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厳寒のロシア2大都市短訪

   
エルミタージュ美術館

歴史概要

青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 はじめに  入館案内・諸活動  歴史概要   外観概要 
  内部概要   外装   歴史的外観


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

    
サンクトペテルブルグ市紋章  サンクトペテルブルグ市旗  エルミタージュ美術館のロゴ



◆エルミタージュ美術館の歴史概要

 以下はエルミタージュ美術館に関する歴史の概要です。

 ※ エルミタージュの絵画などの建物そのものの歴史及び内部展示などコレクションの歴史
    については、別途詳細な歴史を紹介します


サンクトペテルブルグ(ロシア)、最初の冬宮殿。A.ズボフ、
サンクトペテルブルグのピョートル1世の花嫁の館:1717年の眺め、銅板。
エルミタージュ、サンクトペテルブルグ
Source:Wikimedia Commons
By Unknown author - http://izi.travel/en/6612-zimniy-dvorec/ru, Public Domain, Link


 エルミタージュの冬宮殿が博物館となる最初の出来事は、1764年にエカチェリーナ2世がドイツから美術品を買い取ったのが、エルミタージュ・コレクションのはじまりです。これについては、コレクションの歴史で詳報していますのでご覧ください

国名 時代区分 継続年 首都
モスクワ大公国 1263年 - モスクワ
ロシア・ツァーリ 1547年 - 1564年 174 モスクワ
1564年 - 1581年 アレクサンドロフ
1581年 - 1712年 モスクワ
1712年 - 1721年 サンクトペテルブルグ
帝政ロシア(ロマノフ王朝) 1721年 - 1914年 196 サンクトペテルブルグ
1914年 - 1917年 ペテログラード
ロシア臨時政府 1917年 1未満 ペテログラード
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国 1917年 -1922年 5 モスクワ(1918~)
ソビエト連邦(USSR) 1922年 - 1924年 95
1924年 - 1991年
ロシア 1992年 -
出典:Wikipedia、各種文献を参考にして青山が作成


◆ロマノフ王朝 ロシア帝国における歴代皇帝(インペラートル)  黄色は女帝
歴代 皇帝 在位 備考
初代 ピョートル1世 1721年-1725年 ツァーリ即位は1682年。元老院と宗務院より、インペラートルとともに大帝(Великий)の称号も受ける。
第2代 エカテリーナ1世 1725年-1727年 ピョートル1世の皇后。
第3代 ピョートル2世 1727年-1730年 ピョートル1世の孫、廃太子アレクセイの子。
第4代 アンナ 1730年-1740年 ピョートル1世の異母兄イヴァン5世の子。クールラント公フリードリヒ・ヴィルヘルムの未亡人。
第5代 イヴァン6世 1740年-1741年 イヴァン5世の曾孫。宮廷クーデターにより廃位。1764年に殺害。
第6代 エリザヴェータ 1741年-1761年 ピョートル1世とエカテリーナ1世の子。
第7代 ピョートル3世 1761年-1762年 エリザヴェータの甥。ホルシュタイン=ゴットルプ公。宮廷クーデターにより廃位、後に殺害される。
第8代 エカテリーナ2世 1762年-1796年 ピョートル3世の皇后。プロイセンのアンハルト=ツェルプスト侯家出身。大帝の称号を受ける。
第9代 パーヴェル1世 1796年-1801年 ピョートル3世とエカテリーナ2世の子。宮廷クーデターにより殺害。
第10代 アレクサンドル1世 1801年-1825年 パーヴェル1世の子。
第11代 ニコライ1世 1825年-1855年 パーヴェル1世の子、アレクサンドル1世の弟。
第12代 アレクサンドル2世 1855年-1881年 ニコライ1世の子。「人民の意志」派の爆弾テロ(ロシア語版)により暗殺される。
第13代 アレクサンドル3世 1881年-1894年 アレクサンドル2世の子。
第14代 ニコライ2世 1894年-1917年 アレクサンドル3世の子。二月革命により退位。1918年に家族とともに殺害される(ロマノフ家の銃殺)。
出典:Wikipedia、各種文献を参考にして青山が作成

 エルミタージュ美術館の起源はエカチェリーナ2世が1775年に建てた自身専用の美術品展示室であり、一般公開はされていませんでした。


サンクトペテルブルグ宮殿広場の水彩画。Vasily Sadovnikovが1847年に描いた物。
現在、ルミタージュ美術館に展示されています。
Source:Wikimedia Commons
Vasily Sadovnikov - http://fabrilia.ru/item.php?id=1261, パブリック・ドメイン, リンクによる



アレクサンダー1世、冬の宮殿のJ.Doeの工房にて、1826年。
Source:Wikimedia Commons
Беннет и Райт по оригиналу Мартынова - http://catherine-catty.livejournal.com/311311.html, パブリック・ドメイン, リンクによる


 1863年に初代館長となったゲデオーノフによって市民も観覧が可能となりました。

 1917年のロシア革命後は貴族から没収されたコレクションの集積所となりました。


View of the Dvortsovaya pier in 1879-1914 years  
Source:Wikimedia Commons
Автор: Неизвестен - http://walkspb.ru/images/stories/photos/dvortsovaya_nab/dvortsovaya_nab_old(2).jpg, Общественное достояние, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5274481


 1918年には冬宮に存在した全ての研究、管理組織を建物共々、エルミタージュ美術館として統合することが決定されました。この統合作業は第二次世界大戦後に完了しています。


◆現在のエルミタージュ美術館

 以下は入場時にいただいたパンフレットにある5つのエルミタージュ美術館と別館です。ここでは、左からエルミタージュ劇場、別館は、中央にある「アレクサンドル円柱」の背後にある黄色と赤色に見える建物の中央より少し左の奥にあります。


入場時にいただいたパンフレットにある5つのエルミタージュ美術館と別館出典:本館入場時にいただいたパンフレット



つづく