環境アセスメントの公平性をめぐる課題

青山貞一 環境総合研究
 「法律のひろば」 1996年12月号
ぎょうせい発行

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1.公平性の原点


 今から15年前、国立環境研究所にいる友人が「環境影響評価制度の政策効果に関する研究」(*1)と題する学位論文を大学に提出し、通称、公聴会と呼ばれる論文審査に私も参加した。 その公聴会の場には、亡くなられた華山 兼教授がいた。友人の発表が終わるやいなや華山教授は、発表内容について次のように指摘された。

 「研究のなかで貴方が扱っている環境影響評価(以下、単にアセス)の政策効果は、あくまで行政機関(環境部局、許認可権限者)なり開発事業者にとっての政策効果にすぎない。環境アセスの効果で重要ことは、行政機関や開発事業者にとっての効果だけではなく、住民団体なり地社会にとっての効果がどうであるかだ。」と言うのも、行政機関や開発事業者は、膨大な時間と経費をかけアセスの手続や評価書案の準備をしている。それもいわば”本業”として業務や営利で行っている。

 それに比べ住民団体は、すべてボランティアで地域環境の保全はじめ地域社会の自治活動をしている。その中で、縦覧される評価書案を見ることひとつをとっても、場合によっては勤務先に休暇届けを出し縦覧場所に行かねばならない。評価書案を自分の経費でコピーしなければならず、まして意見書を書いたり、公述人になって発言するなどに際し、短期間に資料を集めたり勉強するなど、行政や事業者に比べて相当のハンディーキャップを負わされている。

 したがって、「環境アセスの制度、手続き、運用は、住民団体にとって不公平とならないことが最も重要な視点だと思う。研究のなかでこれらをどう考慮しているのかを知りたい」と言うのが華山教授の質問の趣旨であった。筆者は、過去25年間、環境アセスについて研究と実務の双方に係わり続けてきたが、故華山教授の公聴会における言葉は、今でも大きくのしかかっている。環境アセスのように、社会的公平性が強く要求される制度では、相対的に見て社会的弱者の立場にある住民らに不利益となるシステムは許されないからである。

2.NEPAと公平性

 筆者は、その友人と20数年前、環境アセスに係わる制度と手法の調査を行った。成果は、「計画アセスメントの理念と方法」(*2)としてとりまとめられた。その後、国がアセスの法制度化を断念したこともあって、計画アセスメントについての成果は、結局一度も日の目を見ることもなかった。しかし、計画アセスの名称と概念は、ひろく社会に浸透するようになった。計画アセスについての集中的な調査研究のなかで、アセスの本場、米国における社会制度のなりたちと運用の現場に接することができた。なかでも国家環境政策法(NEPA)は、いろいろな意味で我が国の制度づくりに多くの示唆を与えてくれた。

 1969年ジャクソン上院議員らの議員立法によって成立し、1970年に発効した米国の国家環境政策法(NEPA, National Environmental Policy Act)がその後紆余曲折しつつも米国社会に定着しているのは、制度、運用の両面で社会的公平性を保証しているからであると考える(*3)。具体的には、連邦行政手続法(APA, Administrative Procedure Act)及び連邦情報自由法(FoIA, Feedom of Information Act)がNEPAの成立以前に存在し、国レベルの情報公開や行政手続が広く社会に浸透していたこと、それにより、市民や国民の環境アセスに関連する評価書案以外の情報資料へのアクセスが容易となっていたこと、また、公聴会以外に公開討論会はじめ非公式な各種情報交流、議論の場が確保されていることがある。これらによって住民、市民の情報アクセスや意見陳述が行政機関や事業者と比べ不利とならないよう配慮されていることがある。

 次に、政策や計画立案の早期の段階に環境アセスが適用されることにより、政策や計画の変更が可能となったことがある。我が国の場合、アセス手続きにいくら関与し、何を言っても計画はまったく変わらない言う無力感が広く住民、市民に浸透しており、これがアセスの社会的信頼性の低下の主因となっている。もちろん、その背景には我が国に固有と思える行政機関の意思決定プロセスの硬直性があることは否めない。

