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幻想の国北アフリカ
モロッコへの旅
Trip to Kingdom of Morocco, North Africa
カサブランカ・ムハンマド
X世宮殿
Muhamemed V Palace in Casablanca
青山貞一 
Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

初出:
4 Feb 2014

独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁


 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Coolpix S6400

◆青山貞一・池田こみち: 幻想の国 北アフリカ モロッコ
   
1 モロッコ王国の基礎情報 18 フェス・マドラサ 35 カスバ街道:・バラの谷
2 モロッコの交通 19 フェス・技と巧(繊維織物) 36 ワルザザート 映画スタジオ
3 モロッコで出会ったネコ達 20 フェス・要塞から見た旧市街 37 アイット・ベンハッドウ1
4 カサブランカ・ムハンメドX世宮殿 21 フェス・技と巧(陶器工房) 38 アイット・ベンハッドウ2
5 カサブランカ・ハッサンU世モスク 1 22 フェスからイフレンへ ・絶景の旅1 39 アイット・ベンハッドウ3
6 カサブランカ・ハッサンU世モスク 2 23 イフレンからミデルトへ ・絶景の旅2 40 アイット・ベンハッドウ4
7 ラバト・首都 24 ミデルトからエルラシディアへ ・絶景の旅3 41 カスバ街道・アトラスに向かう
8 ラバト・ムハンマドX霊廟 25 エルラシディア・オアシス 42 アトラス山脈ティシュカ峠
9 ラバト・未完のハッサンの塔 26 エルフード ・化石工房 43 参考・アトラス山脈カスバ・テェルウェット
10 メクネス・悠久の城壁都市 27 メルズーガ ・駱駝(らくだ)ツアー1 44 アトラス山脈絶景
11 メクネス・華麗な霊廟 28 メルズーガ ・駱駝(らくだ)ツアー2 45 アルガン油の伝統製法
12 フェス・幻想の迷宮    29 エルフード ・砂漠ホテル 46 マラケシュ・概要
13 フェス・迷宮内の宮廷料理 30 カスバ街道・地下水路 47 マラケシュ・バイア宮殿
14 フェス・技と巧(彫金) 31 カスバ街道・ティネリール 48 マラケシュ・クトゥビーヤ・モスク
15 フェス・一般家庭でミント茶 32 トドラ渓谷 希有・特異地形1 49 マラケシュ・壁と門
16 フェス・技と巧(皮なめし) 33 トドラ渓谷 希有・特異地形2 50 マラケシュ・ジャマエルフナ広場
17 フェス・神学校 34 カスバ街道の絶景



モロッコ現地視察の経路図 グーグルマップ地形図より青山貞一作成

 今回のモロッコ視察では、まず成田空港からトルコのイスタンブール空港まで約12時間飛んだ。

 航空会社はトルコ航空、航空機はA330である。

 その後、イスタンブール空港内で約5時間のトランジット、そしてさらにトルコのイスタンブール空港から約4時間かけモロッコのカサブランカ空港に向かった。

 都内から成田に向かう時間を含めると実に片道、まる一日24時間の旅でであった。成田を出発して以来、成田に帰るまで、食事の肉には豚は一切なく、マトン、チキン、魚、ビーフのいずれかとなった!


トルコのイスタンブール空港にて
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50

 トルコには国際居住年の国連会議で来て以来である。

 そのときは、ロシアのアエロフロートを使いモスクワからアンカラに入った。

 信じられないことだが、モスクワからアンカラに行くツボレフ旅客機内は喫煙OKで、機内はとんでもない紫煙の渦。たまたま持参したデジタルの粒子状物質測定で測定したら1時間当たり600μg/m3もあった。当時の私の大学研究室内は40μg/m3、重度な喘息患者の私(青山)には、つらい旅行となった。

 ちなみに現在のWHO大気質指針は、PM10が 24時間平均 50μg/m3、年平均で 20μg/m3またPM2.5 は24時間平均 で25μg/m3、年平均で 10μg/m3である。

 下の写真はイスタンブールで有名なブルーモスクである。この写真はイスタンブール空港内にあった韓国LG社の4Kハイビジョンからデジカメで撮影したものである。4Kは確かに精細で美しいが、果たしてここまで必要かとも感じる。


イスタンブールで有名なブルーモスク 
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50


ブルーモスクの天井のモザイク画 
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50

 下はカサブランカ空港着陸前の上空からの写真である。


撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50
 
 下はカサブランカ空港(ムハンマド5世国際空港)である。

 イスラム国家だからか、ほとんど看板はなく、質素ですっきりしている。ただ、パスポートコントロールを通過し、預けたスーツケースを取り出し、到着ロビーから、写真を撮るために一旦、空港外に出て写真を撮った後、再度到着ロビーに入ろうとしたら警察官が入港を止め、セキュリティーチェックを通るようにと言われたのはびっくり。やはりテロ対策がG8先進国などと比べると格段に厳しいようだ。


カサブランカ空港(ムハンマド5世国際空港)
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50

   
モロッコの位置  Wikipdeiaより                  モロッコの国旗

 ところで、カサブランカ(スペイン語、日本語で白い家)と言えば、最初に思い起こすのは、 ハンフリー・ボガート(リック・ブレイン)とイングリッド・バーグマン(イルザ・ラント)が主演した映画のカサブランカだ。

