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外国人参政権と
法務府民事局長通達

佐藤清文

Seibun Satow

2010年2月11日


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「私の日本国籍は、朝鮮人ではあるが当時日本国籍を有した両親から、出生によって取得したもので、その後もそれを放棄した覚えはまったくない。それを一方的に剥奪され、あらゆる面で外国人だとして差別されることは納得できない」。

宋斗会

 今国会、鳩山由紀夫内閣が永住外国人への地方参政権付与法案の提出を進めている。しかし、与党内部からも慎重論が出され、その中に、帰化すればいいという反対論がある。

 韓国は、永住外国人への地方参政権を認めており、相互主義の観点から、日本にも同様の措置を求めている。それ以前に、この問題には歴史的経緯があり、日本側の不手際が有ったことを見逃してはならない。

 国籍は出生や領土範囲の変更、帰化によって決定される。日本における永住外国人の存在は、主に、二番目に起因する。帰化すればいいという意見は、それを無視している。

 1951年9月8日、日本はソ連やインドなどを除く旧連合国48ヶ国との間で、サンフランシスコ講和条約を締結する。その発効直前に、法務府民事局長通達が出され、旧植民地に出自を持つ人が日本国籍を失うという見解を示す。在日の人たちが日本国籍を失ったのは、法律によって規定されたわけではない、役人の通達である。この措置に対して、訴訟が起こされたが、最高裁は二度も政府の決定を妥当とする判決を下す。けれども、この追認に対して学会から異論が提起される。個人に対しても、当該国・地域に対しても、あまりにも一方的で、とても法治国家のするべきこととは思われなかったからである。

 日本と違い、同じく敗戦国ながら、ドイツはこの国籍問題に比較的うまく対処している。ドイツは大戦前にオーストリアを併合し、オーストリアの国籍は喪失する。しかし、終戦間際、オーストリアは一方的にオーストリア国籍を復活させる。それに対し、ドイツは各種の協議を重ね、1956年、国内のオーストリア人に国籍選択の自由を与える。 

 なお、ドイツは伝統的に連邦国家であり、ナチスが中央集権化を進めて連邦制を廃止するまでは、州籍と天保籍の二重の国籍制度がとられている。明治政府がドイツ的な国家を目指したというのは、実は、神話である。また、ドイツにおける外国人参政権の現状もメディアで紹介されているが、そこでは中央集権制に対する極度の嫌悪に基づく連邦制志向に触れられていない。

 通達で慌てて決めるのではなく、猶予期間を設けて、当該社に国籍選択の自由を認めるという措置を最低限すべきだったのに、それを怠ったという歴史的経緯がある。官僚主導の最たる例である。日本の帝国主義政策の邁進と破綻によって日本国籍に振り回された人たちに対し、地方参政権が欲しければ帰化すればいいという主張はないだろう。永住外国人への地方参政権付与は、鳩山内閣が本気で政治主導を目指すのかどうかの試金石となる。

〈了〉

参考文献
田中宏、『在日外国人─法の壁、心の溝―』、岩波新書、1991年
廣渡清吾、『法システムU─比較法社会論』、放送大学教育振興会、2007年著