 さらに、NEPAでは「代替案の分析」を環境影響の評価プロセスに義務づけたことにより、結果的に、環境影響の予測や評価と言った専門的な問題を住民や国民にとって非常に分かりやすいものとしたことがある。これはきわめて重要な点である。計画に代替案が存在することは、環境影響の違いだけでなく、計画立案過程の透明性の確保においても多くの社会的なメリットをもたらす。

 NEPAが存在すること、すなわち環境アセスの法律が存在することにより、国民は司法審査、すなわち環境アセスの手続や内容などをめぐって比較的容易に裁判が起こせるようになった。これは手続法としての環境アセスの実効性を担保する重要なポイントである。もし、環境アセスが単なる行政的な手続であれば、一定の時間の経過の後、すべての案件はほとんど修正されることなく、通所の許認可プロセスに移行し、事業が進行するからである。この点について、かつて米国大統領府環境諮問委員会(CEQ)に在籍した政府の専門家は、次のように指摘している。「連邦政府の行政官を裁判所にひきだすことによってNEPAの真価が発揮される」(*4)と。我が国の現在の法体系では、環境問題に関して未然防止的な観点から行政訴訟を住民側が提起できる可能性はほとんどないと言ってもよい。以下、我が国のアセスの公平性に係わる課題を実務レベルで検証してみたい。
    

3.アセスの主体
 
 環境アセスに係わる諸問題のうち、もっとも大きな課題は「誰が環境影響を予測し、評価しているか」、すなわち誰がアセスの主体であるかと言う問題である。これについて、東京都渋谷区恵比寿のサッポロビール跡地で行われた大規模都市再開発のアセスに地元住民として継続的に係わってきた環境NGO代表、上田 明氏は毎日新聞社のインタビューに答えて以下のように述べている(*5)。

 「自分で試験問題を作ってそれに答えて採点する。これで不合格になるほうがおかしい」

 上田氏が指摘するように、現行アセス制度は、事業者が自分で試験問題を作成し、自分で試験問題に解答し、自分でそれを採点する仕組みとなっている。これは国の実施要綱アセスだけではない。川崎市はじめ東京都、神奈川県、北海道などの自治体の条例アセス、また名古屋市、神戸市など要綱アセスでも同じ仕組みである。道路を開発したい事業者が、自ら地域環境の現状を調査し、将来の環境影響を予測し、予測結果を評価し、そのあげく影響が著しいので事業は中止すると言うであろうか。我が国の過去の事例をみれば、「影響は軽微である」と報告されている。計画の中止はもとより、設計の一部変更ですらまれにしかない。これが現状のアセスの本質であると言っても過言ではないだろう。

 現状のアセスは、言うなれば「事業者による自作自演」であると言える。
 もっぱら、NEPAでも評価の制度的な仕組みは基本的には変わらない。連邦道路の環境アセスは連邦道路局が行い評価している。しかし、米国では、後述するようにアセス書案を評価、審査、批判する主体が行政、議会、専門家、NGO、マスコミなど多様であり、かつ不備なものには容赦なく司法審査(裁判)が待っていることから、我が国の場合とは本質的に異なると考えられる。なかでもCEQ、環境保護局(EPA)など、環境に係わる行政組織の立場が我が国と異なる。また、天然資源防衛委員会(NRDC)、シエラクラブなど強力なNGOの存在、さらにそれらを支援する弁護士や専門家の存在も大きい*6,*7。

4.評価の方法

 我が国のアセスをわかりにくく、結果的に不公平なものとしているもうひとつの問題は、技術的評価のあり方にあると思われる。日本のアセスでは、絶対的な価値尺度を指標(ものさし)として、影響の有無を評価している。これを絶対評価と言う。たとえば、大気汚染を問題とするときは、大気汚染防止法に示される環境基準、水質汚濁の場合には水質汚濁防止法における環境基準などがその「ものさし」となる。

