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カダフィのリビア


佐藤清文

Seibun Satow

2011年2月27日


初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「リビアから常に新しいものが来る」。

アリストテレス『動物誌』

 リビアで革命の動きが表面化して以来、専門家やメディアタレントの口からこの国がこうなるとは予想もできなかったと発せられる。しかし、リビアとシリアでどちらがもろいかと言えば、比較政治的には間違いなく、前者である。それは、国際政治学者が指摘する後者が依然として反米・反イスラエルを貫いているからではない。軍が体制を最初から支持していないからである。

 27歳の陸軍大尉がクーデターを成功できたとすれば、その軍隊は近代化が遅れていることを意味する。幹部候補生を養成する機関が確立し、卒業生の異動・昇進が制度化されていない。こうした状況では、中米カリブ海諸国がそうであるように、対抗できる他の有力軍人が育っていないため、個人独裁、すなわち独裁者とそのとり巻きが国家の富をほぼ独占する体制が生じやすい。

 ムアマル・カダフィがいつから堕落したのかという議論も耳にする。当初は理想に燃えていたのに、どこで狂ってしまったのかというわけだ。軍務を知らないから、その人はこうした発言をしてしまう。作戦参謀の経験もなく、大規模戦闘を指揮したこともない一介の陸軍大尉である。彼にはビジョンなど何もない。ガマル・ナセルのエジプトと合併するのが目的で引き起こされたクーデターである。

 国家を乗っ取ったものの、統治していくのはそれよりはるかに難しい。政治指導者になるには、経験も知識も実績がなさすぎる。失政を重ねる可能性が高く、それをきっかけに軍事クーデターが起きかねない、大佐に昇進した彼であるが、軍に足場がない。将軍たちは所詮大尉じゃないかと敬う気などさらさらない。

 いつまた陸軍大尉がクーデターを起こしかねないため、この新たな国家元首は軍に対して抑止策を講じる必要がある。制度化されていない軍隊を粛清しては、国防を考えれば、不安だ。アドルフ・ヒトラーのように、自分への忠誠心に基づく別の軍隊、すなわち親衛隊を創設し、正規軍を牽制する方がよい。前近代的社会では地縁血縁が最も信用できるので、そこから人材を集める。正規軍は親衛隊を上回らないように、装備・規模・待遇で抑制しておく。かりに反乱があったとしても、都市間に距離があるので、移動に手間取る。空から十分に叩ける。

 正規軍を弱体化してしまえば、クーデターは発生しにくいが、政治指導者への忠誠は低く、民衆が抵抗運動を始めると、彼の指示に従わない可能性が高い。そのため、民衆の反体制運動を徹底的に抑えこむ必要がある。リビアは国土こそ広いが、居住地域が限定されている。監視するのもそれほど難しくない。秘密警察を配置、密告を奨励、前近代的な見せしめの刑罰を実施すればいい。天然資源が豊富だから、その利益のおこぼれも国民には回る。昨日より今日の生活が少しでもよくなれば、不満も減る。

 国際社会では、どんな小国でも、主権がある限り、対等だ。むしろ、そうした貧しい国の方が圧倒的に多い。それらの国の首脳にカネをばらまき、行き場のない難民もある程度受け入れていれば、一定範囲の支持は確保できる。国内政治でこうした手法を中南米研究では、「ポピュリズム」と呼ぶが、リビアの最高指導者はそれを国際政治で使っている。
 
 立場が人を成長させる。しかし、カダフィ大佐は公職を拒否したため、成長していない。憲法も議会もない前近代的な体制を敷く。自分の権限と責任が曖昧になり、国家を恣意性が支配する。彼には、そのため、失政がない。国際会議に参加する際にも、彼がテントを持参するのは、部族の伝統を守るためだけではない。この洗練さへの忌避はコミュニケーションの拒否の現れである。コミュニケーションをとらずに、人は成長できない。公職に就いていれば、降りることで事態が収拾できる。しかし、彼にはそれがない。国家と自分が直接的に結びついている。彼は国家と無理心中を図ることになる。

