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教育は
戦後暫定運営のまま


古山 明男(私塾主宰)

出典:構想日本
JIメールニュースNo.255


掲載:2006年6月30日
 
 戦後60年が経過し、民主主義政体も地方自治も、それなりに定着した。しかし、その流れにまったく取り残された領域がある。教育である。

 教育では、上は文部科学大臣から、下はヒラの教員にいたるまで、すべての役職が上からの任命であり、保護者、住民からの信任や不信任がつきつけられる役職がまったく存在していない。問題が起こると責任者がつぶやく。「私は職務に忠実だっただけなのに」

 私は、私塾を主宰していて不登校の子どもにたくさん出会った。たいていの不登校の子どもたちは、恐怖ですくんでいて、コミュニケーションをとることすら難しい。従来型の教育の中でなんとかしようと、親や教師が無理をしたためである。

 欧米諸国だったら主権在民が確立している。特定の学校への不適応があっても、なんとか別の道がつくものである。学校も柔軟に変化してくるし、いろんな私立学校ができてくる。在宅教育の道もある。

 日本の場合、不登校問題を「学校に適応できない子どもが増えた。なんとか就学義務を守らせなければ」としか捉えられなかった。新しい教育が生まれず、たくさんの人たちが路頭に迷った。

 問題は、教育を受ける側の権利保障がないことと、学校システムの硬直である。

 戦後の日本教育は、地方分権的、住民参加的なシステムに移行する予定であったが、当面は文部省が暫定運営を任されていた。

 ところが、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(1956)で、文部省側が戦後暫定運営を実質固定した。この法律によって、教育委員会が文部省の支所化し、地方分権と民意反映の機能を果たさなくなった。それが半世紀も続いた。

 戦後教育では、人々のためのシステム構築がまだなされていないのである。教育基本法の改正が言われるが、これは、文部科学省権限の強化で問題を乗り切ろうとしているものであり、本質に触れていない。

 教育改革をほんとうに考えるなら、

1 教育委員会制度の見直し・・・教育委員公選制を復活させるか、
  あるいは教育委員会を廃止して学校分権にするかの、二つの
  道があるだろう。

2 学校を作る自由を認める。オールタナティブ系私学の発生を
  可能にする。

 この2点が、改革の本筋だと思う。

 なお、学校システムの現状とこれからの方向について、わかりやすく論じた本を上梓した。

 『変えよう!日本の学校システム ―― 教育に競争はいらない』 
 平凡社 1680円(税込)

 お手に取っていただければ幸いである。

*古山 明男(ふるやま・あきお)氏のプロフィール
1949年、千葉市生。出版社勤務ののちフリー。私塾、フリースクールを主宰。15年間ほど、補習、受験、自主性涵養、不登校児童生徒援助、教育相談など、地域のニーズに応じた教育活動を行う。

ホームページ「古山明男の教育論集」
http://www.asahi-net.or.jp/~ru2a-frym/
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