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書き下ろし長編

コモンウェルス
Commonwealth: 20th Century Regime

第三章 キャンペーンとNGO

佐藤清文
 Seibun Satow

2013年2月18日
初出:独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁


第三章 キャンペーンとNGO

第一節 戦争とキャンペーン


 戦争に関する認識の変化が現代のコモンウェルス体制を明確に示している。一九世紀に主流だった「闘争(Struggle)」による国家間の「戦争(War)」は、二〇世紀では、フラクタル性を帯びた「キャンペーン(Campaign)」に基づく「内戦(Warfare)」へと取って代わられる。キャンペーンとしての戦争には、相手がテロであろうと、ドラッグであろうと、ジョゼフ・ナイが提唱している通り、物理的暴力の「ハード・パワー(Hard Power)」とメディアを使った宣伝・教育などの「ソフト・パワー(Soft Power)」を融合させた戦略が必須である。”I have not yet begun to fight!”

 テロリズムにしても、ドラッグにしても、二〇世紀の諸問題に対する当局のキャンペーンは終わりもなく、なおかつ莫大な費用を要する。これが二〇世紀の戦いの特徴である。二〇世紀以前、ドラッグの多くは医薬品として発見され、合法的であったが、生理学的な用法を逸脱する弊害以上に、偏見に基づく政治問題として処理されて違法になっている。現在では、その認識も多少変わりつつあり、医療行為におけるドラッグの使用は一部合法化されている。マリファナは、アメリカでは、ガンやエイズの患者の食欲増進に使われているのみならず、緑内障の治療にも用いられている。

薬物依存症の患者は、言うまでも、存在しているけれども、犯罪者と扱われてはいない。コカインは労働者の生産効率を上げ、南北戦争の傷痍軍人に蔓延していたモルヒネ中毒を緩和させ、また、禁酒運動家の間では、アルコールに代わる気晴らしとして、歓迎されている。違法化の結果、ブラック・マーケットが生まれ、スティーヴン・ソダーバーグ監督の『トラフィック(Traffic)』が示している通り、高校生にとって、アルコール以上にドラッグを手に入れやすくなっている。さらに、当局の反ドラッグのキャンペーンが六〇年代の反体制的な若者たちに、逆に、ドラッグを蔓延させるきっかけになっている。キャンペーンは終わりなき戦いであり、毛沢東が提唱した意味での「持久戦」である。「古い恋の炎の跡を知っている(adgnosco veteris vestigia flammae)」。

PB コカインは?
レノン コカインをやったことはあるけれども、好きじゃないな。ビートルズの全盛時には、みんな盛んにコカインを使ったんだがあれはくだらない薬だよ。20分たったら、また一服いるんだからな。次の一服のことばかり考える ようになっちゃあうんだよ。ぼくはカフェインのほうが扱いやすい薬だと思うね。
(ジョン・レノン『PLAYBOYインタビュー』)


第二節 戦争と国民国家

 戦争は国際法の関係する出来事であり、国際法の展開につれ、戦争の位置付けは変容する。近世になって、フーゴー・グロティウスに代表される国際法学者によりスコラ哲学から継承された正戦論では、正当と見なされる原因に基づく戦争のみが許されることになる。「万人の万人に対する戦争状態」は国家によって規制される。しかし、近代国家の登場に伴い、正戦論に代わって、無差別戦争観が支配的になる。フランス革命後、共和制となったフランスに対して、ヨーロッパ列強は君主制の維持を目的に干渉を企てたものの、革命軍は新たな民衆の国家を防衛するために、自由・平等・博愛のイデオロギーを国民統合のシンボルとして、徴兵制度を採用し、約二四〇万人の戦死者を出す総力戦を展開する。「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」(カール・フォン・クラウゼウィツ『戦争論』)。

 無差別戦争間では、戦争の正当原因は問われず、戦争の規制は放棄され、主権国家間のすべての戦闘は合法と見なされる。戦争は平時状態と対比される戦時状態として把握され、戦時下の具体的行為を規律する戦時国際法が形成されていく。西洋的な国際法によれば、戦争も平時と同様に国際関係の一つにすぎない。戦争状態では、交戦国間には交戦法規が適用され、交戦国と中立国との間には中立法規が適用される。

 中立法規は国際慣習法として成立していたが、一九〇七年のハーグ平和会議において成文化が実現する。交戦法規は交戦資格・交戦手段・加害対象・捕虜の待遇・占領・休戦などを規律し、これに反する敵対行為は戦争犯罪となる。また、交戦法規には人道上の理由によって人間や物を保護するための国際人道法も含まれる。これらの大部分は、国民国家が欧米に定着する一九世紀から第一次世界大戦までの間に成立している。国際法における戦争の開始は、武力紛争当事国の少なくとも一方による戦争宣言といった戦意の表明が必要であり、武力行使が行われても、宣戦布告がなければ、法的には戦争と認定されない。戦争の終了は、原則上、両当事国による講和条約の締結が必要である。

 ここでの「国際」は欧米を指しているにすぎない。当時から現在に至るまで、世界の各地域でさまざまな戦争観や交戦規定があり、戦争が祝祭として機能してきた歴史も認められる。アフリカでは決して深刻化することのなかったにもかかわらず、西洋的な交戦規定によって崩壊したため、戦争が泥沼化している現状さえある。エチオピア西南部の「民族の戦場」では、福井勝義の『東アフリカ・色と模様の世界』によると、戦争は季節に応じた祝祭の一種であるが、各部族間で、戦争の開始から交戦規定、和平の時期・終決の儀礼が細かく規定されている。

 これらが機能できない政府との内戦には、「国民」は部族ではないから、終わらせる約束がない以上、無益と思っていても、やめるにやめられない。戦争に際し、子供もまだ幼いのにまた戦場へ行くのかといった妻からの不満は、欧米であろうと東アフリカであろうと、同じである。性に対する抑圧性が戦闘性と比例しているとしても、騎士道的な交戦規定はあくまでもヨーロッパの社会的・時代的背景によって形成されてきたにすぎない。