 カダフィ体制が事実上終焉したことは確かである。今後、武器が国中に蔓延して、アナーキーに陥り、破綻国家に向かう懸念が語られる。また、その間隙を縫って、原理主義が台頭する恐れも指摘されている。この一国だけが騒乱状態であるならば、そうした危険性は大いにある。そこに集中するからだ。しかし、1848年に欧州で革命の嵐が吹き荒れたように、今、中東全域で民主化要求運動が起きている。危険性の濃度が拡散している。それに、リビアは深刻な国内対立を抱えていて、カダフィがその重石になっていたわけでもない。むしろ、シリアの方が潜在的には複雑である。

 そもそも、今回の中東革命には一つの理念がある。それは「民主主義」である。ここをなぜか専門家やメディアタレントは見逃している。東浩紀は、2011年2月24日付『朝日新聞』の論壇時評で、一連の動向を「つながりが導く祝祭革命」と呼んでいる。しかし、それはインティファーダの状況であって、今回とは違う。PLOがチュニジアに移動し、大人たちがいなくなったため、子どもたちが仲間とのつながりを求め、通過儀礼的に反イスラエル闘争を開始している。インティファーダには特に理念も目的もない。先に自分の結論があり、それを正当化する論理を組み立てて情勢を語る東浩紀のような恣意性は厳に慎むべきである。

 民主主義へのコミットメントの強さは、政治環境の認識能力、すなわち政治リテラシーに左右される。民主主義が何たるかを知らない人はそれを信じはしない。民主主義には不確実性が伴う。その手続きから理解していなければ、コミットメントは高まらない。

 そうした認識能力には、まず、高い教育水準が不可欠である。いかに独裁体制であっても、国家を発展させようとすれば、国民の教育水準を向上させなければならない。また、そうした環境の整備は人々の不満の解消につながる。

 教育水準が高くなれば、さまざまなルートで情報に触れる機会が増え、政治への関心も強まる。留学をして、外の世界に直接触れるものも少なからず出てくる。御用新聞・テレビでプロパガンダを流しても、戦時中の日本もそうだったが、口コミで情報があれこれ入ってくる。しかも、今ではインターネットもある。

 教育水準の高まりは体制への不満の要因も生み出す。学歴が高くなれば、手足や気よりも、頭を使う仕事を希望する。途上国では、就職がコネに強く依存するので、大学は出たけれども、それに見合う職に就けないことも多い。しかも、こうした職種は給料とりであり、国のマクロ政策の影響を受けやすい。インフレ率や失業率に注意して、政府・中央銀行が財政政策・金融政策を効果的に発動しなければならない。ところが、上層部は、先に述べた通り、能力ではなく、指導者への忠誠心でその地位にいるので、先走って何かをするととがめられかねないため、対応策が後手に回る。一次産業は現物、観光業は外貨があるので、マクロ政策の失敗も影響が少ない。国家を発展させるには、それ以外の職種を拡大しなければならない。そのため、二次・三次産業に従事する国民を中心に経済政策への関心が高まり、それが政権の命運を大きく左右する。

 もともと、アラブの権威主義体制では選挙によるガス抜きもほとんどされていないため、民衆の政権への不満は充満している。きっかけさえあれば、民主化要求デモが始まる。親世代よりも、概して、子世代のほうが教育水準が高い。そのため、民主主義へのコミットメントが強く、若者が運動を扇動する。さらに、政権側が暴力的な措置を取ると、一気に燃え上がり、反体制運動に急変する。

 リビアは、非王政のアラブ諸国の権威主義体制の中でも、覇権政党制ではなく、個人独裁という例外的な国家である。革命が起きても、他国があのような事態に陥るとは考えられない。首脳たちは引き際が肝心なことを学習しているだろう。今、歴史が変わりつつある。

〈了〉