 映画のカサブランカは、第二次世界大戦にアメリカが参戦した1942年に製作が開始され、同年11月26日に公開された親ドイツのヴィシー政権の支配下にあったフランス領モロッコのカサブランカを舞台にしたラブロマンス映画。監督はマイケル・カーティス。配給はワーナー・ブラザーズであった。

 映画のカサブランカは、1943年に第16回アカデミー作品賞を受賞。監督のマイケル・カーティスは監督賞を、脚本のジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチの三名が脚色賞を受賞している。

 文化的、歴史的、芸術的に重要なフィルムを保存するために、1989年に始まったアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)で最初にセレクトされた25本の1本でもある。

 
映画のカサブランカ


モロッコにおけるカサブランカの位置  出典:Wikipedia

 カサブランカはモロッコ最大の都市であり、自治体である。

 カサブランカ市の概要
行政
モロッコの旗 モロッコ
 地域 Grand Casablanca
 市 カサブランカ
市長 Mohammed Sajid
地理
面積  
  市域 324km2
人口
人口 (2005年現在)
  市域 3,100,000人
    人口密度   9,132人/km2
  都市圏 約385万人
    都市圏人口密度   2,383人/km2
その他
郵便番号 20000-20200

カサブランカ概要

 1515年に、ポルトガル人によって町の再建が行われ、町を"Casa Blanca"(ポルトガル語で「白い家」)と名付けた。しかし、1755年に起こったリスボン大地震によってカサブランカも甚大な被害を受け、ポルトガル人はカサブランカを去った。

 カサブランカはアラウィー朝モロッコに統合され、1770年からムハンマド3世によって町の再建工事が行われ、町は要塞化された。18世紀からはスペインと、19世紀に入るとそれに目を付けたヨーロッパの列強諸国との間で交易が始まり、主にウールの積出港として発展した。人口も急激に増大し、1830年に600人だった人口は、1868年に8,000人にまで成長した。

フランス領へ
 しかし、ヨーロッパ列強に対する住民の不満は募っていた。1907年に港湾工事を行っていたヨーロッパ人労働者を住民が殺害したのを機に、暴動に発展。フランス、スペインが軍艦を派遣し、カサブランカを砲撃、フランス軍はカサブランカを占領した。1912年、モロッコはフランスと保護領条約を締結し、カサブランカはフランスの保護領となった。

 フランス保護領モロッコの初代総督に就いたウベール・リヨーテ将軍がカサブランカを商業の中心として整備した。第二次世界大戦中はドイツ軍によってフランスが占領されたために、戦争当初は親独のヴィシー政権の支配下にあったが、連合国軍の北アフリカ侵攻によって連合国軍に占領され、自由フランスに復帰した。1943年にはカサブランカ会談が開かれた。

独立後
 第二次世界大戦後の1956年にモロッコがフランスから独立し、フランスはカサブランカから撤退した。その後カサブランカはモロッコ最大の都市として繁栄し、世界各国から観光客が訪れ、モロッコの経済の中心地の地位を占めている。


参考:Wikipedia

 カサブランカ市内の主な建築、それもフランス統治下の建築物の多くは、いわゆるアールデコ様式である。

 アール・デコ(仏:Art Deco)は、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、フランスを中心としたヨーロッパおよびニューヨークを中心とした米国で1910年代半ばから1930年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。

 幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いや様式は多様である。


カサブランカ市内
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50


撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Coolpix S6400

 カサブランカのパリ大通り。建築物、公園、街路樹など要所にフランス統治下の文化が目立つ。ベトナムのホーチミン市でもアールデコ様式の建築物が見受けられるが、カサブランカでも目立つ。


カサブランカ市内のパリ大通り アールデコ様式の建築物が目立つ
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50

 下の写真は、カサブランカ到着当日、カサブランカで最初に訪れたムハンマド五世の宮殿である。


モロッコのムハンマド五世の王宮と碑
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50

 モロッコ王ムハンマド5世 (Mohammed V) 1909年8月10日 - 1961年2月26日)は、モロッコのスルターン(在位:1927年 - 1953年、1955年 - 1957年)及び国王(在位:1957年 - 1961年)。モハメド5世とも表記される。1956年にフランスから独立を勝ち取ったモロッコの国民的英雄である。

モロッコ王ムハンマド5世 ()Mohammed V)

 ハンマド5世はスルターン・ユースフ・ベン・ハサンの末子として生まれる。1927年、父の死により即位。第二次世界大戦後、激化するフランスからの独立運動を指導したため、1953年にフランスによって廃位された。

 フランスのインドシナ戦争の敗戦もあり、1955年に復位して翌年に独立を達成した。 

 1957年にモロッコの君主号をスルターンから国王に変更した。1961年に崩御、王太子が即位してハサン2世となった。ラバトのムハンマド5世大学、カサブランカのムハンマド5世国際空港はムハンマド5世にちなんでそれぞれ命名されている。


モロッコのムハンマド五世の碑を背景に
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50


モロッコにあるフランス大使館を背景に撮影
池田こみち Nikon Digital Camera Coolpix S6400

 下の写真は、北アフリカのリビアのベンガジから来た若者2人と撮影。 


北アフリカのリビアのベンガジから来た若者2人と
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Coolpix S50


つづく