 こうした「国際」社会において、国民国家は資本主義と手を携えて、暴れ回る。絶対主義国家は領域的な分裂を克服して統一し、地理的広がりにおいてすでに国民国家と同規模であり、近代化を求める市民革命あるいはナショナリズムを経て実現している。ベネディクト・アンダーソンは「ネーション(Nation)」を国民的一体性を主観的に共有する「想像の共同体(Imagined Community)」と命名しているけれども、むしろ、「虚の共同体(Imaginary Community)」である。近代の領域国家は、主権の及ぶ領域とネーションとしてのイデオロギーの共同体を一致させるため、国旗や国歌を定め、教育やメディアを通じてネーション感情を形成する。フランスのように、比較的長い期間をかけて国民的一体性を達成した国では、「人権宣言」に典型的に見られる市民革命の理念がナショナリズムの主張と結びつき、「国民国家」が正当化される。

 同一のネーションに帰属するという意識の浸透が体制の近代的な民主化過程と同時に進行し、国民国家への一体感が理念的な主権在民の理念に具体性を与えている。国民国家はイデオロギーの共同体であり、すべての領域に関わる総力体制である。近代歴史研究も、国民国家体制と共に、成立する。歴史も、そのイデオロギーに忠実に、再構成されなければならない。G・W・F・ヘーゲルからイマニュエル・ウォーラースティンに至るまでの西洋中心の世界史観はこの産物である。近代的な学問が国民国家と共に、すなわち神の死と共に始まる。国民国家体制は神の死に基づいているために、神を選ばない。その身軽さによりこの体制は世界中に輸出できる。

 ドイツやイタリア、日本など一九世紀後半に急速に上から国民国家の形成が実現された国では、選挙による政治参加とは無関係に政治統合として国民国家への一体感が利用されたため、ネーションが実体的に把握される。遅れれば遅れるほど、それを取り戻す目的で、強権的に進められる。資本主義経済の発展につれてヨーロッパでは市場が拡大し、人々の経済生活の単位も封建的な農村共同体内から外部に向かって広がり、市場での売買を通じた商品経済の浸透は既存の共同体を解体して、社会の枠組みを変更させ、さらに都市間、地域間あるいは国際的な交易も活発化する。もはや人々は貴族でも、農民でもなく、「国民」である。「『わしらはトルコ人じゃありませんぜ、旦那』。『じゃ、何なんだ』。『わしらはイスラム教徒なんです、ありがたいことに…』」(ヤークブ・カドリ・カラオスマンオール『よそ者』)。

 産業資本主義の発達は人々を身分から解放したが、その代わりに、「国民」という鋳型に流しこむ。身分によらず、国民であれば、一定年齢に達すれば、選挙権・被選挙権を通じて、政治に直接参加できる。参加者であるのだから、国民は国民国家体制と産業資本主義を発展させなければならない。市場経済の展開は同一の言語や習慣・文化を共有する民族の居住地域全体にまで拡大して、国民国家が単一の市場として経済生活の単位になる。


第三節 国民国家と政党

 その運動を率先して推進するのは「政党(Political Party)」である。一九世紀、資本主義の勃興により、封建制が解体すると、それまで身分に基づいていた政治的組織に代わって、部分的にその面影を残しているものの、政党が中心的な政治的組織として出現する。特権的な人物が政治を動かす時代は終わり、国民国家体制下、政治は、政党を通じて、実行される。あくまでもアドルフ・ヒトラーはナチス党、フランシスコ・フランコ・バアモンデはファランヘ党、サダム・フセインはバース党の党首である。彼ら独裁者は、六五〇〇対句にも及ぶ叙事詩『ホスローとシーリーン』で謳われたササン朝ペルシアのホスロー二世のごとき権力者ではない。ただ、政党結成が禁止されているサウジアラビア王国やブータン王国のように、政党どころか、成文憲法もない政治体制の国家も存在する。このヒマラヤの急斜面にある仏教国において、テレビが解禁されたのは、二〇〇〇年に入ってからである。

 運動は、物理学では、力の方向を意味するが、政治的な運動は一つの方向性を持っており、政党は、本質的に、そうした運動の前衛である。運動の担い手として政党は他の政党との差異を明確にするため、宣言や綱領といった政治的な目標を「国民」に対して公表し、「国民」は、政党を通じて、国民議会に間接的に民主主義へ参加する。「名は体を表す(conveniunt rebus nomina saepe suis)」。「政治というのは、そのときの情勢を分析して、今までの行きがかりや、自分の属する集団に縛られずに、政治家個人が的確な判断をするのがよい。いったん決めたからそのままとか、みんなで決めたからそのままなんてのは、判断をさぼっている怠惰にすぎない」(森毅『政党の終わり』)。

 国民国家建設の際に、均質な時空間を形成するため、内戦と少数派──時には、多数派──抑圧がつきまとう。日本の場合、前者は戊辰戦争と西南戦争、後者はアイヌに対する旧土人法を通じた同化政策がそれに当たる。国民国家は暴力的・イデオロギー的に差異を破壊し、名目上、その支配領域では、政治的・経済的・文化的に国民は平等ということにする。内戦はこうした国民国家の矛盾から派生するのであって、内戦が二〇世紀の主流の戦いになったのはその問題の解決にてこずっているからである。国民国家の矛盾は、アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア大聖堂が完成しても、解けないだろう。「果実は、甥たちが収穫するだろう(carpent tua poma nepotes)」(プブリウス・ウェルギリウス・マロ)。

 フランス革命から始まった国民国家体制は経済的な遅れを政治的に回復する目的で採用されている。けれども、イギリスとアメリカは国民国家体制登場以前に成立したため、国民国家の原則に忠実ではない。イギリスには成文憲法がないし、合衆国は州ごとに制度・法令があまりにまちまちで、均質さへの意志に欠ける。その上、両国とも、全盛において、孤立主義を外交政策の方針にしている。合衆国はモンロー主義が基本姿勢であり、連合王国は、一九世紀を通じて、一切の同盟を拒み、「栄光ある孤立」を外交方針にしている。二〇世紀に入ると、さすがの大英帝国もフランスやロシアとの対立のみならず、ドイツとも溝が深まり、日本を含め複数の国家と同盟を結び始める。「既婚者ということは、愛さないことの言い訳にはならない(causa coniugii ab amore non est excusatio recta)」。

