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   厳寒のロシア2大都市短訪

ロシアの正教会とは

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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<ロシア正教とは>
 ロシア正教会とは  ロシア正教会の名称と概念  ロシア正教会のイコン


◆ロシアの基礎知識

   
ロシアの国章    サンクトペテルブルグ紋章    モスクワ紋章
 
◆ロシアの正教会とは

 ロシア正教会(Русская Православная Церковь、Russian Orthodox Church)は、正教会に属するキリスト教の教会であり、数多くある独立正教会の一つです。

 正教会は一カ国に一つの教会組織を具えることが原則ですが(ロシア正教会以外の例としてはギリシャ正教会、グルジア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、日本正教会など。もちろん例外もあります)、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有しています。

 教派名は「正教」「正教会」であり、「ロシア正教」「ロシア正教会」は主にロシア連邦・近隣地域を管轄する一教会組織名です。

 以下は世界の宗教の大分類です。


出典:青山貞一 

以下に、キリスト教の主要諸教派の概略図を掲載します。


出典:Wikipedia

◆ロシア正教徒とは

 ロシア正教は、東方キリスト教に属し、同じキリスト教のカトリックやプロテスタントとは異なる教義を持ちます。特に言葉に寄らない体験を重んじるのが特徴です。

 10世紀にキエフ大公ウラジミールによってキリスト教はビザンツから受け入れられ国教となります。これとともにギリシャ文字をもとに作られたキリル文字やイコン(聖像)崇拝の習慣などがもたらされ、ロシア文化の形成に影響を与えました。

 ロマノフ朝においては、教会は国家と不可分の存在でした。18世紀に教会が国会の一機関となると、教会と国家は相互に利用しあう関係を築いてゆきました。正教信仰と教会組織は、ロシア社会に深く浸透し、民族的には多様なロシア帝国臣民の身分を規定するものとされています。

 しかし、ロシア正教の世界は一枚岩ではありません。最大の分れる(ラスコール)は、17世紀の総主教ニコンによる改革が発端となりました。ニコンはロシアへの西洋文化の浸透に触発され、教会での典礼(儀式)をギリシャ的に改革し、近代化しようと試みたのです。しかし、ロシアで従来行われてきた典礼を重視するアヴァクームらは、これに反発し教会から離脱しました。

 アヴァクームの流れをくむ人々は古儀式派(分離派)と呼ばれます。

 木儀式派のひとびとは中央の支配を逃れ、しばしば僻地や国外に共同体を形成しました。彼らの信仰は教会からは異端視されながらも、帝政時代、ソ連時代を生き延び、現代ロシアにも存在しています。

 1917年のロシア革命後、国内ではソビエト政権の反宗教政策で多くの教会が閉鎖されます。革命から国外に逃れた人々は各地に在外教会をつくり、ロシア正教は異教にある人々の精神的支柱となりました。正教会は1991年のソ連解体前後から復権し、再び国家地の強い関係を保ちながら、布教、教育、慈善事業などを通じて、ロシア社会に影響を及ぼし続けています。

出典:東洋文化ミュージアム ロマノフ王朝企画展

ロシア正教会とは

 キリスト教の一派で、東方正教会の中核をなす教会です。

 ロシアにビザンティンから正教が入った当初のキエフ時代、ロシア正教会はコンスタンティノープル総主教の管下にありましたが、実際の信仰は修道院で行われ、主の祈りに基づく独自な「卑下(ケノーシスkenosis)の精神」(十字架にかけられ辱められたイエスを偲(しの)ぶ心)が育成されました。

 続くタタール人支配時代も修道信仰は森の中で保存されました。16世紀、モスクワ時代、ロシア正教会は、ビザンティン教会がイスラムの支配下になったため、かわって正教の中心となり、総主教制が敷かれ、モスクワは第三のローマと号しました。

 しかし同教会は信仰の聖地であるよりも、祭祀(さいし)主義的、権威主義的場と化し、民衆の間に迷信が盛んとなり、一方、反権威的な教会分裂(ラスコール)や狂信的セクトが生じました。

 18世紀ピョートル大帝により官許正教会は弱められ、以後形骸(けいがい)化しました。さらにロシア革命後は反宗教のソビエト政権により、十余年にわたって迫害され(1930年がピーク)、その後も、教会は宗教的行動を制限され、布教、宗教教育、慈善事業などは許されず、個人の祈りに限定されて認められていました。

 だが、革命後70年の1988年、ロシア正教伝来1000年を記念して国をあげて祝祭が行われました。ゴルバチョフ初代大統領が就任した90年の10月に新宗教法が成立し、信教の自由が大幅に認められるようになったのです。

