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厳寒のロシア2大都市短訪

   
冬宮殿の部屋と広間
皇室の私的居住空間

青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo
 
無断転載禁
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 ・エルミタージュ冬宮(本館)の主要施設
   ヨルダンの階段       大玉座の間     紋章の間
   マーシャル将軍の間   軍事の間       大教会     
   アレクサンダーの間    白色の大広間    黄金の応接間
    クジャク石の間       アラビアの間    ネヴァ河3広間 
   コラス1世円形の間    私的居住空間    庭園   コンサートホール


◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

  



皇室の私的居住エリア

 皇室の指摘居住エリアは、冬宮の西端のピンク色の部分にあります。
 

冬宮殿における皇室の私的居住エリアの位置
Source:Wikimedia Commons

 以下は、番号に対応した冬の宮殿の主要階(ピアノ・ノビーレ)。私的居住エリアはピンク色の部分です。部屋は、1918年より前にその名前がつけられていました。

  1:マラカイトの応接室
  2:皇帝の応接室
  3:銀の応接室
  4:居間
  5:アレクサンドラ・フィオドロヴナの寝室
  6:婦人の私室
  7:ニコライ2世の書斎
  8:小食堂
  9:図書室
 10:ビリヤード室
 11:皇帝の謁見室
 12:
 14:サルティコフ階段に続いて、アレクサンダー2世の書斎
 19:マリア・アレクサンドロヴナの寝室
 20:深紅の婦人の私室
 21:深紅のキャビネット
 22:黄金の応接室
 23:皇后陛下の私用階段
 25:食堂
 26:学習室
 28:(丸天井のある)円形の広間
 29:教会(礼拝所)
 30:アラビアの広間
 31:冬の庭
 32:白色の広間



皇后アレクサンドラの新しい庭園から1900年頃に撮影された冬
の宮殿のプライベートウィング。中央のドアはサルツィコフの入り口(Saltykov Entrance)です。
Source:Wikimedia Commons
By Long dead - Author, Public Domain, Link


 以下は、私的居住空間をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビューしています。クリック後、マウスなどで動かしてみてください。私的居住空間の雰囲気が把握できます。

 ※ 私的居住空間をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビュー

 皇室の私的居住エリアは、サンクトペテルブルグ冬宮殿の旧パレス西ウィング(棟)の主要な階に位置していました。皇室の家族のための私的居住棟の外部からのアクセスは、通常、皇帝(Tsar)、皇后(Tsaritsa)、大公爵(dukes)と大公爵妃(duchesses)のために確保されていたサルティコフ・エントランス(Saltykov Entrance)からとなっていました。

 第二のアクセスルートは、宮殿のNeva川側のファサードの西端にある離れた箱型の門(ポーチ)を通ることとなっていました。 1階からは、以前は「陛下の階段」として知られていた「10月の階段」からアクセスできます。

 この二階建ての皇居階段は私的居住棟への二次的な入り口であるとともに、公的な建物を通過する、正規で儀式的な公道を通るのに比べて、より便利なルートとなっていました。

 1917年の10月革命の間、この入口が革命家たちが、臨時政府関係者を狭い私的な食堂に拘束するために、宮殿に入る入口となりました。その日以来、この階段は「10月階段」として知られるようになり、この出来事を記念する楯もあります。その大きさと荘厳さにもかかわらず、10月階段は第二の階段であり、「ヨルダン階段」が第一の主要な階段です。

 宮殿のさらにフォーマルな部屋から、私的居住棟へは、丸天井のある広間を通って入ることも出来ます。この丸天井のある広間は、前室として、また、皇帝が客を迎え入れる待合室としても機能していました。

 もう一つの入り口は、プライベートと公務の両方の部屋として機能するマラカイト(孔雀石)の応接室からの入口で、そこは、多くの場合、主要な公務のための建物につながったている隣のアラビア大広間からの皇帝一族の行進を開始するための集合地点でした。特に皇室の結婚式では、マラカイト応接室で皇后によって花嫁はロマノフ王朝の正式な結婚式の礼装を着せられることになります。

 私的居住棟の部屋からは、芝生が敷かれ、木々の茂った庭園を見渡すことができます。この庭は、ロシア帝国最後の皇后が、以前はパレードを行っていたグランドを庭に作らせたもので、彼女は私的居住棟に子供達が遊ぶ庭が欲しかったのでした。

 1917年まで、このウィングはむしろ、宮殿内にある私的な家のようでした。そこは皇室一家がいつでも住居として使っていました。1837年の大火災でほとんどの宮殿が焼失した後、皇帝ニコラス1世の直系家族のそれぞれの居住者の好みに応じて、さまざまなスタイルで再建されました。そのため、居住棟の様式は、折衷的なスタイルと18世紀初頭の嗜好やファッションの緩やかな解釈のオンパレードとなっています。

 そこは、冬の宮殿の私的居住棟でした、1917年2月の革命後は、ロシア臨時政府が設置されました。10月革命の数ヶ月後、宮殿のこの一帯は、有名な冬宮殿の襲撃によってもっとも破壊されたエリアとなり、まさに、ロシアの歴史を決定づける瞬間でもありました。

 上に掲げた配置図は、1917年以前の部屋の配置に基づいています。その後、部屋の配置は国立エルミタージュ博物館を構成する建物の複合体の一部としての宮殿の使用に対応するように変更されています。 以前のプライベートルームの多くは、定期的に公開されていない場合が多く、または多く変更されています。


◆ゴシック様式の図書室

 以下は、私的居住空間の北側にある図書室をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビューしています。クリック後、マウスなどで動かしてみてください。私的居住空間の雰囲気が把握できます。

 ※ 私的居住空間にある図書室をグーグルマップストリートビューで360度パノラマビュー


私的居住空間の北側にある図書室
The Gothic library designed by Krasovsky for Nicholas II
出典:グーグルマップストリートビュー

 クラソフスキーによってニコラス2世のために一新した部屋の中で最大の部屋がこのゴシック式図書館(地図の9番)です。彼は中世のロマンチックな認識を暗示するような、重厚な木製のゴシック様式で図書館をデザインしました。その他の場所では、ロココからアールヌーボーまでのテーマを取り入れました。 図書館と小さなダイニングルームはクラソフスキーの装飾を保持した唯一の部屋です。かつてニコラス2世が私用していた部屋の多くは、小さくて狭く、暗くて不格好なデザインで、特にニコラスの狭い書斎はその典型でした。


つづく