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算数と道徳教育


佐藤清文

Seibun Satow

2010年10月25日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「最も賢明なもの──それは数」。

ピュタゴラス

 2010年10月23日、東京都杉並区立浜田山小学校で、緊急保護者会が開かれ、23歳の女性教師が不適切な授業内容を行ったと謝罪する。区教委によると、このクラス担任は、19日の算数の授業中、21人の3年生に対して「3人姉妹の長女が自殺して、その葬式が行われました。葬儀に参列した男子を次女と三女が好きになってしまいました。葬式後、次女がこの男子に会うにはどうしたらいいですか?」と口頭で出題する。「お葬式だよ」とヒントを出したところ、児童の1人が「妹を殺しちゃう」と答えると、「正解です」と言っている。この件に関して、彼女は「前週に行ったクイズが好評で、この日も児童にせがまれ、大学時代に聞いたクイズを思い出して話してしまった」と釈明している。

 今回に限らず、最近、教師が授業中に必然性のない「殺人」に言及した問題を児童・生徒に出題する不祥事が見うけられる。ところが、それが伝えられる際に、メディアはなぜ問題であるのかという根拠に一切言及していない。

 こうした事件が問題となるのは、たんに社会通念上好ましくないからではない。学習指導要領に反しているからである。この本質に触れない報道は無内容であり、無責任である。

 2008年度版新学習指導要領の改正のポイントの一つは、全教科で「道徳教育との関連」が「指導計画作成に当たっての配慮事項」の中で述べられている点である。算数科も例外ではない。

 先のクイズは八百屋お七の発想なので、道徳教育の資料に当たらない。この資料には心理的葛藤はありえたとしても、道徳的価値葛藤に欠けている。自分がどうしたらいいかという欲望が前面に出ており、道徳的価値からどうすべきかが後退している。すべての教科が「道徳教育との関連」から把握されなければならない以上、この設問は適切ではない。

 算数は形式的=抽象的だからこそ、汎用性が高く、それが利点である。その意味では、道徳教育との関連はピンとこない。道徳教育と算数科目の関連について、文部科学省の説明は次の通りである。算数科においては、児童が日常の事象について見通しを持ち、筋道を立てて考え、表現する能力を育てることが道徳的判断力の育成につながる。また、数理的に物事を思考したり、処理したりすることを生活や学習に活用する態度を育成するならば、より工夫するようになるだろう。「算数科で扱った内容や教材の中で適切なものを、道徳の時間に活用することが効果的な場合がある。また、道徳の時間で取り上げたことに関係のある内容や教材を算数科で扱う場合には、道徳の時間における指導の成果を生かすように工夫することが考えられる」。

 言うまでもなく、学習指導要領の道徳に関する記述には、「バカを言うな」といった類のものも見られる。中学校学習指導要領第3章道徳の第2の9項目目と10項目目には次のような恣意的な論理が展開されている。

(9) 日本人としての自覚をもって国を愛し,国家の発展に努めるとともに,優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献する。
(10) 世界の中の日本人としての自覚をもち,国際的視野に立って,世界の平和と人類の幸福に貢献する。
 中学生には外国籍の生徒もいれば、アイヌの生徒もいる。独自の「伝統」を持つ彼らに対して、「日本人としての自覚」を求め、「国際的視野に立って,世界の平和と人類の幸福に貢献する」とはどういうことなのか理解できない。こんな狂信的な戯言は道徳教育の指導要領に値しない。はっきり言って、恥ずかしい。

 今回以外にも発覚した殺人問題は、明らかに、これを踏まえていない。たんなる思いつきや思いこみに覆われたカルト的なマンガや映画、小説に見られる浅慮しか感じられない。それどころか、学習指導要領を知らないのではないかとさえ思える。もし殺人が入った設問を児童に出すのであれば、そこには道徳的問題がこめられていなければならない。算数は道徳への深い思慮に通じているとする意欲的なイノベーターが児童に向き合う授業は受けてみたいものだろう。

〈了〉

参照文献
文部科学省、『小学校学習指導要領解説算数編』、東洋館出版社、2008年
文部科学省、「中学校学習指導要領第3章道徳」、1998年
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122602/012.htm