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大野山本遠寺1
Honnon Temple in Mt.Ohno

青山貞一・池田こみち
Teiichi Aoyama / Komichi Ikeda
 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年5月15日
 

本遠寺(ほんのんじ)の本堂前の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


身延山総合目次  2022年5月分は最下段(本遠寺1~日朝堂までです)!
久遠寺  伽藍1  伽藍2  伽藍3  伽藍4  伽藍5  宝物館1  宝物館2
奥之院 塔頭  宿坊  西谷御廟1  西谷御廟2  西谷御廟3  西谷御廟4
お万の方像1   お万の方像2   お万の方像3   七面山・敬慎院
本遠寺1 本遠寺2 養珠院廟所 日遠廟所 日朝堂・廟所 日朝堂・本門寺



本遠寺へのアクセス
 
 
以下は本遠寺の位置。


出典:グーグルマップ

 鉄
道: JR身延線身延駅から徒歩25分。
 バス: 山梨交通大野バス停から徒歩15分。
 車 :  久遠寺より約10分

 本遠寺の住所 〒409-2532 山梨県南巨摩郡身延町大野839


はじめに

 
久遠寺に何度も行きながら、今まで行きそびれていた大本山本遠寺に2022年5月15日、やっと訪問することができ、一連の日蓮の足跡を辿る旅も終盤となった。ここ本遠寺は、身延山久遠寺から車で10分ほど離れた富士川右岸の大野という集落にあり、山号は大野山である。養珠院(お万の方)が建立に関わり、深く帰依した開山の祖である日遠上人の御廟所に並び、お万の方ご自身の御廟所がある。

 
久遠寺に何度も行きながら、現地視察、参拝を願っていた山梨県身延町にある養珠院(お万の方)が建立に関わり、自身の霊廟

 車なら久遠寺より約10分のところにある。

 
私達は2022年5月15日、東京から山梨市にある根津記念館を視察後に遠寺を訪問・視察した。

 訪問時、たまたま本遠寺の住職がおられ、大変親切に本堂内をすべてご案内いただき、お万の方が徳川家康に見染められた経緯から本遠寺創建に至る、非常に貴重なお話しを伺うことができた。また本遠寺のお札を頂いた。感謝、合唱



本遠寺の本堂内に入る池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15



本遠寺の本堂内を住職の案内で歩く池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15



 
以下は大野山本遠寺本堂、入母屋造、本堂。すばらしい檜皮葺である。


大野山本遠寺本堂、入母屋造、檜皮葺の本堂
Source Wikimedia Commons CC 表示-継承 4.0, リンクによる


本文

 本遠寺(ほんのんじ)は山梨県南巨摩郡身延町にある日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は大野山である。

 開山は総本山・身延山久遠寺を隠退した心性院日遠、慶長14年(1609年)に徳川家康の側室・養珠院お万の方の帰依を受けて創建であり、久遠寺関連の寺としては、比較的新しい。

 養珠院お万の方との関連のため、本遠寺は通称、「お万さまの寺」とも呼ばれる。

 小西法縁。貫首は66世・髙佐日瑞。本堂と鐘楼堂が国の重要文化財に指定されている。境内にはお万の方、養珠院と日遠の御廟所があり、境内の一角には塔頭の良円寺がある。

 以下の地図は、本遠寺と良円寺の位置関係を示している。良円寺は本遠寺の山門を入る直ぐのところにある。


本遠寺と塔頭の良円寺
出典:グーグルマップ


本遠寺(ほんのんじ)の山門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15

 上述のように、私達は、2022年5月15日に参拝と視察し、偶々いらした本遠寺の僧に本堂内をご案内いただき、本遠寺の縁起(創建の経緯)などの詳細を伺うことができた。

本遠寺の概要

 『甲斐国志』によれば、本遠は慶長14年(1609年)徳川家康の側室・養珠院(お万の方)の帰依を受けた久遠寺22世・日遠が開山となり創建した。

 承応2年(1653年)養珠院が亡くなり、遺言により、本遠寺に埋葬された。

 本遠寺の扁額は銘によれば日蓮宗を信仰していた本阿弥光悦が、寛永3年(1626年)に父母の供養のため揮毫し奉納されたものであるという。


本遠寺開山までの経緯

 晩年の徳川家康が最も寵愛した養珠院(お万の方)は天正5年(1577年)に生まれ、17歳で家康(51歳)の側室となる。

 22歳の時に日蓮宗信徒の養父母を亡くし、仏教への帰依を深めた。慶長9年(1604年)行学に優れた心性院日遠が33歳で身延山久遠寺に晋山すると、お万の方はその高名を知り日遠に師事した。