 また、公教育は国民を生産する機関である。国民は国民国家との一体感を持つだけでは不十分であって、国民国家体制は産業資本主義の要請によって登場したのであり、学校は産業資本主義が必要とする存在を効率よく生産しなければならない。そのため、学校のカリキュラムにも、イギリスやアメリカと大陸諸国とでは違いがある。州によって進化論を教えることを禁じているなどアメリカに中央集権的・効率的なカリキュラムはなく、伝統的に、イギリスは人文主義的傾向、フランスは百科全書派的傾向、ドイツは自然主義的傾向がそれぞれ強い。イギリスのカリキュラムの原理がルネサンス的であり、他に比べて、近代への意識が弱いし、自動車の運転まで単位として認定するアメリカはアナーキーである。

 神の死は地域に応じた国民国家の精神をもたらす。フランスでは、学校内でのブルカの着用は禁止されているが、ドイツにおいては許されている。アメリカの小学校では、何と、児童に「国旗敬礼(Flag Salute)」という「忠誠の誓い(Pledge of Allegiance)」を斉唱させる。朝の始業前に国旗に対して敬礼し、全員起立して左胸に手を当て、“I pledge allegiance to the Flag of the United States of America and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all”と言わなければならない。こうした儀式はアメリカに限らないものの、学校とは理性の場であり、芸術・体育教育も重視されていないフランスから見れば、想像できない光景である。

 他にも、社会保障制度はオットー・フォン・ビスマルクによってドイツから始まり、社会保障は、所得保障と医療保障、介護・サービス保障の三つの柱がある。イギリスは相互扶助が社会保障であり、この福祉国家に広まったドイツ方式とは異なっている。合衆国の社会保障は、そういった国と比較して、いささか野放図である。英米はエスニック・宗教ごとのコミュニティ形成を許容してきたため、独自の文化だけでなく、その接触が新たな文化を生み出している。

 他方、フランスは移民に対して同化政策をとってきたせいで、逆に、仏情報機関の報告書によると、大都市郊外の半分がエスニック・宗教に基づく排他的な「ゲットー」と化している。このように国民国家は世界的に規範的な体制であるものの、政治的・経済的力においては非主流である。「世界は三色アイスのように(A・ハクスリーの言うごとく)物理的、生物学的、社会=精神的レベルの三層からなる。イチゴはチョコレートに還元できない──私たちがせいぜい言えるのは、せんじつめればすべて多分バニラであること、すべては心あるいは精神であるということだろう」(ルードヴィヒ・フォン・ベルタランフィ『一般システム理論』)。


第四節 国民と移民

 移民や難民は、二〇世紀のアメリカは言うまでもないが、歴史的に見て、多くの国の発展に寄与している。一七世紀のオランダや一九世紀のイギリスの覇権国への成長は、レコンキスタの際にイベリア半島から追放されたユダヤ人の受容を抜きには考えられない。道徳的狭量さは人材流出を招き、スペインのヨーロッパにおける地位を没落させている。社会の保守化に伴う住み分けは文化的な活性化を殺ぎ、好ましい状況ではない。二〇〇四年の合衆国の大統領選挙は、その意味で、地政学的な海と陸の対立を顕在化させている。東西両海岸と中西部がジョージ・W・ブッシュを選ぶか否か分断されたが、これはアメリカが活力を失い、人材流出の危険性を孕んでいる兆候と見なければならない。近い将来にも、アメリカからカナダやオーストラリア、ニュージーランドにリベラル派が逃げていくだろう。

 コミュニケーションへの意志が弱い状況に陥った集団が滅亡するのは、文明以前から見られる出来事である。ネアンデルタールとホモ・サピエンスの脳の容量は両者共約一四〇〇mlであり、優劣はない。ネアンデルタールは、実際、葬儀も行っている。ネアンデルタールが絶滅し、ホモ・サピエンスが人類の祖先になったのは、発話能力の違いである。化石を分析した結果、咽喉仏の位置が高いネアンデルタールの発音できる音は、ホモ・サピエンスと比較して、著しく限定されていたと推測されている。言語はコミュニケーションとして知識・経験の共有を可能にする。

 氷河期に直面した際、高度な言語能力を持ったホモ・サピエンスは、言語能力に比例して、現在のみならず、共有した知識・体験を未来に応用し始めたのに対し、ネアンデルタールには時間を超える想像力を持ち得ていない。ホモ・サピエンスは初歩的なカレンダーを作成し、天候と獲物である動物の行動を関連して認識し、飢えに苦しみながらも、その危機を乗りきっている。ネアンデルタールは天候になす術もなく、死んでいく。脳の能力ではなく、咽喉仏の位置が両者の命運を分けてしまったのである。言語は時間を通じた文化の共有を可能にしたのであり、その意味で、それは人類にとって文化的なDNAである。遺伝子は、長い時間をかけて、生物の進化を育んできたが、人類は言語によって短期間のうちに文化を発展・滅亡させてきている。言語は、人類にとって、プロメテウスの火にほかならない。国際社会とのコミュニケーションを嫌がっているアメリカが今日のネアンデルタールにならないとは言いきれない。

 国民国家体制の確立とその普及は均質な時間・空間を達成するはずだったのに、実際には、さまざまな斑のある世界が形成されてしまう。それをイマニュエル・ウォーラースティンは「世界システム(World System)」と呼んでいる。この事実のために、世界を論じるのは、それがコモンウェルス論だろうと、本当は不可能である。そのデコボコさのために、いくらでも反論ができる。しかし、そうした思想のゲリラ戦は好ましい。コモンウェルスを消耗させられるからだ。為政者は国内的には国民国家、国外的には帝国主義を政策として採用し、その構造は同じである。帝国主義は国民国家のヴァリエーションなのだ。

 「オリエンタリズム」が形成されるのは、あくまでも帝国主義の過程である。近代化された日本人が中国人に対してそうなったように、豊かで高度な文化を持つ東洋への西洋人のアンビバレントな憧れの感情は優越感へと転換する。帝国主義政策は国民国家の理想が外に向いたものである。文明化を野蛮人に享受させなければならないという「白人の重荷」は、世界を強引に均質化しようとした結果、アジアやアフリカのような言語・文化・伝統が多種多様なエスニックな地域を混乱に陥れてしまう。「上手に担われるとき、荷物は最も軽くなる(leve fit, quod bene fertur, onus)」(プブリウス・オウェディウス『変身物語』)。
 
Take up the White Man's burden--
Send forth the best ye breed--
Go, bind your sons to exile
To serve your captive's need;
To wait, in heavy harness,
On fluttered folk and wild--
Your new-caught sullen peoples,
Half devil and half child.
(Rudyard Kipling “The White Man's Burden”)

