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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

佐渡博物館・仏像


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
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佐渡現地視察総合目次 

 @全体概要  A能舞台  B金島書と能面  C面と人形
 D佐渡金山1  E佐渡金山2  F仏像  G生物


 次は仏像。


出典:The Art & Natural History Museum of SADO Japanos Google



出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

◆阿弥陀三尊  出典:Wikipedia
 阿弥陀三尊は仏教における仏像安置形式の一つである。阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍[1]の観音菩薩と、右脇侍[1]の勢至菩薩を配する三尊形式である。根拠は『無量寿経』・『観無量寿経』である。観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる。脇侍の観音菩薩は、頭上の髻の正面に阿弥陀の化仏(けぶつ)を表し、勢至菩薩は同じ位置に水瓶を表すので、両脇侍は比較的区別がつけやすい。日本では、東京国立博物館が収蔵する「銅造阿弥陀如来及両脇侍像(法隆寺献納)」[2](重要文化財、飛鳥時代)や、橘三千代の念持仏と伝えられる法隆寺の「銅造阿弥陀如来及両脇侍像(伝橘夫人念持仏)」[3](国宝、飛鳥時代、大宝蔵院収蔵)などが古い作例である。



出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

【木食明満/木喰明満】 出典:コトバンク
 [1718〜1810]江戸後期の僧。甲斐の人。45歳で木食戒を受けて守った。千体仏造像を発願して全国を遊行、素朴で円満な相の木彫仏を多く残す。木食五行。

木喰明満  出典:Wikimedia
 木喰(もくじき 1718年(享保3年)- 1810年7月6日(文化7年6月5日)は、江戸時代後期の仏教行者・仏像彫刻家・歌人。日本全国におびただしい数の遺品が残る、「木喰仏」(もくじきぶつ)の作者である。生涯に三度改名し、木喰五行上人、木喰明満上人などとも称する。特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。

 木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、無駄を省いた簡潔な造形の中に深い宗教的感情が表現されており、大胆なデフォルメには現代彫刻を思わせる斬新さがある。日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。




出典:佐渡博物館 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


つづく