(79)
25
(77)
26.8
(80.4)
Average low °C (°F) 13
(55)
13
(55)
15
(59)
18
(64)
20
(68)
19
(66)
18
(64)
18
(64)
18
(64)
17
(63)
16
(61)
13
(55)
16.5
(61.5)
Average rainfall mm (inches) 0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
24
(0.94)
18
(0.71)
18
(0.71)
18
(0.71)
27
(1.06)
18
(0.71)
8
(0.31)
0
(0)
131
(5.15)
Average rainy days 1 3 1 3 7 6 7 10 8 8 3 2 59
Source: www.weatheronline.com[19]


◆建築

 バガンはミャンマーの際だった数の宗教的な建築物ばかりが有名な訳ではなく、建物の素晴らしい建築様式やビルマの寺院設計に貢献したことも特筆すべき点です。

 バガンのパゴダ建築における芸術性は、ミャンマーの手工芸製品の職人や名工の成果を証明するものでもありました。バガンの寺院は、大きく二つに分類することができ、そのひとつが仏塔型の石造りの寺院、もうひとつがGu-style(宮型?)の中が空洞となっている寺院のタイプです。

参考:東南アジアの遺跡保存をめぐる技術的課題と展望

p.77 仏教建築とその保存 バガンの建築タイプ  バガンには主に、仏塔と寺院という 2 つのタイプの古代建造物が存在する。仏塔は内部空間を有さず、仏陀と阿羅漢の遺品が金銀の彫像や奉納板、仏陀の説教(ダルマ)を記した金銀の板とともに、塔頂部の傘蓋に位置する遺品室内に収められる。 

 寺院は内部空間を有し、室内には仏像が安置される。
内壁は壁画で装飾される。仏塔も寺院も同様に、外壁は漆喰彫刻、テラコッタ板、施釉タイルで飾られる。


◆経済

 バガンの経済は主に観光業をベースとしています。これまでの軍事政権に対する抵抗(ボイコット)から、バガン地域の観光インフラは、国際的な基準からみてもまだまだ非常に質素なものとなっています。しかし、市内には国際基準のホテルや家族経営のゲストハウスがいくつかあります。バガンは、ビルマの漆器産業の中心地でもあり、その多くが観光土産としての需要となっています。多くの漆器は、ヤンゴンの土産物店や世界各地の市場に運ばれます。さらに、漆器の製作工程そのものも観光の目玉となっています。


◆人口

 バガンの人口は、その全盛期には5万人〜20万人と推定されています。1990年代に観光ブームが到来するまで、オールドバガンにはごく僅かな村人しか住んでいませんでしたが、観光業の発展に伴い、多くの人口がバガンに引き寄せられていったのです。しかし、オールドバガンは、現在、定住は認められていないため、多くの人々は、オールドバガンの南のニューバガンや北側のニャンウーに移住しています。もともとバガンに住んでいた住民達の大多数はビルマ族の人々です。


◆バガンが世界遺産とならない3つの理由

 広大なバガン草原に3000もの仏教遺跡が存在するバガンの寺院や仏塔(パゴダ)ですが、なぜか、ユネスコ側から指摘されている3つの理由を以下に概説しておきます。

@原型を無視した修復の問題がある

 世界遺産の登録には、少しでも元の状態が保たれており、それを維持する姿勢があることなどが求められます。しかし、バガンではそれを「無視」した修復がかなりあります。例えば以下のことが挙げられます。

・床に現代的なタイルが敷かれている
・見栄えを重視し古い壁画を石灰で塗り固めてしまった部分がある
・仏像の周りには、本来あるはずのない電飾が輝いている
 ※これは以下の写真のようにバガンで一番著名な寺院、アーナンダ寺院にもあります。

   
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7


A無計画な周辺開発の問題

  バガンは、多くの仏塔を眺める光景で有名だと思うのですが、昔の軍事政権はその景色を壊してしまうようなことをしています。

・バガン地区内にゴルフコースを造った
・舗装された高速道路を造った
・高さが61メートルほどもある展望台を建てた
  ※これはオールドバガンではなくニャンウー村の市場近くです。

 確かに上記は問題ですが、何しろ3000もある寺院・仏塔のごくごく一部であり、かつA系の課題は軍事政権下でのことです。

 それよりも今後、民主政権へ移行するなかで、現在年間で30万人程度の観光客が世界中から多数押し寄せ、ごみ、落書き、破壊などがされる可能性が高くなること、それらに対応するために膨大な維持管理費がかかる可能性があることが問題です。


つづく