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知事 田中康夫からのメッセージ
山口越県合併問題について

掲載日:2005.1.5

国家が、パスポートを保有する自国民に対して、その保護を約束している様に、仮令(たとい)、それが相対的には少数者であろうとも、長野県民であり続けたいと願う方々を護らねばならぬ責務が、長野県知事としての私には課せられています。

長野県議会平成16年12月定例会の初日に述べた、こうした想いは、今も猶、変わるものではありません。暫(しば)し再録をお許し頂くなら、提案説明の中で私は併せて、以下の見解を開陳(かいちん)しました。

集落が、そこに暮らす人々を中心として構成されるコモンズであるように、長野県も又、自律する信州としての統一性を目指すコモンズなのです。全国4番目の広さを有する県土の、何(いず)れの地で生活する方々も、誠実で勤勉で向上心に溢(あふ)れる、誇るべき県民であり、そのコモンズの未来は、構成員全員の意思を踏まえて決定されねばなりません。県境や山間の地で郷土を守って暮らし、引き続き本県民でありたいと願う方々を失う事は、信州が信濃が、長野県でなくなってしまう事へと繋がり兼ねません、と。

であればこそ私は、至らなさを改むるに如(し)くはなし、と反省した上で県民の皆様に頭を垂れ、1万人規模の県民意向調査の実施をお認め頂きたい、と県議会9月定例会に予算案を上程させて頂きました。が、県議会を構成する方々の大多数には残念ながら、構成員たる県民の意思を確認する必要性をお認め頂けず、12月定例会では議員提案で山口村の「越県」合併関連議案が議決されるに至りました。

同一県内での合併とは異なり「越県」合併は、面積や人口の数値の変動に留まらず、政治・経済・産業・文化と多方面に亘(わた)って、これからの長野県の県勢に少なからぬ影響を与えます。況(いわ)んや、道州制導入へと繋がっていく魁(さきがけ)こそは山口村の「越県」合併、なる趣旨の麻生太郎総務大臣の発言に於いてをや。

加えて、10の広域圏に自律的な220万県民が暮らす、言わば「信州自治共和国」とも呼び得る長野県は、「『脱ダム』宣言」でも謳(うた)われるが如く、正しく日本列島の背骨に位置しているのです。

私は危惧しました。東京からも名古屋からも等距離の、本来ならば優位性に富む筈(はず)の、そうした長野県の地勢が逆に災いして、件(くだん)の魁(さきがけ)としての選択は「越県」合併の連鎖を呼び、のみならず近い将来、道州制が本格導入の暁には、一つの道州に長野県が丸ごと帰属し得ず、例えば北陸州・東海州・関東州へと3分割編入される悲劇の可能性とて高いのではあるまいかと。

川中島の戦から450有余年、我らが郷土は再び、権力の都合で引き裂かれてしまうやも知れぬのです。その場合には、全国に誇るべき県勢を形作る上で多大なる影響を及ぼしてきた県域の、歴史有る職能団体やメディアとて、溶解の道を歩むかも知れぬのです。

「長野県が溶けてしまう」と申し上げてきたのは、こうした慨嘆(がいたん)の表れです。何を戯(たわ)けた発言を、と冷笑される向きも居られましょう。ですが、合併を経ずとも、地域住民の意向で名称変更も可能な市町村名とは異なり、都道府県名は廃藩置県の際に法律で中央政府が半ば一方的に規定した代物なのです。

善光寺下の一町名が県全体の呼称となった長野県とて例外ではありません。古文書にも登場する信州を、長野県知事なる呼称の前に常に冠して、信州自治共和国としての一体感の高揚を図ってきたのも、それが理由です。道州制は、中央政府の都合で区割りされていくのです。その魁(さきがけ)が山口村の「越県」合併である、との見解に接して、どうして心中穏やかで居られましょうか。

であればこそ、覚悟と想像力を冷静に持ち合わせた上での御議論と御判断を、と県議会の皆様に対して繰り返し御願いしてきたのです。更に理由は、もう一つあります。仮に山口村に続いて今後、他の県内自治体から「越県」合併の申請が為された場合にも、今回と同様の議決を下さねば、整合性に欠けるであろうからです。県庁所在地から遠く離れた山口村だけの特例とするのでは、憐憫(れんびん)という名の無関心が齎(もたら)した議決だと、歴史の厳しい審判を受けるでありましょう。

 とまれ、長野県議会を構成する58名の選良の内の49名が、山口村を岐阜県へと送り出そう、と白票を投じ、議決されました。

 県知事としての私の再選よりも8ヶ月近く後に実施された統一地方選挙で、県下各地の代表として県民の皆様が送り出された県議会議員の過半数を大きく上回る選良の方々が、岐阜県中津川市への「越県」合併をお認めになった、この事実に目を瞑(つぶ)る訳には参りますまい。呻吟(しんぎん)の末、私は県議会に於ける議決を厳粛に受け止め、山口村の「越県」合併申請を行う事を決意しました。

長野県民であり続けたい、と涙ながらに訴え続ける老齢の山口村民に接すると、今でも涙を禁じ得ません。様々な「優遇措置」を伴う平成の合併特例法を国が施行しなければ、「越県」合併など思い至りもしなかったであろう、との加藤出・山口村長の吐露(とろ)を思い起こすと、より一層、複雑な思いで胸が一杯となります。

 引き続き県境や山間の町村に暮らす県民の方々を護るべく、私は倍旧にも増して努力して参ります。

中津川市との合併後も、長野県への想いを断ち切れぬ現山口村民の方々からの御相談に対しては、私を始め、まちづくり支援室、コモンズ・地域政策チームの面々が、誠意を持って個別対応させて頂きます。

 この間の議論を通じて、向上心に溢(あふ)れる220万県民の方々が、長野県の将来、或いは住民自治や民主主義の在り方に関し、幾許(いくばく)かでも沈思黙考(ちんしもっこう)して頂ける機会を得たとするなら、それも又、2500年前のソクラテスの昔から遅々とした歩みなれど少しずつ成熟していく私達の民主主義の過程の一つだと言えるのでは。無念な想いと共に、私は今、そう考えています。


平成17年(2005年)1月4日 

信州・長野県知事  田 中 康 夫