 それぞれの社会には長い歴史を経て形成してきたデリケートな秩序がある。インド文化を代表する大叙事詩『ラーマヤナ』は、インドのみならず、東南アジア全般の各エスニック集団に応じて、物語の構成や登場人物の役割が異なり、正典が存在しない。その多様な物語を許容することで、その文化圏は共生している。国民国家という正典化はこうして成り立っている社会の微妙なバランスを失わせてしまう。国民国家は神の死に基づいているため、その無根拠さを自ら規定し、律することを公表しなければならない。身分制議会から派生した議会を国民の代表の集う場として召集し、公用語を制定した上でその言語で記された憲法を必要とする。国民としての意識を持たせるために、正しい公用語を学校で習得させ、さらにメディアはそれを普及する。

 アルフォンス・ドーテの『最後の授業』やエドモンド・デ・アミーチスの『クオーレ』には、そういった国民国家的イデオロギーが見てとれる。そのイデオロギーは世界各地の芸術にシンクロニシティを巻き起こし、かつてないほど各地の文化の間に影響関係が形成される。チベットのトンドゥプジャの『化身』には、彼が敬愛していたニコライ・ウラジミロヴィチ・ゴーゴリーの『検察官』の影響が見られる。国民国家は、コモンウェルス体制が電波メディアによって形成したのに対し、プリント・メディアが用意している。スタンリー・カーノーは「あのしょぼくれたエイブラハム・リンカーンが大統領になれた時代が懐かしい。有名なゲティスバーグ演説もテレビ局で、十秒にカットされるだろう」と言っている。視覚的メディアであるテレビ討論では、内容よりも印象が選挙結果に反映される。公用語の決定は政治権力によって可能であるが、その文法・修辞法は活字メディアによって一般化させ、普及しなければならない。

 特に、日本は西洋近代を借りて、かつての文化的宗主国中国を支配することにした結果、日本語を自らのアイデンティティにせざるをえなくなり、植民地で日本語教育を強制している。現代ビルマ文学の傑作ジャーネージョー・ママレーの『血の絆』には、こうした背景を無視できない。新聞や雑誌、書籍に記されている言葉の用法は正典に加えられる。神の死では、その言語の正しさは宗教的な書物に依拠するわけではない。『コーラン』に基づくアラビア語のフスハーは、逆に、国民国家的統一を導けない。神の死以降、言語に対する関心が高まるのは当然である。活字メディアは、神の死において、権威を獲得し、自らを正典化すると同時に、多様性を偽典・外典として黙殺してしまう。

“Im Westen Nichts Neues”
(Erich Maria Remarque “Im Westen Nichts Neue”)

 国民国家の建設者はそれが第一次世界大戦のような惨劇をもたらすとは想像していない。「戦争を続けようとする者にも亦戦争を始めた者と同様の罪があるのです。あるいはそれ以上の罪があるかもしれません。何故なら、真っ先に始めた方は恐らく戦争の惨禍をことごと悉く予想していたわけではありませんからね」 (マルセル・プルースト『失われた時を求めて』)。第一次世界大戦は国民国家体制を確立させるために機能してきた各種の装置がもたらしている。無差別戦争観はその勃発によって崩壊し、戦争は違法化される。一九一四年に始まった第一次世界大戦では、戦争の規模はかつてないほど拡大する。一国の人口の大半が直接的に戦争の影響を受けただけでなく、工業生産を中心とした国民経済全体の動員という全体戦争の時代に突入する。

 産業革命に始まる大量生産化とイノベーションが重化学工業を発達させ、武器の生産力と破壊力は大幅に向上している。戦争が英雄の物語である時代は終わりを告げる。普通選挙制という民主主義の理念を媒介とした国家と国民個人の運命の同一視によって、徴兵制度の一般化を導く。戦争の勝敗が国家の工業力・生産力によって決定されると共に、直接戦闘員と一般市民双方に多大な犠牲者を生み、国家が戦争の当事者となる。ベルサイユ条約では、加盟国は紛争の平和的解決を義務づけられ、紛争解決の手段としての戦争が一定の制限を受けることが規定される。

 また、加盟国が規約に反して戦争に訴えた場合は、連盟から制裁が行われる。一九二八年の不戦条約では、締約国は国家の政策手段としての戦争を放棄し、国際紛争を平和的手段によって解決することが規定される。勢力均衡論は第一次世界大戦で崩壊し、それに代わって、集団安全保障論が中心となる。世界は国民国家体制からコモンウェルス体制へと移行し始めたのである。


第五節 コモンウェルスと平和

 コモンウェルス体制の流れが決定的になった第二次世界大戦後の現代国際法は戦争を国際法の外に置くことで平時一元化を実現し、その基本構造を転換する。国際連合憲章では、一条「国連の目的」で「国際の平和及び安全を維持すること。そのため、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧により有効な集団的措置をとること」が定められ、二条「行動の原則」において「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって」解決すべきこと、また「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定して、戦争の違法化をより徹底的している。

 国際連合による集団安全保障体制の下では、国連の集団安全保障体制の発動として軍事的措置(国連憲章四二条)と加盟国の個別的あるいは集団的自衛権の発動に伴う武力行使(同五一条)だけが例外的に許容されている。安全保障理事会によって侵略行為が認定された場合、平和破壊者に対する軍事的強制措置や非軍事的強制措置が実施されるが、安保理の決定は国連加盟国を拘束している以上、中立法規を形骸化させているもが現状である。

 国連憲章に反して行われる戦争は違法であるとしても、違反国に対して科される制裁としての戦争は正当化されるというわけだ。従来の戦時国際法──特に、中立法──が疑問視され、交戦法規の侵略国とその犠牲国ないし国連の間の差別適用の問題が提起されたものの、現実には、違法ないし侵略戦争の国際的認定が困難であり、武力を行使する国はその正当化のために国連憲章上の自衛権を口実にするから、そのような武力紛争の際には交戦法規や人道法規は交戦国に平等に適用され、中立法規の適用の余地も残されている。