 この場合の課題の第一は、いうまでもなく環境基準が存在しない項目、たとえば廃棄物処理などに関連し近年大きな社会問題となっているダイオキシンなどの未規制有害化学物質は、すべて評価の対象から除外される。社会がこれだけ国際化され、インターネットにより米国の環境保護局の有害化学物質のホームページが簡単に日本からアクセスできる時代だから市民団体や住民団体は諸外国の基準を知ることが多い。にもかかわらず、我が国のアセスでは、絶対評価を原則としているために、基準がない環境要素は、はじめから除外されることになる。

 では、環境基準など基準が存在すれば問題がないであろうか。
 ここでも課題が山積している。たとえば、道路事業のアセスでは、排出寄与及び健康影響の観点からは浮遊粒子状物質(SPM)大気汚染のアセスは必須であるべきだが、ことSPMについては、環境基準があっても、大都市では基準の達成がきわめて困難であるという行政機関や事業者による恣意的な判断によってアセスの予測、評価の項目から除外されて久しい。

 また、いわゆる「アワセメント」の問題もある。
 行政、民間を問わず開発事業者は、数値上の操作(これをアワセメントと言う)をしてでも、絶対評価基準をクリアーさせようとすることが多い。たとえば、首都圏における幹線道路事業の環境アセス書案の多くの事例では、現状で大気汚染や騒音の環境基準を大幅に超過している地域に1日に5万台から10万台の自動車が走行する幹線道路を新設する場合でも、アセスの5年後、10年後に環境基準を達成すると結論づけているものがほとんどである
(*8)。専門家がどう判断しても環境基準の達成が不可能と思えることが、ここでは、事業者により堂々と提起され、最終的には「時間切れ」やせいぜい「水掛け論」となり、当初案がそのまま通る。事業は当初計画に近い形で着工となる。

 NEPAでは、この種の技術評価に係わる問題を先に示した「計画代替案の存在とそれぞれに対する環境影響の分析、評価」を事業者に義務づけることにより解決しようとしている。すなわち、事業者に対し立地、土地利用、構造、設計、保全対策等について代替を提起させ、それぞれの代替案について大気、騒音、自然環境など、環境要素毎に相対的に評価させることにより、結果としてどの計画代替案がすぐれているか、トレードオフ(二律背反)問題はどこにあるかが理解できる。また、NEPAでは社会経済要素についても参考として評価させることが多い。これにより事業による立退者数、工期、工費などとも計画代替案毎に比較、考慮できる。

シアトル市の橋梁の再開発事業のアセス(*9*10) では、19種類の代替案が評価書案で概括的に分析され、5つの案に絞られ、詳細分析の後、最終案が選定されている例もある。この事例は、立地は再開発事業であるのであらかじめ決まっているので、我が国の事業者らの批判、すなわち「狭小な国土に多くの人口が居住する我が国には代替案はなじまない」と言う主張はまったく意味はない。


5.環境部局の役割

 環境問題の専門組織である環境部局はアセス手続き、制度のなかで何をしているのだろうか。

 実態を見ると、環境部局の多くは「手続法」としてのアセスの手続きを円滑に進めるための進行役、場づくりだあると言ってよい。要約すれば、アセスの調査の範囲や程度を決める事業者への事前相談、調査が完了し出来上がったアセス書案の告示・縦覧、住民などからの意見書の受理、公聴会制度がある場合、告示や公述人の選定、議事録作成、さらに学識経験者らにより構成される審査会が設定されているときはその事務局など、これらを粛々と進めることが環境部局の役割となっている。もちろん、環境影響評価室、審査室などの名称がついている環境組織の一部では、審査会においてアセス書案をチェック、審査する上での補佐や支援をすることもある。これをクロスチェックとよんでいる。だが、事業者が膨大な経費と歳月をかけ専門コンサルタントを使い作成した評価書案の記述内容を、ジェネラリスト化されている行政職員が短期の間に専門的にクロスチェックすることは容易ではない。ここに我が国の環境アセスが実態的にうまく機能していない大きな理由がある。