 慶長13年(1608年)徳川家の菩提寺である浄土宗増上寺(東京都港区芝)の学僧・廓山と、当時が日蓮宗不受布施派だった京の妙満寺27世・日経が江戸城で宗論(慶長宗論)を交わし、日経が敗れた。

 すると徳川家康は日蓮宗の各山寺院に、日蓮が他宗を折伏するために唱えた「四箇格言」の一つ「念仏無間」は経典にない空論だという誓状を提出するよう迫った。

 
※注)念仏無間(ねんぶつむげん)
  仏語。日蓮が諸宗を誹謗した四個の格言の一つ。念仏宗を
  信じる者は無間地獄に落ちるというもの。日蓮遺文‐御義口
  伝(1278)「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊喚事、無問
  自説」 出典:精選版日本国語大辞典より


 総本山身延の22世であった日遠は、誓状の提出を拒み、再宗論を求めて抗議したため、謀反者にされ安倍川の河原で磔刑に処される事となった。

 これを知ったお万の方は、師事した日遠と共に自らも処刑されると徳川家康に願い出た。
家康はお万の方の信仰心と覚悟を知り日遠を赦したという。

 
その後、日遠は刑余の身をはばかり身延山を出て大野の庵で隠棲する。お万の方は二人の子供、すなわち紀州の徳川頼宣と水戸の徳川頼房に命じ、大野に大伽藍を寄進させた。これが今の本遠寺となる。

 以下は本遠寺(ほんのんじ)の山門と立派な大クスノキである。


本遠寺(ほんのんじ)の山門と立派な大クスノキ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15



本遠寺の大クスノキの解説板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15




本遠寺の大クスノキの前にある水盤舎
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


◆本遠寺の大クスノキ の解説 
Big Cinnamomum camphora at Honnonji Temple

所有者 大野山本遠寺 平成24年8月30日指定
・幹根教会より1m上部の幹囲 7.3m  ■根元(幹根境界)周り 6.75m
・枝張り  東西22.2m/南北17.8m  ■樹高  19.0m

 クスノキ(樟・楠)は、クスノキ科ニッケイ属の常緑高木である。5月から6月にかけて、白く淡い黄緑色の花が咲く。樹皮は暗黄褐色から灰褐色。関東地方以西、韓国の済州島、台湾、中国南部、インドシナ半島に分布するが、古くから寺院や神社などに植えられ自生の範囲が明確でない。枝葉を蒸留して得られる樟脳は防虫剤や医薬品等に使用される。

 指定樹の根部は広く張り、地上より約4mで三幹に分かれている。元々五幹あり、北側の二幹は枯れた痕跡があり、その痕跡の周りは大きな空洞になっているが、現在、樹勢は旺盛であり上部で大きく枝を広げている。本樹は寺の創建以降の植樹と思われるが、記録はなく、樹齢は300~350年と推定される。

 国内のクスノキは、鹿児島県蒲生町八幡神社の「蒲生のクス」が樹高30m、幹囲24.2mと最大で樹齢は約1500年と言われる。県内のクスノキは、富士川上流に巨木が見られ、すべて植栽木である。身延町飯富の「八幡神社のクスノキ」は幹囲5.15m、南部町内船の「八幡神社のクスノキ」は、幹囲4.75mである。本樹は県下一のクスノキの巨木として平成13年に山梨の巨樹・銘木百選にも選定されている。((社)山梨県林業研究会)

 大野区では寺のご神木として崇められ、新年を迎えるにあたり、地域の有志が注連縄を張る。また、かつて葬儀の際は葬列が本樹を中心に右回りに三回まわる習わしがあり、地元の人々と深いむすびつきがあったことが伺える。

                   平成27年7月31日
                   山梨県教育委員会・身延町教育委員会


 以下は大クスノキの記念碑前の池田こみち


大クスノキの記念碑前の池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


 以下は、本堂を背景にしたお万の方の洗足の井戸。


本堂を背景にしたお万の方の洗足の井戸
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


 なお、本遠寺本堂の背後にある大野山の中腹には以下の写真のパゴダがある。


本堂の背後にある大野山の中腹にあるパゴダ戸
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


 以下はもう少し離れて撮影したパゴダ。左側にあるのが本堂。


少し離れて撮影したパゴダ。左側にあるのが本堂。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-5-15


本遠寺2へつづく