モンテネグロ
 
YT6A 滞在記
Staying YT6A (1)


青山貞一 JA1IDY
Teiichi Aoyama

April  2007

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 2007年3月9日から16日まで、研究でクロアチアのドブロブニクとモンテネグロのコトルを現地調査する機会を得た。そこで、2006年6月3日、人口わずか60万人で独立したばかりのモンテネグロにいる友人で著名なアマチュア無線家、ランコ氏(YT6Aなど多数のコールサインをもつ)に連絡したところ、モンテネグロのヘルセグノビに到着したら電話をくれとメールが返ってきた。

 3月11日、モンテネグロの古都、コトルに行く途中、ヘルセグノビを通過した。そこで、ランコへの連絡を試みたが失敗。翌12日、クロアチアから再度、国境を越え、モンテネグロに入り、ランコ氏との接触を試みた。

 以下は、その後の経過である!

 
2007年3月12日

 今日になってクロアチアに到着後吹いていた強風がやっと止み快晴となった。

 ドブロブニクの本格調査もしたいが、会う約束をしているモンテネグロ、ヘルセグノビにいる友人(ランコ氏、YT6A)に何とか連絡を取ろうということになった。

 例によって朝はツァヴタットのパン屋さんに行く。今日は車だが、駐車するところがない。やっとのことで探す。入り江近くだ。

 今日はちょっと違った種類のパンを食べる。コレもすごくおいしい。

 朝食後、ドブロブニク空港に行く。

 ここなら国際電話が簡単にできるだろうという想定である。今日はそこそこ店も開いている。まずカードがないと電話がかけられないので、売店で20クーナ(420円)のカードを買う。

 カードでモンテネグロのヘルセグノビにいる友人の携帯に電話を入れる。だが、何度かけてもかからない。お話中ではなく、日本で言えば、「現在使われておりません」状態。

 当初は国番号が間違っているのではなどかけ方に問題があるかなといろいろ試した。だがダメ。

 そのうち、インフォメーションの女性が03の0は不要と言いだし、0をはずすがそれでもかからない。

やっと太陽がでてきた。アパートから 空港の1階ロビー。ここで電話する

 最後の手段として、再度、モンテネグロ、それもクロアチアに最も近いモンテネグロの町である、ヘルセグノビまで車で行き、そこで電話をかけてみようということになった。

 もし、それでもダメなら、あらかじめ住所を貰っているので詳細地図を入手し、住所のある場所に行ってみよう、という「突撃作戦」まで考えた。

 何しろ25分もあれば、ドブロブニク空港からヘルセグノビまで車で行ける。

 これ以上クロアチア側でイライラするより、現地で考えようと言うわけだ。とは言え、電話には不安がよぎる。

 車を飛ばしヘルセグノビに行く。

 以下のグーグルの衛星地図は、ドブロブニク旧市街、ドブロブニク空港、ヘルセグノビの位置関係を示している。空港はドブロブニク旧市街とヘルセグノビの間にある。


ドブロブニク旧市街、ドブロブニク国際空港、ヘルセグノビの位置関係
 
 今日は何しろ天気が良く気持ちが良い。こちらに来て初めて晴天だ。

 モンテネグロのヘルセグノビに到着後、電話をかけたいのだが、前日、バスターミナルでカードを買い損なっている。

 モンテネグロではどういうわけかユーロが日常的な貨幣となっている。

 東京から持参したユーロのコインで電話を掛けられる。まだ時間があるので、池田さんの提案によ通貨道路ではなく、旧市街に入ってから電話をしよう、言うことになった。

 すごく曲がりくねったヘルセグナビ旧市街を海岸に沿って走る。

 一方通行の道路を行くとすばらしい海が見える場所で一端駐車する。



 池田さんはそこに駐車していたおじさんに話しかけている。

 数分後、何とそのおじさんが池田さんのメモを見ながら携帯電話をかけているではないか。池田さんも結構やるなあ。しかし、おっさんが電話をかけてくれたものの、やはり通じないと言っている。

 ヘルセグノビ市内で携帯電話をかけ通じなければもう電話は諦めるしかない。

 いずれにしても駐車していた道は一方通行なのでもう少し先まで行こうと、旧市街を走ると、リゾートホテルそのものの豪華なガラス張りのホテルがあった。

 ホテル・プラザとある。ここで最後の電話をかけようとレンタカーを降りる。


モンテネグロ・ヘルセグノビのリゾートホテル「ホテルプラザ」


モンテネグロ・ヘルセグノビのリゾートホテル「ホテルプラザ」

 つかつかとホテルのフロントに歩いて行くと、ひろびろとしたホテルのフロントに女性が3人いる。私が電話をしたいというと、親切にもフロントにある固定電話から友人に電話を入れてくれる。しかし、ここでもダメ。絶望的。

 そこで住所に突撃しようとなり、フロントの女性にメモを見せると、何と、”ランコ”というその知人の名前を指さして知っている模様。これにはびっくり。友人はヘルセグノビの有名人らしい。

 何と、彼女が友人であるランコ・ボカ氏の事務所に直接電話を入れてくれ午前11時30分にこのホテルのフロントで会おうということになった。

 時計を見るとまだ午前9時、そこで車をホテルの駐車場に置かせて貰い、旧市街と海辺を散歩することにした。

 昨日、コトルに行く途中にヘルセグノビを通過したときは、何だこのまちはと言うくらい、変哲のないワサワサした海辺のまち、と私たちに映っていた。

 しかし、ヘルセグノビの旧市街は、アドリア海の入り江に面したすばらしい小さなまちだ。中世の面影がいたるところに残っていた。背後には黒い山がそびえる山と海に恵まれた南国風のリゾート地である。これらを歩いて2時間以上堪能する。

 海岸に降りる。下の写真のように何しろ海の水が綺麗だ。


なにしろ湾の水がきれい

 透明度が高い。日本ではなかなか見られない海と山である。

 今まで話していないが、私は45年前からアマチュア無線を趣味にしている。アマチュア無線で短波帯を使うと、世界中と交信ができる。ランコ氏はモンテネグロを代表するハムで、世界的に有名なひとだ。モンテネグロが昨年11月独立したことで、ひときわランコの存在が大きくクローズアップあされていたのだ。

 事実、昨年7月、ランコがつくったモンテネグロの山の上のクラブ局、YT6Aから4O3Tと言うコールサインで全世界に電波を発信ている。以下はそのとき発行したQSLカードの写真である。



 そんなこともあり、都市国家の研究でドブロブニクとコトールに行くので、可能なら会いたいと一本メールを送っただけだが、彼からぜひ会おうと言う返事を一本メールで貰っていた。そこに携帯の電話番号と自宅とおぼしく住所があったのである。





 ヘルセグノビは思いの外すばらしいまちだ。

 地中海にはニースはじめ多くのリゾート地があるが、地形、気候、景観などを総合すると、おそらくモンテネグロのヘルセグノビは、世界有数のリゾート地ではないかと勝手に思ってみたりした。

 旧市街の寺院、広場、遺跡などを歩いて散策する。











 ヘルセグノビも、ネコの楽園?。 至る所でネコが闊歩していた。



 そうこうしているうちに、午前11時半となり、ホテルのフロントに戻る。

 つづく