 湾岸戦争の際には、国連の場で、戦争の肯定化が行われる。クウェートに侵攻したイラク軍に対して合衆国軍を中心とした多国籍軍が、一九九〇年一一月、国連安全保障理事会の武力容認決議を背景にして、一九九一年一月から開始した軍事攻撃は国連が容認した軍事的措置として正当な戦争であると見なされている。「砂漠の嵐」作戦は、その後の合衆国が関連する戦争のモデルになっている。ミサイルや戦闘爆撃機による軍事関連施設への空爆から始まり、ハイテク兵器が投入され、電波メディアがライブでその光景を中継する。アフガニスタンやイラクに至ると、それに加えて、軍も、メディアも衛星を介して行われ、「衛星の戦争(Satellite Campaign)」と呼ぶべき状態になっている。コモンウェルス体制がこのような矛盾を孕みつつも、世界大戦規模の戦争を防止してきたのは確かである。

 しかし、その反面、コモンウェルスはvisibleな国家間戦争の抑止には、一定の効果があったものの、別のタイプの戦争、ゲリラ戦には必ずしも十分ではない。「戦争は自身を無に帰す(bellum se ipsum alet)」(ティトゥス・リウィウス・パタウィヌス)。核兵器の登場は大国が直接戦闘することのない冷戦を生んだと共に、複雑な事情と絡み合いながら、局地的な相似的代理戦が世界各地で展開されている。戦争がinvisibleになり、小さな戦争、すなわち内戦が主流となる。

 二〇世紀は、一九世紀とは違い、invisibleな平和が求められる。一九世紀において国家主権が浸透し、二〇世紀の権利の主眼は人権であったが、二一世紀には平和権が確立されるだろう。もはや平和は軍事力の問題ではない。戦争のない状態が平和だという発想はvisibleな認識に基づいているにすぎない。

 国連開発計画(United Nation Development Programme: UNDP)が「人間の安全保障(Human Security)」を提言している通り、領土に偏重した国家の安全保障は時代遅れである。平和というものもハードからソフトへとパラダイム転換している。GDPの増大・維持のために、外的から防衛するという安全保障は真に愚かと言うほかない。暴力をvisibleなものに限定しているからだ。暴力は貧困や差別など人権を踏みにじるものすべてを含む。戦争を論じることが平和へと直結するわけではない。

 内戦自体は国民国家建設につきまとう戦闘であるが、一九二〇年代以前、基本的には、その地域内にとどまった問題である。「ゲリラ(Guerilla)」はスペイン語で「小さな戦争」を意味し、ナポレオン軍に抵抗したスペインの民衆の闘争に由来している。フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスが『巨人』と『一八〇八年五月三日』において描いているのはまさに二〇世紀の姿である。

 国民国家体制に対する最初の闘争がすでにゲリラだったのである。しかし、両対戦の間にコモンウェルス体制が育ってきたように、内戦は国際化し始める。第二次世界大戦前夜、ユーラシアの西端においては、スペイン内戦、東端では、中国共産党と国民党の戦闘が起き、それぞれに後の枢軸国三国が介入している。どちらにも宣戦布告はない。第二次世界大戦中に各地でパルチザンやレジスタンスが、主に、枢軸国の正規軍を相手にゲリラ戦を挑んでいる。それまでの戦争は占領されれば終わりだったが、ゲリラ戦は占領後から始まる。しかも、ゲリラ戦には国家間戦争の意味での前線が存在しない。前衛と後方の区別が決定不能になる。いかなる場所であっても、戦場になりうる。第二次世界大戦以降になると、国家間戦争以上に、ゲリラ戦的な内戦が多く起き、完全に主流の戦争形式となっている。ベトナムやアフガニスタン、スーダン、ユーゴスラビア、コロンビア、チェチェンあげればきりがない。

No man is an island,
Entire of itself.
Each is a piece of the continent,
A part of the main.
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less.
As well as if a promontory were.
As well as if a manner of thine own
Or of thine friend's were.
Each man's death diminishes me,
For I am involved in mankind.
Therefore, send not to know
For whom the bell tolls,
It tolls for thee.
(John Donne “For Whom the Bell Tolls”)


第六節 ゲリラの時代

 内戦は国際法のアポリアを露呈する。一六一八年から四八までの間続いた三〇年戦争と終決の年に結ばれ、主権を持つ国家概念をヨーロッパにもたらしたウエストファリア条約の体制を前提にしているため、今日の国際法には内戦の統一した定義は存在しない。内戦において合法政府は、国内法上、反乱団体を鎮圧し処罰する権限を持っているが、国際法には内戦を禁止する規則はなく、内戦が一定の規模になるまで、国際社会は一般にそれに関知しない。この法の解釈上、サイゴン政府に対する合衆国の軍事援助は合法であり、ハノイ政府によるベトナム民族解放戦線への援助は違法な内政干渉である。

Benjamin L Willard: Saigon…shit! I'm still only in Saigon. Every time I think I'm going to wake up back in the jungle. When I was home after my first tour, it was worse. I'd wake up and there'd be nothing.
(Francis Ford Coppola “Apocalypse Now”)

 ベトナム戦争のような戦争の複雑さは、バオ・ニンの『戦争の悲しみ』の錯綜した物語構成が端的に示している。反乱団体がその国の領域の一部に対して実効的支配を及ぼし、地方的かつ事実上の政府としての実質を持てば、合法政府または外国はこの反乱団体を交戦団体として承認することができる。この場合、内戦は、国際武力紛争の一種となり、当事者間には戦争法ないし人道法が適用され、外国は中立の地位に立ち、いずれの当事者に対しても援助を与えてはならない。

 このような内戦に対する国際法の関与に対して、第二次世界大戦後の人道法に関する条約は、反乱団体への承認の有無に言及せず、紛争当事者の法的地位に影響しないながらも、非国際武力紛争が発生すれば、それに最小限の人道規定が適用されると規定している。国際条約は国内法に優先しており、国際条約を批准もしくは締結した際には国内法を整備しなければならない。憲法が至上原理だった国民国家体制に対し、コモンウェルス体制はこうした国際条約、「プロトコル」によって規制される。国民国家体制において、ナショナル=インターナショナル、コモンウェルスでは、自治(Municipal)=トランスナショナルが軸である。内戦と扱われてきた植民地の解放闘争は、国際法上の自決権の確立につれ、国際武力紛争に分類される。

