エントランスへはここをクリック         

上州みなかみ町、自然と歴史短訪

泰寧寺
Tainei Temple in Minakami. Town

青山貞一・池田こみち
 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年7月26日
 

撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2022年7月

泰寧寺1   泰寧寺2    泰寧寺3    泰寧寺4

本堂と鐘楼

 以下は泰寧寺の本堂。



撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日


 以下は泰寧寺の鐘楼。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日

 以下は鐘楼から見た本堂。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2022年7月26日

 下は鐘楼の袴の裾に置かれた7つの石仏。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S98800 2022年7月26日


泰寧寺の歴史・沿革

 出典:古今東西 御朱印と散策

 鎌倉時代末期の延慶二年(1309年)、西国より来た真改(しんかい)という者が寺を建立し泰寧寺と号したのが始まりと云われている。当初は臨済宗の寺院として開創された。

 その後、須川の領主細川伊豫守源綱利が境内地、山林を寄進して開基となり、開基の細川家の家紋(九曜星)をとり寺の定紋とした。(真改開基説と細川開基説がある)

 乱世にあって室町時代末期(戦国時代)の享禄元年(1528年)頃まで本末の儀式中絶し、一時は衰退し荒廃する事となる。

 天文六年(1537年)になり、月夜野村(現 みなかみ町)の三峰山玉泉寺八世洞庵文曹大和尚が隠居寺に望まれたことにより山号を泉峰山(玉泉の泉と三峰の峰をとる)と号し、曹洞宗の禅寺となし伝法(中興)開山となられた。

 二世の南嶺長薫和尚は先師の後を薫し、さらに、江戸時代初期の寛永十年(1633年)三月六日三世を継いだ学庵長芸和尚は御開山の遺志にて寺場を現在の細尾に整え、今ある泰寧寺の基礎がなされた。

 現在の本堂は、江戸時代中期の寛政七年(1795年)に十五世瑞峰本満和尚の代に再建がなされ今日に至っている。

 本堂内陣の安土桃山時代の製作とされる須弥壇と欄間は昭和二十六年(1951年)十月五日に県指定重要文化財に指定されている。また、山門は江戸時代の安永四年(1775年)に竣工したものと云われ昭和二十八年(1953年)八月二十五日に県指定重要文化財に指定されています。

 二十五世大愚和尚の代に至り遠州(現 静岡県袋井市久能)の秋葉総本殿可睡斎(御本尊:秋葉三尺坊大権現)から奇瑞な法縁により、その御分躰が勧請奉安され火防守護の霊場として広く信仰され、火災消除、生業繁盛、所願成就の祈願所となっている。

 泰寧寺山門前には押野(おしの)用水と呼ばれる用水が引かれてあり、大門には用水紀功碑がある。起工は寛文三年(1663年)で真田伊賀守信利(沼田藩初代藩主)の時代である。雨見山と高畠山の間にある渓流入須川の水を引き入れ、標高約八百メートルの辺りを高畠山の中腹まいて約六キロメートルに及ぶ用水を作った。これにより須川平の開田は急速にんだ。

 三国街道旧須川宿を中心とした「たくみの里」の一角の山中に建つ泰寧寺は森厳な雰囲気に包まれている山寺。山深い土地だけに、初夏から夏にかけての境内ではヤマユリなどの山野草の花が目立つ。アジサイ寺とも呼ばれるだけにこの寺を象徴する花といえばアジサイの花と言えるであろう。

 そのほとんどはホンアジサイと、ガクアジサイの二種類で、境内入り口から山門、更には本堂にいたる参道の両側に植栽されていて、例年約二、〇〇〇株のアジサイが境内一面に咲き乱れ七月上旬頃からはゲンジボタルと花の競演が見られることもあり七月下旬頃には花のピークを迎える。(花ごよみ:アジサイ6月下旬~8月上旬、ヤマユリ7月中旬~8月中旬)(境内泰寧寺由緒案内板より)


 江戸時代初期の寛永10年(1633)に学庵長芸和尚の代に現在地に移し境内を整備、現在の基礎が固められた。地元地域にも開かれた存在で、江戸時代には境内を寺子屋として開放し、明治6年(1873)には学制制度発布に伴い須川小学校の校舎として利用されている。
(出典:泰寧寺 https://www.guntabi.com/minakami/taineiji.html)

 そのなごりか、写真にあるように、夏休みに地域の子供たちを集めて「素読塾」を開催している。

 素読とは言葉の意味や内容は別として、文字を声に出して読む江戸時代の学習法の一つで、論語は孟子、和歌や先陣の散文などを読むとのこと。昨年の8月2日に開催された素読塾には、30名を超える参加者が集まり宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」などが読み上げられたそうだ。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S8800 2022年7月26日


本稿おわり

関連論稿
上州みなかみ町 自然と歴史短訪 一ノ倉沢 5本