 仮に現行制度のもとで、事業者が調査、予測、評価することをやむをえないとした場合でも、環境部局が第三者的な立場から事業者の評価内容をクロスチェックできる強力な体制が必要となるだろう。自治体の場合、同じ知事のもとに事業部局と環境部局が位置することから、事実上これもきわめて厳しいものがあろう。

 この点、国では、本来、自治体に比べ環境部局(環境庁)の独自性は高いはずであるが、NEPAにおけるCEQ、EPA(含む研究所)のスタンスとは大きく異なる。たとえば、環境庁の場合、現在、人事面から見ても環境影響審査室、環境影響評価課には、技術系の職員がほとんどいない。 さらに、国立環境研究所などの専門組織がアセス案件の審査に公式、非公式を問わずまったく関与していないことも大きな課題となっている。一方、事業者側は、建設省を例とすれば土木研究所など研究所が全面的にバックアップしている。

 このように現状では、環境部局や環境庁に第三者的な環境影響の審査やチェックを期待することは難しい。ここにも現行の環境アセスが社会的に信頼されにくい大きな理由があると思える。

6.審査会の役割

我が国には学識経験者らによる審査会或いは審議会がある。
 環境アセスのように本来、ひとつひとつの事項が極めて専門的な領域に係わる問題の審査やクロスチェックを環境行政部局やその職員に依存することは課題があるかも知れない。したがって、大気、水質、騒音振動、植生、動物など、環境要素ごとに専門家や研究者を用意し、環境行政機関の代わりに専門的に審査してもらうことはそれなりに合理性があると考えられる。

 このように、「我が国に固有の審査会や審議会」の存在は一見合理的のように見える。しかし、現実には良く言われるように行政機関の「隠れ蓑」として機能することも多い。調査(*11) によると、東京都の場合、審査会委員の平均年齢は70歳を超えていた。委員は大学の名誉教授が多かったが、現状では実務的に審査を行うこと困難であると思える。その理由は、本冊と資料をあわせると500頁から1000頁に及ぶ評価書案をたとえ、委員の担当部分ではあっても短期間に目を通し、具体的な課題を指摘することは容易ではないからである。通常、審査会の開催以前に評価書案が委員に送付され詳細に目を通す機会は少なく、しかも委員らによる現地視察もほとんどない。

 委員が個別案件に個人的に関心があり、独自調査や追試チェックをするような場合や研究室の学生等に予備チェックをさせるような場合を例外とすれば、大部分は審査会当日、行政の担当事務局からの説明を聞いた上で、ひとことふたこと担当部分についてコメントをするに止まるであろう。先の東京都の場合、審査会の議事録は公開されていないから、どのような専門的な検討、議論がされているのか分からないことも課題である。審査会や議事録を公表しない理由として、行政機関は「公開することにより審査者に圧力がかかる」ことをあげることが多い。しかし、国の中央環境審議会もこのところ公開を前提としつつあるように、審査の公平性、客観性を保つ意味からは、逆に公開を前提とすべきではないだろうか。このように、審査会は形骸化していると言ってよい。
 
7.住民団体と専門家の役割

 では、冒頭の華山教授の指摘にある住民団体、市民団体の役割はどうであろうか。
 これについては、華山教授の指摘を待つまでもなく非常に厳しい状況にあると言ってよい。その厳しさは、ひとつは制度、手続きが教授が指摘する意味において住民側にとって原理的に不公平なことがある。もうひとつは、いわば丸腰の住民団体を側面から支援する専門家や弁護士の存在が我が国ではきわめて限られていることが指摘できる(*12,*13)。

