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日本変革のブループリント





第二章 福祉国家を超えて(4)


佐藤清文
Seibun Satow

掲載日:2007年1月元旦


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すべて執筆者である佐藤清文氏にあります。



全体目次



第3節 グローバルな問題としての少子高齢化

1 『なんとなく、クリスタル』の社会


 1981年1月、河出書房新社から『なんとなく、クリスタル』という小説が刊行されます。

 作者は一橋大学法学部を留年した田中康夫という若者で、内容はファッション・モデルをしている女子大生の生活を描いた1980年度版『当世書生気質』です。

 それは見開きした右のページに小説本文、左に周到な注釈を載せた奇妙な構成の本でしたが、発売されるとすぐに大ベストセラーになります。

 今でこそ、日本のポストモダン文学の走りと見なされている作品ですけれども、その頃は、一部を除いて、文学関係者や記者から猛反発を受けていたのです。

 シカゴ大学の準教授だったノーマ・フィールドは、1987年、この小説の別の側面に気がついています。

 彼女は『なんとなく、クリスタル』について少子高齢化の問題を念頭において書かれた作品と指摘し、それを「ポストモダニズム版マルサス主義」と呼んでいます。


 トーマス・ロバート・マルサスは人口の増加に食糧増産が追いつかなくなる恐れがあると警告を発し、それを受けてポピュレーション・ダイナミックスという研究領域が生まれています。

 これは代表的な数理モデルで、現在では、人口動態のみならず、生物の個体数の変動なども扱います。

 ノーマ・フィールドの指摘は、ポストモダニズムの時代では、ヴィクトリア朝と異なり、その逆に、人口減少が問題となっているとい意味です。


 ノーマ・フィールドは、現在、シカゴ大学人文学部教授であり、『祖母のくに』や『天皇の逝く国で』など日本を巡る意欲的な著作を発表した日本文化の研究者です。

 日本ではあまり注意を払われなかったのですが、『なんとなく、クリスタル』には、人口問題審議会の「出生力動向に関する特別委員会報告」と「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年度版厚生白書)」が作品末に添付されています。

 この政府の報告書は、20世紀末には回復の見込みのない人口の減少が始まり、一定の条件に変化がなければ、2025年には人口の増減がストップし、静止人口の状態になってしまう結果、日本は「高齢化した社会」へ向かい、それに伴い、厚生年金の保険料の支払いが収入に占める割合も漸増していくだろうと予想しています。

『なんとなく、クリスタル』発表当時は、これが遠い未来の話だと思われていたかもしれませんが、今では、人々の関心が最も高い政治課題です。


 作者本人は、『気分次第をせめないで』において、この表について次のように述べています。

「ただね、こんなにも豊かな、というか、バニティーな生活って、いつまでも続くわけないな、とも思うんですよ。一人の女の人が生産年齢(1449歳)の間に何人の子供を産むかという「合計特殊出生率」が1・77人なんですよ。今、つまり、人口は漸減傾向にあるわけ。でも、老人は増えるばかりで、21世紀初頭には65歳以上の比率が、現在の8・9パーセントから、14・3パーセントに上昇しちゃうんだとか。こりゃ、大変な騒ぎですよ。きっと、スウェーデンやイギリス、西ドイツみたいな社会になっちゃうんでしょうね。外食産業も、流通産業も変化してくるでしょうし。」

 少子高齢化はこの予想を上回るペースで現実化しています。2004年現在、出生率は1.29人、高齢化率、すなわち全人口に占める65歳以上の高齢者数の比率は19.5%です。2005年12月、総務省は国内の人口が減少したと発表しています。

 人口のピークは2004年の12月です。統計力学の成果を踏まえ、「明日の雨の確率は20
%」といった具合の天気予報のように、アンサンブルで幅を持たせて、こうした予想は発表するべきですが、これにより厚労省が変数を甘くして計算していたことは明らかです。

 しかも、2007年から団塊の世代が定年を迎え始め、社会保障の受益者となっていきます。日本の社会保障制度の再編成は急務ですが、日本が福祉国家を目指してきたとすれば、こうした事態を招くことはなかったでしょう。

 手を打つ時間はありました。でも、日本の政治は何もしなかったのです。先進国の中で出生率が1.5人を超えて比較的高いのはフランスやイギリス、北欧諸国などですが、これらの国々では婚外子、すなわち事実婚やシングルマザーが生む子供が非常に多くなっています。

 婚外子の権利を婚内子と同等にするだけでも出生率の低下を鈍らせると期待できるのに、それさえ実施しなかったのです。


 フランスの出生率が上昇しているという報道をしばしば眼にしますが、フランスは、欧州の中で、最も早くから出生率が低下した国なのです。

 フランスでは出生率低下が一八世紀半ばくらいから始まり、一九世紀には出生率が下がり続けています。実は、これは欧州諸国の中では異常な現象です。と言うのも、この時期は産業化=工業化が始まり、人口増加が著しくなっているからです。

 ヨーロッパは19世紀の間に全人口が倍以上に増えています。人口増加の主な原因は医療・栄養環境の改善による死亡率の低下が挙げられますが、それには戦争形態の変化という背景があります。

 ナポレオン戦争以前、戦闘による戦死者以上に、30年戦争を代表に、戦闘による農地の荒廃や農産物の略奪による一般民衆の栄養状況が悪化し、飢餓や疾病の蔓延を原因とする死者が圧倒的だったのです。

 大量破壊兵器なんかなかった時代です。ヨーロッパは、歴史的に見て、慢性的に食糧不足です。小麦が豆と一緒に育てると、休耕地にしなくてすむというのがわかったのも
19世紀で、それから食糧事情は改善されました。

 工業化したいのであれば、農村にいる農業の余剰人口を都市の工場が吸収しなければなりませんが、人口増加がなければ、農業だけで手一杯です。

 フランスが農業国であったから人口が増えなかったのか、人口が増えなかったから農業国だったのかは見解が分かれるところです。

 いずれにせよ、フランス政府は出生率の上昇に取り組んできたのは事実であり、その解決策が移民です。移民による人口増加を18世紀の段階ですでに進めています。

 ところが、1920年代から30年代にかけてと1960年代以降の出生率の低下は突出しています。このような歴史を辿り、200年以上かかってようやく出生率が上昇してきたのです。


 小説家田中康夫は、デビュー当時、1980年代前半を「ブリリアントな午後」と呼んでいました。今の日本は過ごしやすく、光り輝いている午後の一時にあるけれども、いずれ夕暮れが訪れ、もう二度とこのような素晴らしい時はめぐってこないと警告していたのです。

 2000年以降の日本は午後6時を回っています。都市の中心部にある高層ビル内ではパーティが催され、華やかですが、一歩会場の外に出ると、暗く、少々物騒です。戦後政治は福祉国家のポーズをとってきただけだったのです。


つづく