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群馬県内古墳群探訪

浅間山古墳

(高崎市倉賀野町)

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
13 Autum, 2019
独立系メディア
E-wave Tokyo
無断転載禁
1日目 はじめに  八幡塚古墳  二子山古墳 薬師塚古墳 大鶴巻古墳  浅間山古墳 観音塚古墳
 上野国一社八幡宮 八幡宮2 八幡宮3 達磨寺1 達磨寺2 達磨寺3 達磨寺4  達磨寺5
2日目 小栗の里 大室公園  前二子古墳  中二子古墳  後二子古墳  小二子古墳  民家園1
 民家園2 民家園3 民家園4 民家園5 民家園6 民家園7 民家園8 埴輪1 埴輪2 
 はにわ館 宝塔山古墳  秋元氏歴代墓地 虻穴山古墳 総社歴史資料館1 資料館2 資料館3
 資料館4  資料館5  資料館6  資料館7  資料館8  資料館9  資料館10  資料館11
 愛宕山古墳 遠見山古墳 山王廃寺 まとめ 


 大鶴巻古墳の次は浅間山古墳です。

 実は浅間山古墳は全国に多数あり、群馬県内にも多数ありますが、視察した浅間山古墳は、大鶴巻古墳と同じ高崎市倉賀野町にあります。

 車で数分の位置にありました。


出典:グーグルマップ


ロゴ出典:古墳マップ


出典:Wikipedia


撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-13


Source:Wikimedia Commons


撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-13

 浅間山古墳(せんげんやまこふん)は、群馬県高崎市倉賀野町にある前方後円墳。国の史跡に指定されています。

 群馬県内では太田天神山古墳(太田市)に次ぐ第2位、ひいては関東地方では太田天神山古墳、舟塚山古墳(茨城県石岡市)に次ぐ第3位の規模の古墳です。

 4世紀末から5世紀初頭頃の築造と推定されます。また、付近には大鶴巻古墳や大山古墳、佐野長山古墳(消滅)など、13基の前期古墳が集中しており、倉賀野(佐野)古墳群を構成しています


撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-13

浅間山古墳の概要

 高崎市の東南の平野部に位置する前方後円墳です。付近には古墳時代初期から後期にかけての古墳群(倉賀野古墳群)が形成され、大鶴巻古墳(墳丘長122メートル、国の史跡)・小鶴巻古墳(墳丘長80メートル)などの前方後円墳が存在しますが、本古墳はそれらの中でも最大規模を有します。

 また築造当時では東日本最大の規模で、群馬県内では太田市の別所茶臼山古墳(宝泉茶臼山古墳、墳丘長168メートル)と共にこの時期を代表する前方後円墳とされます。特に墳形は奈良県奈良市の佐紀陵山古墳の5分の4相似形の設計と見られ、佐紀が中心を成した頃のヤマト王権と被葬者との密接なつながりが指摘されてます。

 古墳は前方部を南東に向けています。墳丘のうち後円部は3段築成、前方部は2段築成で、表面には葺石が葺かれ、円筒埴輪および形象埴輪(器財・家形埴輪)が並んでいたと考えられています。埋葬施設は明らかではありませんが、竪穴形の粘土槨である可能性が指摘されています。



撮影:青山貞一 Nikon CoolpixS9900  2019-8-13


埋葬施設

 現時点では不明です。なお、明治時代に周辺住民による埋葬施設の捜索が行われ、後円部墳頂付近で埋葬施設と思われる集石が見つかっています。また、この石の一部に朱塗りの櫟が確認されたため、埋葬施設は竪穴石室だったという説が有力です。副葬品はまだ見つかっていません。

規模

 東方より全景(左に前方部、右に後円部)

 後円部墳頂
 墳丘長:171.5メートル[5]
 後円部 - 3段築成。
 直径:105メートル
 高さ:14.1メートル
 前方部 - 2段築成。
 長さ:66.3メートル
 幅:74.8メートル
 高さ:5.5メートル

 古墳周囲には幅約30メートルの周濠、その外側に20 - 30メートル幅の中堤が巡らされ、さらに外濠(56-65メートル)も巡らされています。堀も含めた全長は250メートル、幅170メートルに達するものになります。

 文化財で国の史跡です。


観音塚古墳つづく