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日本変革のブループリント





第一章 官僚主義を脱して(10)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



4節 裁量行政とギュゲスの指輪

 こうした新しい公共性としての開かれたコモンズの活動を妨げているのが官僚主義です。

 彼らの権力の源は情報における組織の外部との非対称性にあるのです。

 この「情報の非対称性」の問題点は2001年のノーベル経済学賞の研究からも知ることができます。

 西洋において、現存する最古の体系的な国家論の作品はプラトンの『国家』ですその。

 第二巻の冒頭に、「ギュゲスの指輪」という譬え話が登場します。ソクラテスは、いつも通り、若者たちに、「正義」は魂の「美徳」であり、「不正」が魂の「悪徳」であると説いていると、グラウコンというシニカルな青年が彼に次のような比喩を用いて、批判します。

 昔、リュディア王に仕えていた羊飼いのギュゲスという男がいました。ある日、突然、大雨が降り、地震が起こって、大地に地割れが走ったのです。

 この天変地異の後、ギュゲスはポッカリと開いた穴の中で、指輪を見つけます。それは自由に自分の姿を消せる魔法の指輪だったのです。指輪を手にした彼は妃と通じて、王を殺し、国を乗っ取ってしまうのです。

 誰からも咎められないような権力を手に入れてしまったなら、「不正」な行為の誘惑に誰も勝てないのではないかとグラウコンはソクラテスに疑問を投げかけたのです。

 現代風に言えば、情報公開もなく、責任も追及されなければ、権力者はやりたい放題になってしまうのではないかということです。

 この指摘は極めて鋭く、それに答えるため、ソクラテスは、哲人政治や詩人追放、洞窟の比喩、国家による教育システム、魂の想起など数々のアイデアを織り交ぜつつ、体系的な国家論を語っていきます。

 非常に豊かな示唆を富む書物ですが、このギュゲスの指輪に対する批判としては十分ではありません。結局、政治はつねにギュゲスの指輪の誘惑を払いのけるべきであり、そもそもそれを権力に渡さないことが一番なのです。

 裁量行政はギュゲスの指輪による官僚制と言っていいでしょう。政府は財政の悪化を理由に増税を納税者に要求しますが、無駄遣いの温床の一つと見られる特別会計という入れ子の実情を隠し続けようとしています。

 霞ヶ関からその指輪を取り戻さなければなりません。ただ、官僚自身もそろそろその愛しきものの恐ろしさに気がついているでしょう。指輪の主は、『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムのように、しばしばそれに溺れ、破滅してしまうものです。


 官僚機構が完全に不要だと言っているわけではありません。官僚はあまりに独善的でした。それを自己批判して然るべきでしょう。官僚は専門家として非専門家である住民との間で相互作用によってよりよい政策が可能になることを認める必要があります。

 専門家は丁寧な説明をすれば済むものではなく、インフォームド・コンセントに基づく医療現場を見れば明らかなように、非専門家の話に耳を傾けなければなりません。情報の共有と合意による共同作業を通じて、政策を実施していくべきなのです。

 公共性がコミュニケーションに基づいているとすれば、コミュニケーションのないものは公共性と見なすことはできません。ギュゲスの指輪の持ち主はコミュニケーションを忌避します。彼に公共性はありません。つまり、コミュニケーションこそが公共性にほかならないのです。


つづく