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戦争と社会階級
第3章 The War BelieverB

佐藤清文

Seibun Satow

2010年3月25日


無断転載禁


 1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、イスラム教徒を共産主義者の脅威から守るという大儀を掲げてアラブ地域から義勇兵が参戦する。彼らは「アラブ・アフガンズ」あるいは「アフガン・アラブ」と総称される。

 オサマ・ビンラディンのような裕福で教育のある青年は珍しく、大部分は下層階級の出身である。失うものがあったら、いかに義憤にかられようと戦場には駆けつけられない。義勇兵は西側の提供する武器を手に、共産勢力と血みどろになって戦う。1989年、ソ連軍が完全に撤退し、彼らの大半も帰国する。

「よくぞやってくれた!」と人々から熱烈な歓迎され、感涙に咽びながら、ねぎらいの言葉が発せられるだろうと期待して、故国の土を踏む。しかし、彼らが直面したのは無関心であり、ヒンズークシ山脈で戦闘に明け暮れていた間に、すっかり変わった社会である。子供たちはファミコンで遊び、若者はCDで音楽を楽しみ、CNNが世界のニュースを衛星を使って24時間放映している。一方で、政治腐敗と貧富の格差は相変わらず放置されたままである。

 元々貧しい上に、20代の間に職業訓練も学問研究の機会を逃し、身につけたものといえば、戦闘の技術だけとあっては、民生復帰することは困難である。しかも、80年代はデジタル技術が徐々に社会に浸透しつつあった時期である。スティンガー・ミサイルを撃てるとしても、一般社会では特技に入らない。

 また、その経験を生かそうにも、これだけ特定のイデオロギーに染まった人物を国軍が受け入れることは難しい。近代において、軍は政治的中立の立場をとらなければならない。

 部隊内で若い兵士に自分の体験を交えつつ、過激な思想を吹きこまれたらたまったものではない。反乱やクーデター、革命といった軽挙妄動の種ともなりかねない。彼らには居場所がない。鬱屈とした怨念が心の中にたまっていく。

 1990年、突如、イラクがクウェートに軍を進める。翌年、イラクに対して、多国籍軍が戦闘を開始して、湾岸戦争が勃発する。ソ連はこの件に関して安保理で拒否権を行使せず、アメリカに軍事的に対抗する立場を放棄している。このとき、事実上、冷戦が終結する。もはやアメリカと軍事的に対抗しようとする国家は存在しない。戦争は3ヶ月もしないうちに決着がつく。

 しかし、戦争が終わっても、サウジアラビアの米軍駐留が続く。中東では、イスラエルを支援しているため、従前より反米感情が強いが、この継続は一般のサウジの国民の反発を招く。不満と不信に満ち溢れた元イスラム戦士には、共産主義者をアフガニスタンから追い払ったと思っていたら、今度は、こともあろうに、異教徒がメッカとメディナの聖地を抱えるサウジアラビアに居座り続けている。イスラムを守るために、奴らを追い出さなくてはならない。「アメリカに死を!」と立ち上がったとき、彼らは再び居場所を見つける。
 ウォー・ビリーバーは戦争に対するアイロニーもシニシズムもない。そこはアイデンティティ確認の場である。ウォー・ドリーマーと違って、戦争は社会の流動性確保でも経済成長の手段ではない。戦争自体に自分の存在意義がある。正しいことをしていると信じている以上、なかなか彼らを止められない。

 90年代、アラブ・アフガンズと各国で活動を続けてきたイスラム過激派が連携し、世界各地でのテロを実行する。貧しいものにとって、実は、テロ組織を創設することは難しい。先立つものがないからだ。むしろ、戦争に義勇兵として参加する方がたやすい。戦争は、概して、いずれの勢力にもバックアップしている国家がいるので、その辺の心配が要らない。

 食うや食わずでは継続してテロをしている余裕などない。比較的裕福で、高学歴のものたちが急進思想にかぶれて、テロ組織を結成することが多い。高い教育も受け、豊かであるなら、社会的な成功は十分可能である。

 けれども、社会変革は思っている以上に時間がかかり、待ちきれない。オサマ・ビンラディンは過激派の幹部とアラブ・アフガンズの両面を兼ね備えている。彼が世界的なイスラム主義のテロ・ネットワークの中心人物となるのも必然的だったろう。

 急進派たちは、世界各地を追われ、あるいは自ら進んで、アフガニスタンに集結する。国際社会の関心はもうそこに注がれていない。彼らとパキスタンに支援されたタリバンは、96年にカブールを制圧し、その後、短期間のうちに国土の9割以上を実効支配する。
 タリバンの幹部は貧しい家庭の出身である。

 長引く戦争のため、満足に教育を受けられなかったり、何とか勉強を続けたいと学費が無料で食事も提供してくれる神学校に通っていたりするものがほとんどである。日本で言うと、統制派に対抗した皇道派の青年将校というところだ。リーダーのムハンマド・オマルは正規の教育経験は数年しかない。アフマド・シャー・マスードのような裕福で高い教育を受けた北部同盟の指導者とは違って、アラブ・アフガンズに近い。

