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日本変革のブループリント





第二章 福祉国家を超えて(5)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



2 日本の社会保障制度の歴史

 日本が福祉国家であったというのは、その社会保障制度が示している通り、はなはだ疑問です。税・社会保障負担の国民への還元率並びに社会保障給付費の国民所得比を国際比較すると、日本はイギリスやドイツ、フランス、スウェーデンなどと比べて、いずれも著しく低く値を示しています。

 また、女性や障害者に対する政策は、ご承知の通り、お粗末です。にもかかわらず、
GDPに占める政府総固定資本形成比率の国際比較においては、日本は先の諸国と比べ、非常に高いのです。

 建設業を中心とする自民党の支持基盤にそうした金が流れているだけで、福祉国家ではなく、「土建国家」と馬鹿にされてしまうのも当然でしょう。充実した社会保障制度を持っていてこそ、福祉国家の名に値するのです。


 日本のケインズ主義的政策と見なされているものは極端にハード・パワー偏重です。けれども、ケインズ主義は別に大型の建築・土木事業を大盤振る舞いする経済政策を意味するわけではありません。

 アメリカのニュー・ディール政策はダム建設を中心としたテナシー川流域開発公社
(TVA)のような総合的な大型公共事業だけでなく、連邦美術計画(FAP)も実施します。1930年代代、多くの労働者同様、芸術家たちも日々の食事にさえ事欠く状況に陥りました。

 公共事業促進局
(Works Progress Administration: WPA)は公共施設や建築物のための作品制作を芸術家に依頼したのです。

 5219人(1936年11月1日時点)の芸術家が、1935年から43年までに、壁画2566点、彫刻17744点、絵画作品10万8099点、版画11285点、デザイン関連22000点、ポスター35000点(印刷部数約200万部)を制作し、約3500万ドルの費用が支払われています。

 この恩恵に預った芸術家の中には、ジャクソン・ポロックもいます。彼はパブロ・ピカソとアンディ・ウォーホルをつなぐ現代芸術を代表するアーティストです。ハード・パワーだけでなく、ソフト・パワーにも配慮しなければ、福祉国家の経済政策としては不十分です。箱物を建てて終わりはあまりに刹那的でしょう。


 日本の社会保障制度が貧弱になったのは産業政策に社会保障政策を組み込んでしまったのが最大の原因です。そのため、経済成長が滞れば、制度自体が立ち行かなくなるのです。ハード・パワーにソフト・パワーを従属させてしまったのです。

 社会保障制度は福祉・医療・年金の三つに大別されますが、中でも、高齢者介護が重要課題になる以前から、日本の福祉政策は極めて貧弱です。もっとも、年金と違い、医療費は蓄えられませんから、もし医療で同様のことをしていたら、とうの昔に日本は破産していたでしょう。

 福祉国家的な福祉は市場経済の矛盾により形成される社会の階層化を解体する機能を果たすものなのに対し、戦後の日本では、市場経済の補完としての位置付けが著しく弱かったのです。

 失業保険や生活保護などの福祉は福祉国家であれば力を入れていて当然なのですけれども、経済活動に国民を迅速に戻すために、国家の保障規模を縮小し、経営システムや雇用慣行と一体化させたのです。白い目で見られたくなかったらとっとと職場に帰れ、働けない者は負い目を持てというわけです。


 欧米では、産業化の進展を後追いするように社会保障制度が形成されていきます。広井良典千葉大学教授の『日本の社会保障』によると、北欧は全住民対象の租税中心のモデル、独仏は職域ベースの社会保険中心で所得比例的な給付のタイプ、アメリカは民間保険中心の形態です。

 いずれの国でも、社会保障費が財政を圧迫している点は否めませんが、日本ほど深刻ではありません。日本の社会保障は、経済成長を国家的目標として、それを前提に成り立っていると同時に、出発時は途上国的な社会・産業構造という現状があり、その齟齬を改善してこなかったのです。


 小泉政権は医療改革を断行すると言っています。増大する医療費を抑制するため、生活習慣病を予防し、日本の病院の収支において、入院部門の赤字を投薬と検査で補ってていますが、この入院の支出を減らすことを目指して政策を作っています。彼はいつも量的なことしか口にしませんけれども、今、医療に求められているのは質の向上でしょう。

 その医療に発展途上国としての日本の痕跡が認められます。1993年、世界銀行が途上国の医療システムに関する提言をしているのですが、これがほとんど日本の医療システムそのものです。要約すると、次のようになります。

1.高度医療機関の整備は対費用効果が低いので政府は極力減らす。

2.感染症対策用の公衆衛生施設を強化する。

3.基本的診療医療サービスを充実させる。

4.医療の財政面は貧困層だけでなく、国民全体を対象とする制度にする。

5.効率性の点から、民間の医療機関を活用する。

6.食事や出産、衛生等のライフ・スタイル全般への影響力が大きいので、女性などに初等基礎教育を浸透させる。

 これを見ると、日本の医療システムはマラリアやポリオなどの感染症に苦しむ発展途上国にふさわしいモデルということになります。

 従来の日本の医療システムは「国民病」と呼ばれた結核を代表とする感染症対策を基盤にしてきました。健康な企業戦士が減ってしまっては、経済成長は望めません。高度経済成長期、感染症により死亡率は下がり、フィラリアやツツガムシ病など多くの風土病が姿を消しています。


