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消費税と財政再建

佐藤清文
Seibun Satow
2012年06月21日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「凡ソ天地ノ間一事一物トシテ税アラサルハナシ以テ国用ニ充ツ然ラハ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ尽シ国ニ報ヒサルヘカラス西人之ヲ称シテ血税と云フ其生血ヲ以テ国ニ報スルノ謂ナリ」

『徴兵告諭』


 日本の国債発行が急増したのは、消費税導入以降である。過去の消費税の導入や税率アップは財政の健全化を主目的にしている。けれども、それが達成されるどころか、消費税に関連した税制の改革が起きると、むしろ、逆効果がもたらされる。

 現在の赤字国債依存体質の主因は社会保障費の増大ではない。膨大な累積にもかかわらず、国債の利回りが低く抑えられてきたのは、日本が伝統的に小さい政府だったからである。けれども、少子高齢化や人口減に伴い、今後は政府支出の相対的増加が見込まれる。社会保障費の自然増に応じるだけでも税制改革は不可欠であり、その際、消費税は非常に有効な選択肢である。

 税と社会保障を一体として考えるのは近代財政の特徴の一つである。累進課税と失業保険を関連させて景気循環の対策として捉えるビルトインスタビライザーが好例である。ところが、今回の社会保障と税の一体改革に関して理論が政府からまったく提示されていない。理論は異なった人々が問題や思考を共有できる。それがないということは、歳入増だけをもくろんだ場当たり的な政策だと認めているのに等しい。増税を納税者に訴えるなら、「政治生命」をかけると公言するよりも、その理論に言及するのが今日の先進国の政治指導者のあるべき姿だ。

 財務省は徴税し、予算編成をすることを業務にしている。それは受動的であり、彼らの考えは直接的にではなく、税制と予算編成案によって間接的に表明される。予算編成の権限を縮小させるような行政改革は、意見の発言機会を失うことになるので、彼らは好まない。財務省を利用した、いわゆる無駄の削減の企ては徒労に終わる。財務省は政権中枢と結びつきを強め、自分たちの意向をそうした政治家を通じて実現しようとする。彼らが見ているのは、そのため、有力政治家であり、国民ではない。こうした隠密行動をとる財務省が世論から支持されることは少ない。しかも、彼らの積年の願いが実を結ぶのは、自分たちに取り込めた政治家が権力を握った時である。また、財務省のキャリア官僚は法学部出身者が多数を占めている。法学は紛争の事後的処理を目的に、それを既存の法体系に位置づけたり、修正したりして解釈する学問である。将来の予測には向いていない。その政策の内容・実施時期が適切であるかどうかが不問にされるため、効果を上げるとは限らない。

 1965年度補正予算で初めて発行されて以来、国債への依存が継続的に高まる。しかし、80年代前半、行政改革の効果もあってそれが低下、バブル経済により税収も増加、88年、竹下登内閣が消費税を導入、90年度予算は大蔵省の念願だった赤字国債依存体質からの脱却を果たす。

 自民党は包括政党なので、支持者層が幅広い。ケインズ主義を利用し、支持者間の利害対立を緩和するために、バラマキを行い、政権維持を図る。労働者層を支持基盤としていないため、政権浮揚の必要がない限り、社会保障の拡充には消極的である。ただ、強力な圧力団体である医師会の関わる医療分野は例外である。バラマキには財源が要るが、経済成長が鈍ると、それを国債に求めるようになる。

 石油ショックへの対応が的確だったのに比して、バブル経済の発生と崩壊に関しては、政府・日銀による数々の判断ミスが認められる。不況対策も同様にへまを繰り返している。加熱した景気を抑えるために、政府・日銀は金融引き締め政策をとるが、それがあまりに急激で、90年には急速な資産価格の下落を招く。慌てて、91年中頃から政府は総合経済対策を都合7回も打ち出し、総額30兆円も支出している。94年度予算からは赤字国債の発行が復活、財政赤字は膨れ利上がっていく。さらに、95年1月17日、阪神・淡路大震災が起き、復旧・復興には多額の予算が必要となる。大蔵省による消費税導入のもくろみはまったく外れてしまう。

 この時期の景気刺激策は思った通りの効果を上げていない。当時の最大の課題は金融機関が抱えた不良債権の処理で、それを何とかしない限り、真の景気浮揚は難しいとされている。ところが、大蔵省は金融機関へ強い影響力を持っている。不良債権処理を早急に進めれば、彼ら自身の責任追及へとつながりかねない。大蔵省の政策は責任回避が織り込まれ、遅く、不十分なものが多い。その結果、日本経済の低迷が続いてしまう。

 90年代前半にスウェーデンも日本と同様の事態に陥ったが、早く回復している。同国の当局の金融機関への影響力がさほど強くなかったため、責任回避せずにすみ、処理が迅速だったからだと見られている。

