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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破


スターリングのまち

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年12月10日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁

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スターリングのまち  博物館1  博物館2  メアリーの戴冠式を行った城
スターリング城の歴史1  スターリング城の歴史2  スターリング城の歴史3
スターリング城の内部1  スターリング城の内部2  スターリング城の内部3
アン王女の庭園  ステュアート系譜  ステュアート系譜2  城の生活


 リンリスゴーに三泊後、私たちはブラックネス城、ロッホレーベン城、キャンベル城などスコットランドの古い城を経由してスターリング城(Stirling Castle)に車で向かいました。スターリング城は幼少のメアリー・スチュアートが戴冠式を行った城です。

 岩山の上に立つスターリング城(Stirling Castle)は、エジンバラ城によく似ているといわれます。

◆スターリングのまちの概要


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S8

 スターリングはリンリスゴーから車で約29km、約29分、ロッホ・レーヴェンから25km、約45分の距離にあります。


出典:グーグルマップ


スターリング城 (南西からの眺め)
Source:Wikimedia Commons

 スターリング(Stirling、 スコットランド語: Stirlin)は、スコットランドの主要な都市です。歴史上では歴代のスコットランド王の勅許を得た自治都市として有名です。

 かつてのスコットランド王国の首都であり、スターリングは1975年まで自治都市の地位にあり、2002年にはエリザベス2世の即位50周年の一環として「都市(City)」の地位を与えられていました。

 街はスターリング城と中世の市街(オールド・タウン)の周囲に居住区が集まる形で構成されています。

 2011年の国勢調査によれば人口は45,750人で、スコットランドにおける最も小さな「都市(City)」であり、スターリング(カウンシル・エリア)の中心地でぢ。



スターリングの位置  Source:Google Map

・人口 45,750人 (2011年)
・教区
 スターリング
 カウンシル
・エリア
 スターリング
 レフテナンシー
・エリア
 スターリング・アンド・フォルカーク
・警察 スコットランド
・消防 スコットランド
・救急医療 スコットランド
・欧州議会 スコットランド
・英国議会 スターリング
・スコットランド議会 スターリング
・ミッド・スコットランド・アンド・ファイフ


◆スターリンの歴史

 スターリングは、石器時代の集落を起源とし、少なくともローマン・ブリテンの時代までに戦略的に重要な地域となりました。なぜなら、この地は守備に適した丘(後にスターリング城が建築される)を持つうえに、フォース川に面しているという地の利を得ていたからです。

 歴史的には、西暦655年にマーシア王ペンダによってノーサンブリア王オスウィが包囲された際、陣を張っていた要塞「Iuddeu」もしくは「Urbs Giudi」が存在していた地として、イングランドの聖職者ベーダの歴史書および同時代の年代記にその存在が記されています。

 この地に流れる川は、スターリングを港として機能させ、町に富と権力をもたらしました。フォース川は比較的浅く川を渡ることができましたが、のちに橋がかけられ、いっそう町の発展に貢献しました。

 この町は12世紀にスコットランド王デイヴィッド1世によって勅許自治都市のひとつとして認可されて以来、後の王たちの治世にもその立場は引き継がれました(町は「Strivelyn」という名で言及されています)。

 スコットランドとイングランドのあいだの長きに渡る抗争のなかで、いくつかの主要な闘いがスターリングで繰り広げられました。スターリング・ブリッジの戦い(1297年)と、町からほど近いバノックバーンの戦い(1314年)です。

 「スターリング」という地名の由来は不明であるが、努力・闘争の地(struggle/strife)といった説があります。

 城の近くにはホーリールード(聖十字)教会が建っています。歴史的にみて、これは町で最も重要な建築物のひとつです。

 現在のホーリールード教会は、1405年にスターリングを襲った壊滅的な火災の後、1400年代に再建されたもので、ウェストミンスター寺院を除けばイギリスの中で戴冠式が挙行されたことのある教会のうち、たった1つだけ現存しているものです。

 1567年7月29日に、スコットランド女王メアリーの幼い息子がこの地で戴冠し、ジェームズ6世となりました。ジェームズ6世の夭逝した長男ヘンリー・フレデリック(チャールズ1世の兄)もこの地で生まれました。17世紀のスコットランド内戦の際には戦地となり、オリバー・クロムウェルの軍隊による銃痕がくっきりと教会の塔と後陣に残されています。

 その内戦のさなか、1648年9月12日に、スターリングの戦いがおこなわれました。

 スターリングの要塞は、18世紀のジャコバイトの蜂起の際も戦略的に重要な役割を果たし続けましたが、ジャコバイト勢力は1715年に城郭の支配権を失いました。

 1746年1月には、イングランドとスコットランドの王を僭称するチャールズ若僭王(通称「ボニー・プリンス・チャーリー」)の軍勢が町を包囲しましたが、城を攻め落とせませんでした。彼らが北方へ撤退する際、軍需品が保管されていたセントニニアンの教会を破壊したため、現在その教会は塔のみが残されています。

 経済的な観点からは、リバーサイド地区に建設されたフォース川の港の施設は貿易の要となり、インドからの茶葉の輸入や、バルト海からの木材の輸入に貢献しました。鉄道の到来は河川を利用した貿易の衰退を招きました。

 これはとりわけ鉄道の橋(フォース鉄道橋)が川の下流に設けられたことによるもので、船舶による物資へのアクセスをいっそう困難にしたからです。そのため、20世紀半ばまでには港は操業を停止しています。


◆スターリングの著名人

 
歴史上におけるスターリングの著名な居住者としては、スコットランド女王メアリや、スコットランド王ジェイムス6世(=イングランド王ジェームズ1世)といった人物や、近現代でもイギリス前首相サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン、ドキュメンタリ映画のパイオニアであるジョン・グリアソン、映画音楽の作曲家ミュア・マシソン、アニメーションの先駆者であるノーマン・マクラレン、さらにはテレビ司会者のカースティ・ヤングらを挙げることができます。

 バーンウェル兄弟社のフランク(Frank Barnwell)とハロルド(Harold Barnwell)は、コーズウェイヘッド(現在のスターリング大学が位置する付近)に存在したグランピアン・モーターズで働いていました。

 彼らは1909年に、スコットランドにおいて最初の動力を用いた飛行機を設計し、かつ飛行に成功したことで有名です。フランク・バーンウェルは、ブリストル・ブレニウム戦闘機をはじめとした航空機の設計を担いました。兄弟の先駆的な業績を称える小さな記念碑が、コーズウェイヘッドの交差点に建立されています。

 スターリングはまた、多くの幽霊の出没地としても有名です。城にあらわれるグリーン・レディは多くの兵士によって目撃されています。城の近隣の宿屋 Settle Inn は、スコットランドにおける最も幽霊が出そうな場所として有名です。他にも幽霊が目撃されたパブが複数あります。バー「Nicky tams bar and bothy」や、地元のフットボールチームであるスターリング・アルビオンFCにちなんで命名されたアルビオン・バーなども、心霊スポットとして有名です。


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