 ところが、現在、主な死因を生活習慣病が占め、高齢化が進んでいるため、全疾病の中の比率は感染症ではなく、慢性病になっています。さらに、高齢化がより進展すれば、老人性の退行疾患の比率が高くなると予測されます。

 加えて、福祉における介護の占める割合が増加すると見込まれ、介護は医療との連携が欠かせませないにもかかわらず、介護は行政、医療は病院に属しているため、効果的に機能できていません。


 日本の真の医療改革は慢性病・老人性疾患対策中心の医療システムへの移行にほかなりません。高度医療の充実とインフォームド・コンセント等による医療の質の向上を新たに加え、予防のために感染症型のネットワークを活用し、町医者と総合病院など各種医療機関の連携といったチーム医療の一層の拡充、医療と高齢者福祉の融合等が望ましい改革でしょう。

 ただ財源がないから、国民に負担を押し付けるのは政策の質の向上はどうしたのかと反論されても仕方がありません。しかも、医療システムを安易に弱体化させると、結核が貴重な人的資本を失わせたように、社会的な効率が逆に落ちてしまうのです。


 年金に至っては、1940年の国家総動員体制の産物です。それ以前はドイツ型の職業別の社会保険が年金の中心でした。国民に老後を安心してもらうためではなく、日中戦争遂行の目的で「国民皆保険」のスローガンの下で設立されています。

 人生50年と言われる平均寿命と大家族制・希薄な定年等の特徴を持つ第一次産業中心の産業構造、戦争による成人男性人口減少という時代的・社会的背景に生まれたにもかかわらず、政府は根本的な改革には着手せず、場当たりで対応し、厚生官僚は天下りと裁量行政によって食い物にしてしまったのです。

 年金を老後の給付以外には使わないという原則さえ守っていません。世界一の長寿国を謳いながら、長生きした分は自分で何とかしろというのはかなり乱暴な話です。無尽や寺参りといった伝統的な相互扶助を続けていた方がはるかに有益です。年金システムに関して、世界銀行は、医療同様、途上国に提言しているのですが、そこで望ましくないものを統合すると、日本の年金制度になります。


 1999年、スウェーデンが画期的な年金制度を制定し、各国から注目されます。日本の民主党が2004年に公表した年金制度改革案はそれを下敷きにしていますし、政府の改革に物価スライド制が導入されたのもスウェーデン方式の影響です。ただ、この方式は所得の捕捉率が十分でないと効果的ではありません。

 源泉徴収されているサラリーマンは別としても、自営業者等の所得は把握しにくいのが現状です。所得の捕捉率の低さは財政だけでなく、年金制度にも影を落としています。民間型にするとか、あるいは消費税を目的税化するとか等の年金制度の改革案が専門家から提示されるのは、そのためです。


 年金は老後の経済的準備です。将来に対する不安があっては、人々の労働意欲が減退し、不正や腐敗を招き、最終的には、市場経済自体が揺るがされてしまいかねません。年金制度は、後に説明しますが、他の社会保障と同様、外部経済に含まれるのです。

 安定した社会あるいは持続可能な発展が見込めなければ、いかなる年金制度を採用しても、効力を発揮できません。「タイムマシン」や「未来を覗けるマシーン」が開発されていませんから、未来を知ることはできません。

 けれども、年金制度は持続可能性社会のヴィジョンが示されて、説得力を持ちます。

 近代以前の日本では、コモンズ単位で相互扶助が行われていました。世界各地にも、多種多様な相互扶助の仕組みがありました。それを再検討することは決して懐古趣味ではありません。

 年金制度もコモンズを基盤とする方式へと転換する時期に来ていると考えるべきでしょう。


 少子高齢化は社会が成熟してくると不可避の事態だとも言えます。人口構成に依存した社会保障制度から、それの影響を受けにくい制度への転換が日本には必要なのです。

 行政は政策立案に際して、この人口縮小を前提にしなければなりません。

 医療は一応の成功を収めましたが、日本の社会制度は福祉国家の名に値するものでは、必ずしも、ありませんでした。しかし、もはやこの恥は国内だけでとどまることはありません。

 社会保障を巡って、決定的に、政府の政策に欠けている認識があります。

 それは少子高齢化は日本国内だけの問題ではないという点です。アジア諸国を始め、次々に世界各国が少子高齢化社会に突入していきます。社会保障改革は内輪の問題ではすまないのです。日本には政策の国際貢献が求められているのです。

 だからと言って、かつて日本的経営をアジア諸国に押しつけたような愚行は避けるべきです。あれはあまりにも傲慢でした。各地域の違いを考慮せず、なおかつその文化に敬意を払わなかったのです。

 東西冷戦構造崩壊以後、世界的にオルタネイティヴへの志向が高まっています。慎みを持って、もう一つの選択肢として政策を提言すべきなのです。


つづく