 いずれにしても、国際法は戦争が一定の命令系統を持った組織が行うものという前提に立っている。主権もなく、命令系統さえ曖昧な共時的集団によるゲリラ戦はテロと切り捨てられる。けれども、そうしたフラクタル性を帯びた活動が今日の戦闘の主流な形態であり、それによって相手を消耗させられる。ゲリラ戦を伴う内戦は長期化する傾向にあり、関与した大国を政治的・経済的に破滅に導く。インドとパレスチナは大英帝国、アルジェリアはフランス第四共和制、ベトナムは合衆国とドル、アフガニスタンはソ連をそれぞれ没落させている。最近でも、「カルタゴを滅ぼさなければならない!(Delenda Carthago!)」と言って始めたものの、「知りすぎた愛人(quasi piscis)」のサダム・フセインが捕らえられても、イラクでは戦争状態が継続している。

 「愛人は魚のように、新鮮でなくなったならば、都合が悪い(Amator,quasi piscis, nequam est,nisi recens)」。アメリカ軍は天皇という戦後の交渉相手がいなくなる危険性を避けて、東京に原爆を投下しなかったが、このような配慮は国家間戦争においてのみ有効である。戦闘を統括的に指揮しているものはもはやいない。これがキャンペーンであるゲリラ戦の特徴である。ゲリラ戦がさらに小規模化すると、それはテロリズムと化す。そんなものを撲滅することは不可能である。「人間は、望むことを喜んで信じる(libenter homines id quod volunt credunt)」(ユリウス・カエサル)。

 対人地雷と核兵器は最も二〇世紀的な兵器と言わねばなるまい。前者は人を生きているとも死んでいるとも言えない状況に貶める武器であり、後者は二回の使用を以て使わないで脅しに用いることで意味がある史上初の爆弾である。この世紀は、こうした点では、史上最低の陰険な時代にほかならない。

 国民国家はヘーゲル流の個人=家族=国家の大陸都市的なヒエラルキー・システムを前提にする。ところが、二〇世紀になると、個人は家族や社会、エスニック集団、国家といった諸概念のネットワークにいる。この「電気の世紀」は都市文化であり、都市住民は複雑なアイデンティティを持たざるを得ない。二〇世紀に発展した都市は「島」と言い換えることもできよう。日本やシンガポール、台湾のような、島の都市は城壁といった威嚇構造を持たない。その意味で、最大の島国はアメリカ合衆国である。「島というのは元来、国家に帰属されるのに無理なところがある。琉球だって、昔は半独立国で日中両属だったし、台湾ですら中国の覇権が危うかった。いま、台湾にシンガポールに香港と、国家帰属の形態はさまざまながら、活力のあるところは島だ。ナショナリズムの二十世紀も世紀末になって、ボーダーレスの二十一世紀は島の時代になろうとしている」(森毅『島を未来都市に』)。


第七節 コモンウェルスとNGO

 ネットワークの時代である二〇世紀において、議会に代わって、市場が絶大的な影響力を発揮するのは当然だろう。もはやvisibleでホット、線形、ハード、生産の観点から見られた階級闘争などなく、NGO・NPOを含めた利益集団によるメディアを通じた宣伝や市場への投資、立法・行政・司法への働きかけといったinvisibleで、クール、非線形、ソフトなキャンペーンが大衆の消費に影響を与える。市場の参加者は外国人であっても構わないどころか、外資に入ってもらわなければならない。市場は公用語ではなく、最も支配的な英語が使われる。フランス語教育にことのほか熱心なカナダのケベック州の独立運動であっても、その点を踏まえ、商取引における英語の使用を認めている。

 森毅は、『文化としての価格』の中で、「需要と供給というばかりでなく、マーケットという文化の中での出会い」が市場の原理だと言っている。非ネイティヴ・スピーカー同士が会話するため、その文法的・修辞学的・論理学的な正しさは決定不能になる。国民国家的な正典化は無効である。既存の無数の言語がエスニック・宗教之コミュニティの中で話される一方、ピジン化・クレオール化したグローバルな言語が、将来的には、より発達していくだろう。

 「すなわち、われわれが『記号』『語句』『文章』と呼んでいるものすべての使いかたには、無数の異なった種類がある。しかも、こうした多様さは、固定したものでも一遍に与えられるものでもなく、新しいタイプの言語、新しい言語ゲームが、いわば発生し、他のものがすたれ、忘れられていく、と言うことができよう(この点のおおよその映像を、数学の諸変化が与えてくれよう)。『言語ゲーム』ということばは、ここでは、言語を話すということが、一つの活動ないし生活様式の一部であることを、はっきりさせるのでなくてはならない」(ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探求』)。一つの言語しか離せない人も依然としているが、複数の言語を操る人の数は今とは非核にならないほど増える。ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』のような言語世界が広がっていく。

riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs.
Sir Tristram, violer d'amores, fr'over the short sea, had passen- core rearrived from North Armorica on this side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war: nor had topsawyer's rocks by the stream Oconee exaggerated themselse to Laurens County's gorgios while they went doublin their mumper all the time: nor avoice from afire bellowsed mishe mishe to tauftauf thuartpeatrick: not yet, though venissoon after, had a kidscad buttended a bland old isaac: not yet, though all's fair in vanessy, were sosie sesthers wroth with twone nathandjoe. Rot a peck of pa's malt had Jhem or Shen brewed by arclight and rory end to the regginbrow was to be seen ringsome on the aquaface.
The fall (bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonner- ronntuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthur- nuk!) of a once wallstrait oldparr is retaled early in bed and later on life down through all christian minstrelsy. The great fall of the offwall entailed at such short notice the pftjschute of Finnegan, erse solid man, that the humptyhillhead of humself prumptly sends an unquiring one well to the west in quest of his tumptytumtoes: and their upturnpikepointandplace is at the knock out in the park where oranges have been laid to rust upon the green since dev- linsfirst loved livvy.
(James Joyce “Finnegans Wake”, I.3)

 国内と国外の区別は、時代が進むにつれ、決定不能に向かっている。経済が国際問題になったのは、比較的最近のことである。プレトン・ウッズ体制以前、国際問題の中心は政治や安全保障であり、金本位制のメカニズムのため、逆に、経済は国内問題と考えられている。世界恐慌の際、各国がばらばらに対応しているし、国際連盟はそれにまったく関心を寄せていない。経済はゼロサム・ゲームであって、自国の利益の追求がすべてであり、指導者たちはエベニーザ・スクルージに見られても、何ら恥じることはないと考えている。「富は名誉を求め、あくせくする(dat census honores)」(プブリウス・オウェディウス)。