 実際、環境アセスの手続きに、住民団体や地域社会がまともに対応するためには、専門家の支援を中心に相当の経費、時間などエネルギーを要する。我が国の場合、そのなかでも専門家の支援を得ることが非常に難しいものと考えられる。さらに、専門家の支援と関連し、我が国では評価書案以外の情報が事業者や行政機関から得にくい状況が住民団体側の大きな障壁となっている。

 ひとつは、国レベルでの情報公開法が存在しないことがある。しかし、自治体のように情報開示条例が存在する場合でも、関連情報やデータの多くは容易に入手できず、開示請求を行い、さらに行政不服審査さらには訴訟をしなければ開示されないことが多い。最初の請求で開示される場合でも数週間を要することがあり、結果的に必要な時に入手できないことになる。また、NEPAでは、ある行為がアセスの対象となった時点で告示されるが、日本のアセス制度では、評価書案ができてから告示縦覧となる。これは住民側にとって準備の観点から極めて不公平となることも看過できない(*14)。

 近年、地球環境問題への関心の高まりのなかで、米国の強力なNGOの存在が我が国でもクローズアップされている。米国には地球環境問題の前からNEPAなど環境アセスに関連する強力なNGOが存在していた。たとえば、ワシントンDCに本部がある天然資源防衛委員会(NRDC)やシエラクラブなどはその典型例である。ハーバード大のロースクール卒業生やカリフォルニア大学バークレー校の生態学者が参加するこれらのNGOは、多くのNEPA訴訟を指揮しアセスの質の向上に貢献してきた。我が国に本格的なNGOが少ないことは、アセスを社会的に定着、機能させる上で決定的なマイナス要因となっている。

 筆者らは、過去、住民団体らからの依頼で「代替環境アセス」を委託業務として限定的に実施してきた。これは、開発事業者がコンサルタントにアセスを業務委託するのと同様に、住民団体がアセスを専門家に委託すると考えればよいだろう。さらに、意見書の作成や事業者のアセスが見落としている項目について詳細に調査、予測、評価するような場合もあり、いずれも一定の効果を得ている。

 最近の事例(*15) では、東京都渋谷区の恵比寿ガーデンプレイス開発に関連し、地元環境NGO団体からの委託で実施したアセスでは、地域冷暖房施設の煙突から排出される大気汚染に関連して、結果的に事業者によって大規模な設計変更が行われ、さらに住民団体と事業者の間で環境モニタリングに関して協定が結ばれ、5年に及ぶ環境事後調査を継続しており、事業者、住民団体ともども社会的合意形成の観点からも大きな成果を得ていることが大きな特徴となっている(*16,*17)。

8.アセス業務の課題

 ここに述べる課題は、関係者当事者でもあまり意識されていないことと思われるが、環境アセスの公平性のひとつのカギを握るものと考えられる課題なので、敢えて述べておきたい。それは、環境アセスの調査業務、つまり調査、予測、評価の実務を行うコンサルタント(業者)の選定に係わる問題である。とくに、行政機関が開発事業者となる公共事業においてこの課題は、重要なものとなろう。 我が国では、国、自治体が「業者登録」制度をもっている。これはあらかじめ国や自治体の財務部局がコンサルタントや業者を登録させ、ある業務が行政部局から提起された場合、それらの中から数社から10社(東京都の場合)指名し、入札を行わせると言うものである。

 米国など海外諸国から再三にわたって改善が指摘されているように、このような指名競争入札は、いわゆる談合の温床となったり、適正な価格競争を排除するだけでなく、アセスに関連して次のような大きな課題をもつことになる。すなわち、環境アセス業務は、本来、客観的、第三者的な立場で調査、予測、評価などが行われることが社会的信頼性を得る上で肝心なものであり、公共事業の場合はなおさらのことである。しかし、アセスの実務を行うコンサルタントは、上記の業者登録と指名競争入札によって、自ずと入札への参加が制限される。逆説すれば、開発事業者は、いわゆるおかかえのコンサルタントを指名することが可能となる。実際、多くの事例では、指名競争入札に呼ばれる業者と最終的に落札する業者が概ね同じグループとなっている。さらに、行政機関や公団から出向ないしいわゆる天下りで行政関係者が行っている協会や財団に、一端アセスや調査業務を発注し、そこで内部調整し、傘下のコンサルタントに外部発注する形態もある。いずれの事例も客観性、第三者的立場が必要とされる公共事業の環境アセス業務の発注形態としてはきわめて課題があり、かつ不公平なものとなる。

