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官邸を包囲せよ!

佐藤清文
Seibun Satow
2012年07月01日

初出:独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


「国家の中で権力を乱用する者が現れ、立法者が人民の所有を奪い取り破壊しようとする場合、または恣意的な権力の下に人民を奴隷におとしいれようとする場合は、人民はこれに服従する義務は無い。同様に最高の執行権を持っている者がその責任を怠り、これを放棄し、制定されていた法がもはや執行され得ない場合も─これは一切を無政府に帰す事であり─、確実に政府が解体する」。

ジョン・ロック『市民政府二論』


 「官邸を包囲せよ!」─これが金曜の夜の合言葉だ。しかし、この脱原発運動は組織的動員によって始まったわけではない。ある20歳代の介護職員のつぶやきに端を発している。それはシンディ・シーハンの反イラク戦争の運動に類似している。大飯原発再稼働は、冒険主義的強引さの点で、ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク戦争開戦に相当する。

 SNSを通じて呼びかけが拡散し、金曜の夜に官邸前に集合する。3月から始まったこのフライデー・ナイト・フィーバーは週を重ねるごとに参加者が増加している。諸般の事情により輪に加われなかった人もインターネットで中継される映像を介して参加する。けれども、わずかに東京新聞とテレビ朝日が報道したくらいで、大半のマスメディアが黙殺している。

 2012年6月29日、15〜20万人が官邸を包囲している。それは日本の自治体の平均人口規模を超えている。顔ぶれも一つのコミュニティそのものだ。老若男女にペットまでいる。思想信条も極右から極左、ノンポリまでさまざまだ。行動の初々しさからほとんどがデモの経験がさほどないことがわかる。さらに、ネット中継を介した間接的参加者は人数も規模も想像できないほどだ。

 官邸の主はそれに対してこう言う。「大きな音だね」。人の声ではなく、やかましい音にすぎないというわけだ。選挙で選ばれた政治家の発言とは到底思えない。

 戦後、これほど官邸デモに包囲された首相は岸信介以来いない。以後の首相は、それを教訓に、国民と呼吸を合わせることに腐心している。民主主義国の政治指導者として世論と真摯に向き合うことは、その正当性の点でも、必須だ。

 ところが、政権交代から三人目の首相はプチ昭和の妖怪気取りだ。首相就任以来、彼がかつて主張したこととは反対のことばかりしている。密室談合を批判しながら、今では好んで利用している。民主主義体制で政治家になったこと自体が間違いの人物である。

 3・11は現状の諸問題を顕在化させている。社会の再生は前提を含めた抜本的見直しが不可欠だ。けれども、この内閣は現状維持を勧めている。それは3・11から何も学んでいないということだ。多くの犠牲を無視するということだ。

 脱原発を実現し、よりよい社会を築こうとする熱気が社会に生まれている。しかし、この松下政経塾内閣は民主主義の高揚に冷水を浴びせることしかしていない。彼らの発言は自惚れと奢りに満ち溢れている。自分たちはこんなに一生懸命しているのに、なぜ評価されないのかと独善的な気持ちでいる。

 政権交代が健全な民主主義には必要だ。そう思った有権者の投票行動が2009年にそれを実現させる。民主主義の進化のために、政権交代が求められたのであり、以降の政権はその大義に関する責任と使命を自覚しなければならない。たんに政策を遂行すればいいというわけではない。自分たちの意思決定と実践が民主主義の進化につながるかどうかを判断基準とするべきである。民主主義の停滞や後退をもたらす決断は避けなければならない。

 政権交代自体が期待されたのではない。民主主義の進化の圧力としてその選択がなされている。与野党共にそれをわかっていない議員が少なからずいるため、既成政党への不信と不満が高まる。2011年に発足した政権はそうした無理解のまま今まで続いている。それは民主主義の退行の過程である。

 民主主義の進化のために、この厚顔無恥な政権を倒すほかない。

 「官邸から追放せよ!」

〈了〉