エントランスへはここをクリック   

沖縄の記憶
Memory of Okinawa
5.シーサーたち 

青山貞一 Teiichi Aoyama
21 Feb. 2009 転載禁


 ここ数年、毎年のように沖縄本島にでかけている。調査や研究などの仕事ででかけているのだが、それとは別に沖縄に残された希有な自然を自分の目に焼き付け、そして記憶と写真に記録にとどめようとしている。

 沖縄の自然環境やそれをとりまく海洋生態系は、世界的に見ても稀有なものであったはずだが、常軌を逸した米軍基地の存在、それに今や「常習化」している公共事業への依存症によって、次々に破壊され、見る影もない。

 現在の沖縄、とくに本島で紺碧そしてマリンブルーの海や珊瑚の浜辺を見つけるのはそう容易でなくなっている。

 私の「沖縄の記憶 Memory of Okinawa」シリーズでは、沖縄本当に残され同時に絶滅の危機に瀕している自然生態系や歴史文化遺産を写真を中心に紹介する。

 その第5回目は、沖縄本島に見る「シーサー」たちである。

 2009年2月13日〜15日の沖縄現地視察で訪問した場所・機関


 沖縄でもっとも親しみやすい物といえば、やはりシーサーだろう。

 事実、沖縄を行くと至る所、民家、事業所はもとより警察署の入り口、果ては焼却炉の入り口までソーサーたちがいる。

 それぞれいろいろな顔、形をしていて見ているだけで楽しく,和んでくる。
 
伝統的な沖縄民家の屋根に乗ったシーサー。沖縄県糸満市にて
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10

 
ひめゆりの塔資料館にて


平和記念講演のシーサー
 撮影:鷹取敦


平和記念講演のシーサー
 撮影:鷹取敦



 シーサーは、沖縄県などでみられる伝説の獣の像である。

 シーサーは建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除け、幸運招きなどの意味を持っているという。

 名前は「獅子(しし)」を沖縄方言で発音したものだそうだ。八重山諸島ではシーシーともいう。

 起源をさかのぼると、スフィンクスや中国の石獅(石獅子)、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられている。

 もともとは単体で設置されていたものだが、おそらくは本土の狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなった。

 阿吽の違いにより雌雄の別があり、各々役割があるとする説もあるが、研究文献等にそのような記述は見られず、近年になって創作された俗説である可能性が強い。

 各戸の屋根の上に置かれるようになったのは、それほど古くなく庶民に瓦葺きが許されるようになった明治以降である。それまでは、寺社や城の門、御獄(うたき)、貴族の墓陵、村落の出入り口等に設置されるのみだった。材質は石や陶器(素焼きまたは本焼き)、漆喰(しっくい)によるのが基本だが、近年ではコンクリートや青銅製のものもある。

 以上の出典:Wikipedia


那覇警察署の入り口にもシーサーが
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10




何と焼却炉の入り口の門の上にも立派な相対シーサーが(石川市にて)
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10




何と焼却炉の入り口の門の上にも立派な相対シーサーが(石川市にて)
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10


読谷村の民家の上のシーサー
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10


首里城のシーサーと池田さん
  撮影:鷹取敦 撮影:2007.2 


首里城のシーサー
 撮影:青山貞一 Nikon Digi Camera CoolPix S10


当然、首里城にもシーサーが
  撮影:宇都宮朗 撮影:2007.2 


国際通りのシーサー
 撮影:鷹取敦

つづく