 1996年1月1日より、世界貿易機構(WTO)勧告により我が国でも政府調達だけででなく、自治体に関連する業務発注(*18) に関しても原則として一般競争入札の導入が開始されたが、環境アセス業務の分野は依然として上述の指名競争入札や協会、財団への特命随意契約が大部分であり、業務発注に係わる透明性の確保からはほど遠い状態にある。

9.最後に

 以上、筆者が過去の実務において感じた不公平に係わる課題を述べてきた。
 いずれも、不公平の原因の多くは、我が国に固有な閉鎖的な行政機構、民主主義に関する政治意識の欠如など、社会風土に起因する。しかし、かつて環境庁の幹部が「環境アセスの審査官は、裁判所の判事と同じ立場にある」と言われたように、環境アセスは本来、社会正義を地域社会で具体的に実現するためのひとつのルールであるあり、それに係わる当事者には、本小論で指摘したさまざまな課題を制度、手続きはもとより、運用、実務の面で改善するために今後総力をあげて努力することが問われる。

なお、別添資料として筆者等が先に中央環境審議会企画政策部会に提出し公聴会での公述した際の意見の概要を示すので参考して欲しい。


《引用・参考文献》

(*1) 森田恒幸、「環境影響評価の政策効果に関する研究」(東京工業大学学位論文)、 昭和58年5月
(*2) 環境庁企画調整局、「計画アセスメント技法体系化のための基礎理論の検討」、 昭和55年3月
(*3) 環境庁企画調整局、「米国における計画アセスメント事例調査」、昭和54年3月 
(*4) ニールオロフ著、青山貞一訳、「市民のための環境アセスメント行動指針」、 武蔵野書房、 昭和54年8月
(*5) 「環境アセスに疑問、一石投じる住民報告書」、毎日新聞、1990年10月17日
(*6)青山貞一、「米国における市民運動の動向」、技術と経済、1987年12月号
(*7)青山貞一、「米国における企業・開発主体と地域住民とのコンフリクトと協調の実情に関する調査研究」、昭和51年3月  
(*8) たとえば、「安易な対応で進められる都市高速王子線の環境影響評価」、 エネルギーと公害、No.857、1985年5月日、
(*9) 環境庁企画調整局、「計画アセスメント技法体系化のための文献調査U」、
  昭和55年3月
(*10) 青山貞一、「地域に根ざした道路づくりーシアトル市の経験から−」、
  自動車とその世界、 1981年NO.10
(*11) 上田明氏による東京都環境影響審査会委員に関する情報開示請求
(*12) 青山貞一、「国、自治体のための公共事業の計画・実施における住民対応
  の手引き」、武蔵野書房、昭和57年4月
(*13) 日本環境プランナーズ会議、「アドボケイト・プランニング」、第一書林、 1991年3月
(*14) 青山貞一、「社会的合意形成面からみたEIS初期プロセスの課題」、環境技術、Vol.11,No.10、1982年
(*15) 環境総合研究所、「サッポロビール恵比寿工場跡地再開発事業による周辺住宅地への環境影響評価調査報告書」、1990年
(*16) 「住民アセスで変更−167mに伸ばします」、朝日新聞、1991年8月7日夕刊
(*17) 原科幸彦、津田義浩、「環境アセスメントにおける住民アセスメントの効果−恵比寿ガーデンプレイス計画を事例として」、第10回環境情報科学論文集、環境情報科学センター、平成8年10月 
(*18) 「地方公共団体の物品等又は特定役務の調達手続の特例を定める政令の施行について」、自治省行政局長、平成7年12月22日 