 ロシア初代大統領エリツィンも就任に際し、宗教の重要性について演説しました。こうしてクレムリンもペレストロイカ(改革)には国益や階級益を超えた全人類益を目ざすイエス自身の信仰に基づく宗教が必要であるとし、ロシアに正教が復興しました。

出典:ジャポニカによる解説


 以下は世界の主な宗教及び宗派の地図です。図中、「正教」「正教会」は灰色で示されています。


世界の主な宗教及び宗派の地図
出典:Wikipedia 
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 下は、ロシア正教会の他にもブルガリア正教会などのスラヴ系正教会で広く使われる八端十字架です。


八端十字架。
出典:Wikimedia Commons
パブリック・ドメイン, リンク
 

◆正教会とイコン

 下は聖アンドレイ・ルブリョフによるイコン『至聖三者』です。

 至聖三者(三位一体の神)そのものは描けないが、至聖三者を象徴する三天使を描いたイコンであるとされます。正教会において、教会は「ハリストス(キリスト)の体」として、また至聖三者の像(イメージ)として、両面から理解されます。教会とは何かを考えるのにあたり、正教では至聖三者についての言及は避けられません。


聖アンドレイ・ルブリョフによるイコン『至聖三者』
出典:Wikimedia Commons
アンドレイ・ルブリョフ - From here., パブリック・ドメイン, リンクによる


 以下はフレスコ画イコン『復活』。現在はカーリエ博物館となっている、ホーラ(コーラ)修道院の聖堂内、湾曲した天井に描かれていまし。

 主ハリストス(キリスト)がアダムとエヴァの手を取り、地獄から引き上げる情景を描いたものです。このハリストスの地獄降りのイコンが、正教会においては復活のイコンとして定着しています。


主ハリストス(キリスト)がアダムとエヴァの手を取り、地獄から引き上げる情景を描いたもの  
出典:Wikimedia Commons
anonimus - part from file:Chora Anastasis1.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる


 下は、聖大ワシリイ(バシレイオス)を画いた細密画です。


聖大ワシリイ(バシレイオス)を画いた細密画(15世紀・アトス山)
出典:Wikimedia Commons
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◆イコンとは
 (ギリシア語: εικ?ν, ロシア語: Икона, 英語: Icon, ドイツ語: Ikon)

 イコンは、イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)、聖人、天使、聖書における重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を画いた画像(多くは平面)です。"εικ?ν"をイコンと読むのは中世から現代までのギリシャ語によっています。古典ギリシャ語再建音ではエイコーン。正教会では聖像とも呼んでします。

 「イコン」と言えば正教会で用いられるものを指すことが多く、場合によってはイコンは正教会のものとして限定的に説明されることもあります。イコンは、正教会以外のキリスト教の教派でも用いられないわけではなく、カトリック教会においても用いられますが、カトリック教会ではこれを聖画像とも呼んでいます。


聖大ワシリイのモザイクイコン(キエフの聖ソフィア大聖堂、11世紀)
出典:Wikimedia Commons
不明 author - http://www.sedmitza.ru/index.html?sid=883&did=49554&p_comment=belief, パブリック・ドメイン, リンクによる

 正教会でのイコンの多くは平面であり、正教会においては立像は用いられない訳ではありませんが、極めて稀です。その形状は板絵のみならず、フレスコ画、写本挿絵、モザイク画など多様です。

 正教会においてイコンとは、単なる聖堂の装飾や奉神礼の道具ではなく、正教徒が祈り、口付けする聖なるものです。但し信仰の対象となるのはイコンそのものではなく、イコンに画かれた原像です。

 聖大ワシリイ(大バシレイオス)(330年頃 - 379年)は、「聖像への尊敬はその原像に帰す」とした。ダマスコのイオアン(676年頃 - 749年)はこれを引用した上で、原像は聖像化されるものであるとともに結果を得る(尊敬を得る)元になるものでもあるとしています。

 こうした聖像への敬拝を東に向かって祈ることや十字架への尊敬とともに書かれざる聖伝(アグラフォシス・パラドシス)に数えています。すなわち正教会において、イコンは信仰の対象ではなく、崇拝の対象でもありませんが(崇拝・礼拝は神にのみ帰されます)、信仰の媒介として尊ばれています。


蝋画法によるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)のイコン
(6世紀頃、シナイ半島、聖カタリナ修道院所蔵)
出典:Wikimedia Commons
不明 author - Saint Catherine's Monastery, Sinai (Egypt) / K. Weitzmann: "Die Ikone" https://www.pallasweb.com/ikons/ikon-gallery/christ-pantokrator-from-sinai.html, パブリック・ドメイン, リンクによる


 サンクトペテルブルグでは、宮殿、教会、美術館などありとあらゆる場所でイコンが売られています。写真はのサンクトペテルブルグのお土産やにあったイコンの数々です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2


つづく