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<連載>
世界二大運河通航記
 スエズ運河編(5)



阿部 賢一

2006年2月21日


阿部賢一(あべけんいち)氏プロフィール
1937年、東京生まれ。68歳。シビル・エンジニアとして主として海外プロジェクト従事。海外調査・交渉・現地駐在は南米、アジア、中東諸国に二十五年以上に及ぶ。海外関係講義、我が国公共入札改革への提言、環境活動にも参加。2005年完全引退後も東京、山形(酒田)を拠点にして海外情報収集分析に励む。

14. エルサラーム用水路サイホン(El-Salam Syphon)

しばし、本船背後のスエズ運河架橋に見とれていた後、本船デッキ前方に振り返ると、運河と直角に横切るに大型の潅漑水路が望まれた。スエズ運河の下はサイホンで横断している。そして、それまでシナイ半島側には人家も農地もなかったが、この用水路の北側に広がる新興ビジネス街や住宅街が現れた。

エルサラーム灌漑水路はダミエッタからスエズ運河まで、ナイル河口デルタ地帯を横断する農業開発の幹線水路である。そして、スエズ運河の下をサイホンで通して、ナイル川の水をシナイ半島に農業用水を送水する。

このエルサラーム潅漑用水路計画には、日本政府は1981年度、46億円の有償資金供与を行っている。サラームとはアラビア語で「平和」という意味である。

このエルサラーム用水路サイフォントンネルは、エジプト政府が『北部シナイ農業開発計画』の幹線インフラとして推進しているもので、この用水路敷設によって、シナイ半島の地中海岸に沿って約17万町歩の湿地帯を埋め立て、潅漑による農業開発を行うものである。

エジプトの国土全体のうち、人の住めるのはナイル川渓谷地帯及びデルタ地帯のわずか4%、残りは乾燥・不毛の沙漠である。そして、降雨量はアレクサンドリアでは年間200mmであるが、そのほかでも80mmを超えることはない。シナイ半島北部の年間降雨量はわずか20mmに過ぎない。

プロジェクトの目的は、エジプトの人口過密地域で生活している人々を順次シナイ半島に移住させることにより、農業と畜産を開発して、農業生産の増大、収入増加と雇用の拡大をはかることである。


エルサラーム用水路サイフォントンネル断面図

プロジェクトは五つの埋め立て地域からなっている。これらの地域はいずれも塩分濃度の高い土壌である。第一次計画の四区画には21,600家族の入植を計画している。

 潅漑用水の水源はナイル河の水50%にナイルデルタのセルウ及びハドウス排水路からの排水を再利用したものを混ぜて供給される。潅漑用水は長さ1.3kmの長いサイホンでスエズ運河の河底を通るエルエルサラーム用水路サイホンによって導水されて、シナイ半島内約80kmに及ぶ水路が東部地区へと設けられる。第五地区へプロジェクトを拡げるには、第一〜第四地区より標高が高い地域であり、砂丘等を掘るための約30kmのトンネル及び揚水ポンプ場が必要である。

プロジェクトは三つの管理区域に分かれている。ポートサイド地方政府管轄が10%、イスマイリヤ地方政府管轄が20%、北部シナイ地方政府管轄が70%である。

プロジェクト全体の完成後は年間445千万トンの用水が、スエズ運河の下に建設されたこのエルサラーム用水路サイホンを通じてスエズ運河の東側のシナイ半島に供給される。サイホンは、スエズ運河の河底下に、長さがそれぞれ775mで平行に敷設された四つのトンネル部分からなっている。

サイホンは6月〜7月には、毎秒160ton10月には毎秒42tonを通水することになる。四つのトンネルを平行に敷設する方式がとられたのは、通水量の少ない時期に柔軟に対応するためと、維持管理を容易にするためである。

サイホンの入口と出口は15の勾配、スエズ運河河底部は東側の最下部地点に向かって1200の勾配である。トンネルの入口と出口部分は、それぞれのトンネルの中心間隔が12m、スエズ運河河底部の水平部分では15mに広がっている。
 サイホン掘削場所の地質は、高塑性でシルト質粘土や非常に細かい砂などの地層や堅い粘土などが何層にも重なり、その厚さが28mにも及ぶ。このため、先導坑として、直径6.5mのベントナイトスラリートンネルボーリングマシン(ヘレンクネクト・ミックスシールド)で掘られた。

 トンネルには二重の覆工がなされた。第一次覆工は厚さ300mmのプレキャスト鉄筋コンクリートのセグメント、二次覆工は厚さ320mmの現場打ち無筋コンクリートである。

英国のコンサルタント、ハークローが1991年から1995年まで、シナイ半島の灌漑システムのために、スエズ運河底部にサイホンを設けてエルサラーム用水路を延長する業務を行った。極めて厳しい環境条件において耐用年数50年のトンネルその他の諸構造物の基本設計と維持管理方式のノウハウを提供した。フィーは4,000万英国ポンド。

最初のトンネル工事が1995年に始まり、サイホン全体の完成は1997年であった*14

 インターネットの衛星写真資料を見ると、1991年には、スエズ運河の東側は何もない湿地帯、2001年には、シナイ半島側のエルサラーム灌漑用水路の両側には格子状の道路が伸びて、事務所や住宅の居住地域が確認できる。農地の区画も拡がっている。