 96年に発足した橋本龍太郎内閣は、景気の回復基調を背景に、財政健全化を掲げる。97年から消費税率を2%上げ、所得税減税も取りやめるなどにより9兆円の増税を始めると、景気は一気に冷え込み、74年以来のマイナス成長へと陥る。01年に自民党総裁選に立候補した際、彼はその判断ミスを認め、自己批判した数少ない元首相として記憶されている。98年に誕生した小渕恵三内閣は財政健全化を停止、景気刺激を優先する。次の森喜朗内閣でもこの方針が継続され、財政赤字は膨張していく。財務省の思惑は今度もまた外れ、消費税増税の好影響が財政に認められることはない。

 今回の消費税論議も唐突である。フクシマを含め3・11への対処を最優先の課題とすべきなのに、現政権が発足して以来、それは後景に追いやられている。予算の組み替えを始め抜本的な行政の見直しを図り、国のあり方を再検討しなければならないはずが、この政権は逆コースとも言うべき現状維持に終始し、消費税論議を優先課題にしている。欧州債務危機に便乗したとしか思えない。

 財政再建を目的化し、そのために消費税を導入・増税する。これではうまくいかない。しかし、そう考えるのは財務官僚だけではない。税制に精通していると自認する政治家は、課税の理論が抜け落ち、どこからどれくらい税がとれるかという自己目的化に陥りがちである。消費税でも同様の姿勢が見られる。こうした目的化は税率アップに奇妙なヒロイズムをもたらす。増税は社会のためであり、世間から叩かれようと自分はその崇高なる目的を達成する英雄だというわけだ。

 大手新聞の論調は、三党合意以前は特に、消費税の増税に英雄主義的に賛同している。現首相はこの件で国民に信を問うと言うが、三党合意したら、小選挙区制下では有権者が他の選択肢をとろうにも難しい.選挙と合意の順番が逆だ。朝日新聞の星浩記者に至っては、ことあるごとに現首相を持ち上げ、12年6月19日付『朝日新聞夕刊』の「忍耐力と反射神経」では、現時点での消費税の増税に反対する勢力を財政再建の道筋を示さず、無責任だと糾弾している。歴史を見る限り、こういうヒロイズムも真に無責任と言わざるを得ない。日本の場合、過去の消費税の増税は財政の健全化につながっていない。消費税導入以降に財政が悪化した点を分析し、そうならないための提言を示す必要がある。

 現行の制度でも社会保障費が伸びていくことは間違いない。社会保障と税の一体化を理論的に検討し、新制度を設計することは優先順位の高い課題である。それにかこつけてあわよくば財政再建をともくろむ助平根性があるから、増税論議だけ先行してしまう。これにより納税者の政府への不信感が増幅し、社会保障改革も財政再建も滞る。

 小さい政府であるにもかかわらず、赤字国債の依存体質が継続しているのは、政策の意思決定過程に一因がある。予算案の作成を始め行政の意思決定過程は閉鎖型のボトムアップ式をとっている、関係者の意見が下から積み上げて意思決定されるけれども、過程の空間が閉じられている。こうした政策の結果として蓄積された赤字であるから、排除された納税者は当事者意識を持てない。体質改善には意思決定過程を開放型に変更する必要があるが、そうすると、既得権益を手放したり、過去の責任追及に及んだりするので、関係者は抵抗する。

 最近のニュースを見ても、財政赤字の累積は民主主義的制度の進展度合いと関連している。今、債務危機が危惧されるギリシャやポルトガル、スペイン、イタリアはかねてより民主主義的仕組みが北欧諸国と比べて不十分とされてきた国々である。この場合の民主主義には情報公開や報道の自由、労働者の権利保護、女性の社会進出なども含まれる。SRI(社会的責任投資)の格付け機関ヴィジオ(Vigeo)は、09年のレポートで、日本国債の格付けをこの民主主義的仕組みの不備を理由にイタリアと同列に位置付けている。

 財政再建を可能にするのは民主主義制度の成熟だろう。民主主義的仕組みの下での開かれた熟議が政府への信頼感を増し、財政に対する当事者意識を育む。その際、最も重要なのは理論である。理論が人々の認識を共有させ、新たな社会像へと向かわせる。理論のない議論は不毛に終わる。それが今回を含めたこれまでの消費税論議である。

〈了〉

参照文献
井堀利宏、『改訂版財政学』、放送大学教育振興会、2005年
真渕勝、『大蔵省統制の政治経済学』、中公叢書、1994年
真渕勝、『大蔵省はなぜ追いつめられたのか――政官関係の変貌』、中公新書、1997年
真渕勝=上川龍之進=ルステン・スヴェンソン、「金融システム危機管理の比較政治学――日本とスウェーデンにおける制度と責任回避戦略」、『レヴァイアサン』37号、2005年