 2001年9月11日、同時多発テロが起きる、アメリカは、実行したとされるアルカイダのメンバーの引渡しを要求するが、タリバンは拒否する。10月、アメリカ軍を主体とする有志連合がアフガニスタンで戦闘を展開、12月、タリバン政権は崩壊する。2003年3月、調子に乗って、アメリカとその仲間たちはイラクにも侵攻、4月、バグダッドは陥落する。

 しかし、その後、両国共に内戦状態と化し、国内各派だけでなく、国外からテロリストや義勇兵も流入する。そうしている内に、アフガニスタンではタリバンが息を吹き返し、支配地域を徐々に広げていく。

 バラク・オバマ米大統領は、治安の改善傾向が見えてきたイラクから2011年12月までに駐留軍を完全撤退すると表明しているが、アフガンに関しては出口戦略を明らかにしていない。それどころか、隣国のパキスタンにも戦線が拡大している。この間、新たなウォー・ビリーバーが続々と生まれている。

 戦後復興の際に、元兵士の生活設計をどうするかは重要な課題である。軍や警察に入れない場合、学校教育・職業訓練などの支援が必要である。何も身につけさせず、社会に放り出しては、彼らは再び銃を手にする恐れがある。

 ウォー・ビリーバーの生まれるメカニズムは、ワーキングプアのそれと似ている部分もある。バブル経済崩壊後、多くの企業が新卒採用の枠を絞り、大量の非正規雇用者が出現する。彼らは不安定で低賃金の仕事に追われ、専門的な技能や資格を習得する機会を奪われる。働いても、働いても、貧困から抜け出せない。彼らはロダンやアラブ・アフガンズと重なる。

 しかし、戦争は別のタイプのウォー・ビリーバーも発生させる。ある程度の教育や職業技能を有しながら、戦争でしかアイデンティティを見出せなくなってしまう兵士も少なからずいる。自分が報われるのは戦場だけだと感じている。

 イラク戦争を舞台にした映画『ハート・ロッカー』のウィリアム・ジェームズ1等軍曹は、祖国での家庭生活になじめず、戦場に舞い戻っている。また、民間軍事会社の社員にもこうしたタイプが多い。彼らは戦争一般が正しいとは考えていない。ただ、自身がかかわっていることには意義があり、危険な戦場で任務を果たせるのは自分だけだという使命感を抱いている。

 戦争はウォー・ビリーバーという社会階級をもたらし、固定化する危険性がある。赤木のようなウォー・ドリーマーは、今の状況から何としても脱出したいために戦争を待望している。一方、ウォー・ビリーバーは戦争が終わって欲しいと思っていない。

 自分を生み出したその場を神聖視している。戦争にこそ自分自身がある。しかし、それによってまた新たなウォー・ビリーバーが生まれる。戦争はこうして自己増殖する。それを待望するよりも、真摯で建設的な議論をする方がはるかに有意義である。

 現下の多様な危険要因に対応するためには、政策と制度をさらに強化し包括的なものとする必要がある。国家は安全保障に引き続き一義的な責任を有するが、安全保障の課題が一層複雑化し、多様な関係主体が新たな役割を担おうとする中で、われわれはそのパラダイムを再考する必要があろう。安全保障の焦点は国家から人々の安全保障へ、すなわち「人間の安全保障」へ拡大されなくてはならない。

(人間の安全保障委員会事務局『人間の安全保障委員会:最終報告書要旨』)

〈了〉

参考文献
・赤木智弘、『若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か』、双風舎、2007年
・浅野裕一、『「孫子」を読む』、講談社現代新書、1993年
・天川晃他、『日本政治史─20世紀の日本政治』、往相大学教育振興会、2003年
・五百旗頭真、『米国の日本占領政策』、中央公論社、1985年
・柄谷行人、『倫理21』、平凡社、2000年
・高橋和夫、『改訂版国際政治─九月十一日後の世界』、放送大学・教育振興会、2004年
・長谷川慶太郎、『2010年 長谷川慶太郎の大局を読む』、フォレスト出版、2009年
・藤原帰一、『国際政治』、放送大学教育振興会、2007年
・シュンペーター、『帝国主義と社会階級』、都留重人訳、岩波書店、1956年
・フレデリック・フォーサイス、『ジャッカルの日』、篠原慎一訳、角川文庫、1979年
・マーク・ブローグ、『ケインズ以前の100大経済学者』、中矢俊博訳、同文館、1989年
・ポール・ポースト、『戦争の経済学』、山形浩生訳、バジリコ、2007年
・『世界の名著40』、中興バックス、1980年
DVD『エンカルタ総合大百科2009』、マイクロソフト社、2009年
・人間の安全保障委員会
http://www.humansecurity-chs.org/japanese/index.html
・防衛省・自衛隊
http://www.mod.go.jp/
・United States Department of Defense
http://www.defense.gov/
・佐藤清文、『経済と文学─戦後経済と日本文学』、2009年
http://hpcunknown.hp.infoseek.co.jp/unpublished/el.html