 しかし、第二次世界大戦以降、ウエストファリア体制は、事実上、崩壊する。経済が国境を超える現象であり、経済問題には、サミットがお約束の如く経済での参加国の協調を毎度発表する通り、国際的連携が欠かせない。ドル本位制は、金本位制のようなメカニズムがないため、国際協調によって金融政策をとらなければならない。国民経済を代弁する経済・金融閣僚ならびに中央銀行頭取がグローバルな経済の利益を唱えるのはこうした背景による。政治は、二〇世紀において、経済の僕にすぎない。「商品交換は、共同体の果てるところで、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。しかし、物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それは反作用的に内部的共同生活でも商品になる」(カール・マルクス『資本論』)。

 コモンウェルスの目的である自由貿易の普及は大きな戦争を抑止している。核兵器による戦争の抑止効果の是非はともかく、自由貿易の維持には、戦争や紛争は危険因子である。ハバナ憲章以来、経済問題は国家だけでなく、世界全体をどうするのかという認識に基づかなければならない。一国の経済破綻は、タイの通貨バーツの暴落が世界を巻きこんだように、世界に飛び火する。戦争は関与する国の経済だけでなく、国際経済を混乱に陥れる。戦場となった地域はライフ・ラインやインフラの破壊、食糧不足、感染症の流行、治安の悪化が起き、周辺地域に、難民が流出し、不安定さを嫌って外資が逃げ出してしまう。さらに、戦後復興にも膨大な資金とマン・パワーが必要となる。

 カルロス・クライバーが指揮台に上るかどうかのような短期的予測可能性=長期的予測不可能性というカオス現象の特徴に従い、短期的に終息する場合は市場は活気づくこともあるが、ゲリラ戦を伴う長期戦の見込みが明らかになると、市場は落ちこみ、政治的指導者に「ダモクレスの剣(Damoclis gladium)」を食らわせることになる。キャンペーンの時代にとって、国境は「地平線」にすぎない。寺山修司は、『地平線のパロール』において、「まだだれ一人として、地平線まで行った者はいなかった」と同時に「世界中のだれもが地平線の上に立っている」と言っている。「地平線」は「どこにもなくて、どこにも在るもの」である。そこは中心ではないが、周辺でもない。「辺境部」である。「世界で一ばん遠い場所」であり、内部と外部を分ける境界も意味をなさない。

 こうしたネットワーク社会において、運動の推進組織である政党は十分に機能し得ない。「事態が緊迫感を失ってくると、集団の振る舞いも解体する可能性が出てくる。と言うのは、対象化されたもの(例えば、打ち壊されたバスチーユ)を共同で維持することは、必要なことでも緊急のことでもないからである。それに、共同で維持することは、集団の過去のあり方を集団の唯一の理由として現実の全体化の実践にもたらすことでしかない。集団はすでに過去のものとなった勝利のうちに自分を見ようとやってくる。つまり、集団は自分自身を目的と捉えるのだ(ジャン=ポール・サルトル『弁証法的理性批判』)。二〇世紀の後半、政党に代わって、NGOが主役として活躍している。政党が国民国家的であるように、政府の追求する国益に拘束されず、国境を超えた連携を現象的に展開できるNGOはコモンウェルス的である。支配的な体制はそれに対抗する組織にも、形態において、援用される。

 NGOは匿名の個人による問題意識の共有を通じた連帯である。なるほど、選挙も匿名性を前提にする。しかし、この匿名性は、年齢や国籍条項のように、国民国家当局によって制限されている。NGOでは、匿名性がより自由である。NGOは国家と対決しない。国家は死ぬに死ねない存在にすぎない。

 国連憲章七一条は、「経済社会理事会は、その権限内にある事項に関係のある民間団体と協議するために、適当な取り決めを行うことができる」と規定している。この規定に基づいて国連経済社会理事会は従来から多くのNGOと協力関係を結んでいる。NGOの活動は、一九七〇年代以降、人権や平和、開発、環境といった領域で注目されてきたが、近年は、経済社会理事会に限らず、総会や安全保障理事会などの多くの国連下部機関でも、NGOとの協力関係が拡充し、主権国家を軸とする国際関係の限界を超える機能を果たしている。

  国連と協議関係にある国連NGOは、先に言及したコモンウェルスの分類とも関連するけれども、次の三つに大別できる。第一に、赤十字社や国際商業会議所のような経済社会理事会の活動の大部分に基本的利害関係を持つ組織であり、同理事会に対する議題の提案および会議への出席と発言、意見書の提出もしている。第二に、アムネスティ・インターナショナルや国際法協会といった同理事会の活動の特定の分野に関する組織であり、会議への出席と発言、意見書の提出を行っている。第三は「ロスター・カテゴリー(Roster Category)」と呼ばれる難民や先住民問題など専門的領域で活動する団体である。それは、さらに、NGO委員会に属するロスターA、国連事務総長に属するロスターB、他の国連専門機関に属するロスターCに細分され、それぞれ会議への出席や意見書の提出が可能である。インディアン法資料センター、北欧サーミ評議会、核戦争防止国際医師会議などがこれに含まれる。

 NGOはコモンウェルス内のコモンウェルスの一例である。近代に入って以来、専門家の重要性は増してきたが、それは特定領域に詳しい個人の作業を意味しない。あるプロジェクトをチーム・ワークによって実行するのが、多くの組織において主流である。そういた集団的匿名としてチームは、ロシアのマトリョウシカ人形のように、組織内に自己相似的な組織として機能している。NGOと国連、加えるならば、コモンウェルス体制全体は、フラクタル的な関係にある。


第八節 ゲリラとしてのNGO

 ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク政策では軍が中心に据えられ、NGOは完全に排除された結果、政権転覆までは短期間で終わったものの、その後は大混乱に陥っている。国を乗っとるよりも統治する方が難しいことは世界中のクーデターの成功者が実感している。もはや政府の役割は極めて限定されたものでしかない。「武器は平服に道を譲り、月桂冠は賞賛に勝らず(cedant arma togae, concedat laurea laudi)」(マルクス・トゥリウス・キケロ)。政府は「体質(Culture)」を変換させなければならない。

 途上国への支援も、政府間ではなく、NGOなくしてはままならない。合衆国は、ビル・クリントン政権の一九九五年、コペンハーゲンの社会開発サミットにおいて、米国際開発局(USAID)による対外開発援助の四〇%は相手国政府ではなく、NGOを通じて行うと表明している。合衆国のODAは、二〇〇二年度で、一二九億ドルに上る。アフリカ諸国は反発したが、合衆国政府はこの決定を覆していない。