《参考資料》

中央環境審議会企画政策部会御中

環境アセス制度への意見書

                  青山 貞一、池田 こみち
                   (環境総合研究所)

1.情報公開の一般原則

  アセス制度の前提は例外なき情報開示にある。アセス法審議により国の情報開示について国民的関心が高揚するよう審議会で論議されたい。

2.アセスの実施時機

  実施時機は、基本構想、基本計画、整備計画など、計画段階でも柔軟に適用できることが望ましい。計画段階と実施段階の2回にわけて適用できることも考慮されたい。

3.アセスの対象行為

  個別事業のみでなく、累積的、広域的、複合的環境影響、環境負荷を把握するためには、土地利用計画、複合事業、総合開発計画など、より対象の幅を広くすべきと考える。


4.アセス適用の決定

  規模により一律に除外を決定することがないよう考慮されたい。適用を除外する場合理由を公表すること。

5.事業主体とアセス適用

  事業主体が異なる複数の計画や事業についても同時にアセスを行わせるような仕組みが必要である。

6.アセス実施の告示開始時期

  準備書ができた段階ではなく、アセスの対象と決定された時点で告示すべきである。準備書作成段階での告示では、レビューする側の準備時間がなく不公平となる。

7.代替案の存在

  立地代替案だけでなくさまざまな代替案が存在しうる。アセス制度から代替案の分析を除外することは、アセスの本質を著しくそこなうことになる。また、分析経緯についても準備書で公表することが望ましい。

8.評価項目の拡充

  評価項目については、道路事業において浮遊粒子状物質が除外されているように跛行性がある。 技術的な課題があるとしても重要な項目については含めるべきである。

9.地球環境保全との関連

  現行アセスには、地球環境関連項目がほとんど存在していない。電源立地などではCO2排出 量がきわめて重要であるにもかかわらず言及されていない。温暖化のように一国単位で考慮すべき項目であっても、進行管理の上から地域的な予測、評価は不可欠である。

10.評価について

  評価は、従来の環境基準等、絶対的指標や基準のもとでの評価に加え、代替案ごとの環境面か らの相対評価を義務づけるべきである。相対的評価を行うことにより、国民や意思決定者は、計画の環境面から見た良し悪しが判断できる。これにより計画、事業の環境面から見た相対的評価も可能となるはずである。   

11.環境基準超過地域における評価の問題

  国が自ら設定した環境基準をすでに超過している地域での大規模開発に対する予測、評価とくに評価の基本方針を明確にすべきである。これが明確でないとアセスの社会的信頼性はいつになっても向上しないと思われる。

12.アセス実施者の公表

  事業者名だけでなく、実際にアセスにたづさわったコンサルタント等の氏名住所も公表すべきである。これにより、アセスに係わるコンサルタント、技術者の意欲や環境アセス、さらに関連技術の質も高まると考えられる。

13.アセス実施者の選定

  アセス関連業務の入札に際しては、WTO勧告を含め業者間あるいは行政−業者の談合が発生し ないような制度的な枠組みをつくることが不可欠であると考える。

14.事後調査

  建設工事段階、供用段階で事後調査を行い公表することを義務づけるべきである。大切なことは、 実際に供用された段階で著しい影響が存在した場合の措置である。

15.アセス技術指針

  定量的な予測技術は、10年前と比べ格段に進歩している。より高度な予測、シミュレーション 等の技術についても適用が可能となるよう配慮すべきである。

16.アセスの国外適用

  ODAなどを通じて海外で計画、実施される行為に日本のアセス制度を適用すべきである。とくに途上国への援助に関連してこのことが必要となる。それは環境影響、環境負荷の輸出とな ることを未然に防ぐためである。 


* 本意見書は、環境アセス制度を審議している中央環境審議会企画政策部会に提出し、かつ池田こみちが公聴会で後述した内容の概要である。




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