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メアリー・スチュアートの足跡を追って
スコットランド2200km走破

エジンバラ王立植物園1
The Royal Botanic Garden Edinburgh (RBGE) 1

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2020年10月1日公開予定
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁


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出典、翻訳等について

 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。

◆エジンバラ王立植物園 The Royal Botanic Garden Edinburgh (RBGE)1

 エジンバラの王立植物園はエジンバラ城のほぼ真北、1.4kmにあります。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

<概要>

 エジンバラ王立植物園(RBGE)は、植物、その多様性と保護についての科学的研究の中心であるだけでなく、人気のある観光名所の一つです。1670年に薬用植物を栽培するための医学用庭園として設立されました。

 現在、スコットランド全土に4箇所の植物園(エディンバラ、ダウィック、ローガン、ベンモア)を持っています。それぞれ独自の専門的な植物の収集を行っています。エジンバラ王立植物園(RBGE)の生きた植物コレクションは13,302を超える植物種(34,422系統)で構成されていますが、標本には300万を超える保存標本が含まれています。

 王立植物園エディンバラ(RBGE)は、スコットランド政府の行政機関の一つです。エディンバラの植物園は4つのなかの中心的な植物園であり、RegiusKeeper、Simon Milneが率いる公的機関の本部となっています。

<歴史>


エジンバラ王立植物園(RBGE)
Source:Wikimedia Commns
CC BY-SA 3.0, Link


歴史


 エジンバラ植物園は、1670年にホリールード宮殿近くの聖アン庭園(St.Anne's Yard)に、ロバート・シバード博士とアンドリュー・バルフォー博士によって設立されました。オックスフォードに次いでイギリスで2番目に古い植物園です。

 この庭園の基本として使用された植物の収集は、エリバンク2世卿、パトリック・マレー卿が1671年9月に亡くなった後、1972年にリビングストン・ピールの自宅から移されたもので、個人的に集めたものでした。

 元の場所は、「ホリールード修道院の北庭園の庭師であるジョン・ブラウンから手に入れました。そこは面積が全部で約40フィートの囲いでしたが、リビングストンやその他の庭園から入手して、年に800から900種の植物を集めました。」

 しかし、この場所は狭すぎることが判明し、1676年にトリニティ病院に属する敷地が市議会からバルフォアによって貸し与えられました。この2番目の庭園は、ノーロッホ(Nor Loch)の東、ハイストリートのすぐ下にありました。 

 ジョン・エインズリーの1804年の地図には、ノースブリッジの東側にある「古い薬草庭園」として示されています。その後、この場所は北英鉄道(ノース・ブリティッシュ鉄道)の線路として占有され、ウェイバリー駅の11番ホームの標示が場所を示しています。

 1763年、庭園の植物類は市の汚染から逃れ、リースウォークの西側にあるより大きな(5エーカー)「薬用植物庭園(Physick Garden)」に移されました。現在はベルビュー(Bellevue)と呼ばれる地域に含まれており、すべてジョン・ホープ教授の管理下にあります。この庭園はエインズリーの1804年の地図に表示されています。

 ホープ教授が亡くなる(1786年)少し前に、彼のところに、キナードのブルース(Bruce of Kinnaird) によってトルコのルバーブの種子が持ち込まれ、これはスコットランドで栽培された最初のルバーブとなりました。以前はルバーブは高価な輸入品だったのですが、これで3000を超える植物種の栽培に成功したことが証明されました(これらは薬として使用されました)。

 庭園の元の場所から移築された小屋は100年以上リースウォークに残っていました。2008年に、建物はレンガ一つ一つ、現在の庭園内の場所に移動され、このプロジェクトは2016年に完了しました。庭は植物学者に人気の場所であり、キュー(Kew Garden)などの他の庭園に植物を供給しました。ホープ教授は、1778年にカール・リンネの記念碑をこの場所に建てました。

 1820年代初頭に、学芸員であるウィリアム・マクナブの指揮の下、庭園が西に移動して現在の場所(インバーリス通りに隣接)になり、ホープトゥーンクレセント(Hopetoun Crescent)とハディントンプレイス(Haddington Olace)の間に、リース散策路(Leith Walk site)が建設されました。温度管理された椰子館は、スコットランドで最も高い建物として今も残っていますが、1858年に建てられました。

 1877年、市はコスモ・イネス(Cosmo Innes)の邸宅からインバーリスハウス(Inverleith House)を取得し、既存の庭園に追加し、1881年に改築された敷地を一般に公開しました。ベンモア(Benmore)植物園は、1929年にRBGEの最初の地域庭園(Regional Garden)となりました。その後、続いて1969年と1978年に、ローガン(Logan)とドーウィック(Dawyck)庭園ができました。


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