 「同じく(et idem)」が口癖の対米追従では定評のある日本政府であるにもかかわらず、この方面では、鈴木宗男が衆議院議員から退いた後も、独自路線を走り続けている。「犬に注意!(Cave canem!)」今の日本は、口コミも含めて、地上最も諷刺がない社会である。”Satire is tragedy plus time. You give it enough time, the public, the reviewers will allow you to satirize it. Which is rather ridiculous, when you think about it”(Lenny Bruce).途上国に対する最大の援助は、安全で、安い水が手に入るようにすることである。軍隊を送りこむことではない。一九六〇年代は「アフリカの時代」と呼ばれ、多くのアフリカ諸国が独立したが、現在、その中で、教師や警察官、兵士に給料を滞りなく払っている政府は極めて少数である。国民国家体制は公教育と常備軍によって国民を生産するが、それさえままならない。「白人の重荷」に支えられた植民地時代の方がまだましだったと嘆く住民も少なくない。

 カール・グンナー・ミュルダールは、大著『アジアのドラマ』において、貧しい国の政府の合法性それ自身が貧困の均衡の一部になることを解明している。豊かな国の政府は、財源を持っているので、日本政府が示しているように、失敗が許される。トーマス・マルサスの『人口論』が適用してしまう人的・物的資源に乏しい貧しい国の政府は、貧困に対して責任をとらなければならないが、それを軽減する力も足りない。そうした無能力は、何よりも、行政の弱さとして顕在化する。一九七四年ノーベル経済学賞受賞者は、途上国が経済的・社会的発展をするには、制度的な改変が不可欠であると強調している。

 国に金があったとしても、状況はさして変わらない。ナイジェリアはアフリカ最大の産油国であり、その黒い水によって年間一二〇億ドルの外貨収入がある。ところが、約一〇〇億ドルが使途不明のままどこかに消えている。その結果、政府高官はラゴス郊外の海辺に面した高級住宅地に住む一方で、教師への給料は遅延が続き、生徒は文房具が買えないため、通学できない。教育水準の低さと貧困はまったく解消されない。カメルーンのモンゴ・ベティは、『モンバの哀れなキリスト』において、欧米の植民地政策と同時にアフリカ人社会が抱える矛盾を告発している。国民国家にしても、政党にしても、死んだわけではない。主流でないとしても、それらもNGOと共に、現代社会において機能している。ネグリ=ハートが言うように、多くの組織が複雑に絡み合って国際社会を実際に構成している。NGOもその一つにすぎないだろう。けれども、フラクタルな世界にあって、NGOによる草の根の支援によって不足しているものを育てていくほかない。

 とは言うものの、NGOの役割が大きくなると、腐敗した連中はそちらも狙い始める。チャドで砂漠の緑化活動をしているNGO「緑のサヘル」は、二〇〇三年八月、日本人スタッフを退去させている。財務省や農業省、開発協力省の小役人が彼らにたかり続け、資金難に陥ったためである。多くのアフリカ諸国の政治家や官僚は自分の利権のことしか頭にない。根が抜かれてしまっては、そこは砂漠化してしまう。こうした現状に対してNGOは、対人地雷禁止国際キャンペーンの貴重な成功を踏まえ、キャンペーンをはり、ゲリラ戦を挑むべきである。一つの成功例がある。二〇〇一年に設立した世界トイレ機構(World Toilet Organization: WTO)は「ニイハオ・トイレ」で観光客を悪夢に陥れる中国のトイレ事情の改善を促している。このシンガポールに事務局を置くNPOは、トイレとそのデザインを通じ、文化・技術・健康・環境の問題を論じている。NGO・NPOも利益集団であり、こういったキャンペーンによって力を発揮する。

 二〇〇〇年のラルフ・ネーダーや二〇〇三年のハワード・ディーンをめぐる現象はそうした時代の政治活動である。そこに見られるのは政党、すなわち運動としての政治を支える組織の脱構築である。組織はその完成度だけではなく、アクセスによって機能する。アクセスを拒む、あるいは難しい組織は自戒する。イスラム原理主義の隆盛によってメディア上少々かすみがちあるけれども、インターネットを駆使し、メディアをうまく利用するGeneration-Yは、六八年世代と違い、前者が後者に負っている点は少なくないが、原則的に、物理的暴力に依拠しない。

 一九世紀、フランスで官僚主義的なサン=シモン主義者とアマチュアの社会主義者が同居していた通り、思想家がスペシャリスト=アマチュアであるのに対し、二〇世紀は、クライアントとの契約に基づく選挙コンサルタントと同時にジェネレーションYが活動しているように、プロフェッショナル=ボランティアの時代である。

 ジェノヴァ・サミットにおける騒乱は、痛ましい死傷者の衝撃によって、一定の意義はあったとしても、九・一一の暴力を考慮するならば、前時代的であった点は否定できない。暴力への狂信は、問題への短期的な対処としては有効であったとしても、長期的には実を結ばない。原因がvisibleな世界において、そういった対処療法が使えるのであって、非線形性の世界ではヒポクラテスの誓いを破ることになる。原因を除去すれば、その因果関係上、結果も変えられる。

 決定不能性を伴った初期値に対する敏感性にはまったく歯が立たないどころか、事態を悪化させかねない。カオス現象には、短期的予測可能性と長期的予測不能性があり、経済現象がそうだとすれば、中長期的予測は不可能である。企業の在庫投資に起因し約四〇ヶ月の周期を持つキチン短期循環はともかく、約一〇年の周期である企業の設備投資のジュグラー中期循環や約二〇年周期に従い建築物の需要に起因するクズネッツ循環あたりはもはや信頼性があやしいというわけだ。

 アメリカのジョン・ルーサー・ロングの小説『蝶々夫人』が多方面にヴァリエーションを拡散していき、エーリッヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』において、ポール・バウメルが命を落とすのが蝶を捕まえようとしたときであり、ソ連はアフガニスタンにおいて子供をターゲットに二四時間で活性化するバタフライ型対人地雷を航空機でばらまき、二〇〇〇年の合衆国大統領選挙の結果を決めたのがフロリダ州のバタフライ式投票用紙だったことを踏まえつつ、これから、より政治における「バタフライ効果(Butterfly Effect)」を実践すべきだろう。

つづく