エルサラームサイホンを過ぎると、本船左舷側のアフリカ本土側は農業地帯がはるか彼方まで続く。そして運河と併行して、鉄道と国道が走っている。国道の交通量は多いようだ。この国道を北上すれば約に20kmでポートサイド、南下すればムバラク平和橋取付部にぶつかり左折すれば一路カイロへの「沙漠高速道路」へと続く。運河沿いに農家が散在している。その農家に煙突のような土壁製の塔があり、穴が開いている。それらは、食用鳩の棲家だと教えてくれる乗客がいた。事前調査をしっかりとやってきたようだ。

一方、本船右舷のシナイ半島側は、黒い表土の湿地帯、植物類は何もない。

午後430分、前方にスエズ運河バイパスとの分岐点、ポートサイド港まであと約20km、ポートサイド郊外の街並みが見えてくる。本船の前を航行する船舶は、つぎつぎとそのバイパスの方へ舵を取る。

このバイパスは大型船舶、危険物運搬船舶などがポートサイド港を迂回して地中海に出るために設けられたものである。19999月に水路の掘削を開始し 20016月スエズ運河との接続が完了した。

 地中海出口には、アルソクナ港、コンテナーターミナルなどが建設され、その背後にはタックスフリーの工業団地の開発も進められている。

 本船だけが一路夕暮れの中をポートサイド港に向かう。

 午後6時、ポートサイド港に入る。地中海も見えてきた。出口近くの桟橋では、民族音楽と民族衣装のダンスが我々を歓迎している。

 早朝午前6時に始まったスエズ運河航行も午後6時、日中丸一日、12時間、途中、昼食のためにレストランに降りた以外は、殆ど本船の先端部と後部のデッキを往き来して、運河航行を充分満喫した。朝は小雨も混じるというあまりよくない天気であったが、ポートサイドに近づくと、雲も高くなってきた。風もあまり吹かず、穏やかな航行であった。快晴で強い日射を浴びるよりもよかったのかもしれない。


ボートサイド港接岸地点へ向かう(地中海を望む)

15. 本船上の土産売り

 エジプトの面積は日本の2.7倍、しかし、国土の96%が人の住めない砂漠地帯。人口は6,700万人、失業率も高い。そのなかで、スエズ運河通航事業はエジプトの基幹産業、主要外貨獲得源でもある。そのためか、スエズ湾入港以来、港湾関係者がどっと乗船してきた。船関係者によれば、必要以上の多数の税関その他の官庁職員が乗船してくるという。照明灯のスイッチを入れるだけの電気技師、作業船のボートマン、人員輸送ボートの運転手など、様々である。そのなかで水先人は、狭い水路を安全に航行させるために緊張して任務を果たしているのであろうが、その他大勢の職員・作業員の主目的は、船上各所でフロアに広げたお土産売りがどうやら本職のようである。乗船客もデッキ上での運河航行見物にあきると、これらお土産売りとの値段交渉に励んでいる情景が見られる。どれもちゃちな商品ばかりである。アラブ式?値切り交渉に励んで、安く買ったと得意になっている人もいたが、後でポートサイドの夜店でもっと安い良質品を見つけてがっかりするのが目に浮かぶ。

 やはり、折角の一日、本船デッキでビールを飲みながら両岸を眺めながらの運河通航を楽しむのが最高である。幸いというか、朝は小雨から始まったが、次第に高曇りとなり、強烈な日射にさらされることもなく、周囲の景観を楽しみながら穏やかな一日を過ごすことが出来た。このためかデッキを動き回った本船トパーズ号へミングウエイ・バーのウエイター達の売り上げはたいしたことはなかったようだ。事前調査をもっと詳しくやってくればよかったという反省もあるが、帰国して船旅を思い出しながら、航行中のメモ事項を調査したり確認したりするのもまた楽しい一面がある。

引用資料:

*1 スエズ運河衛星写真http://www.johos.com/omoshiro/bucknum/20000609A.html
*2 在エジプト日本大使館HP http://www.eg.emb-japan.go.jp/j/egypt_info/sangyou.htm
*3 帝国石油ホームページ等
*4 http://www.aoc.co.jp/news/pdf/050225_kouku.pdf
*5 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://www.combat.ch/library/history/middle_east_war/mew_006.htm
http://www.combat.ch/library/history/middle_east_war/mew_007.htm
*6 Lethsuez HP
http://lethsuez.com/index.htm
http://www.eorc.nasda.go.jp/imgdata/topics/2005/tp050701.html
*7 スエズ運河通航業務代理店 アトラス・サービス社のHP http://www.atlas.com.eg/scg.html
*8 http://www.penta-ocean.co.jp/suez_story/top.html
*9 http://www.halcrow.com/archivenews_nov01_swingbrid.asp
*10 http://www.sis.gov.eg/public/magazine/iss022e/html/mag10.htm
*11: http://www.jica.go.jp/english/publication/network/net_vol14/02oda.html
http://www.eg.emb-japan.go.jp/e/economic/grant_aid.htm
*12 http://www.jica.go.jp/jicapark/frontier/0202/08.html
KAJIMA News & Notes Vol.18 http://www.kajima.co.jp/topics/news_notes/vol18/v18a.htm
*13 http://www.sis.gov.eg/online/html5/o101021e.htm
*14 http://www.geocities.com/khodari/execsum.html#project
http://www.ita-aites.org/cms/327.html

2005年7月20日脱稿
建設専門誌『建設オピニオン』 2005年9月号〜11月号