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むつ科学技術館

  鷹取 敦
環境総合研究所(東京都目黒区)

掲載日:2014年5月22日
独立系メディア E-wave Tokyo
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 原子力を動力とした船を「原子力船」という。日本では1968年に起工、1969年に進水した「原子力船むつ」がかつて存在した。「むつ」の名前は、進水時の母港である陸奥大湊港のあるむつ市にちなんでいる。今回訪れた場所の1つである。


原子力船むつの模型
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17

 当時、貿易量が拡大し、船舶の大型化、高速化が著しく、消費燃料の点などからも原子力船の実用化が期待されていた、という背景がある。実用化のためには経済性、安全性を確立することが求められ、原子力船むつが開発されたのである。

 原子力船むつは1974年に大湊港を出港し、8月28日に青森県尻屋岬東方800kmの試験海域で初臨界を達成したが、9月1日に放射線漏れの事故を起こした。放射線漏れは、原子炉上部の遮蔽リングで起こった。主として高速中性子が、遮蔽体の間隙を伝わって漏れ出る「ストリーミング」と呼ばれる現象によって、放射線漏れとなった。

参考:むつ (原子力船) Wikipedia
失敗百選 〜原子力船むつの放射線漏れ〜


 この「放射線漏れ事故」は、第二次世界大戦後、国内で初めての原子力災害である。福島第一原発事故のような大規模な被害をもたらすものではなかったものの、当時「放射能漏れ」と受け取られ、ホタテ貝等の海産物の汚染や風評被害が心配され、反対運動も激しくなり、むつ市民は帰港を拒否した。

 なお、海外で日本がまきこまれた原子力災害は、原子力船むつの放射線漏れ事故以前、1954年に第五福竜丸がアメリカの水爆実験の放射性降下物で汚染された事故が最初である。核実験が盛んに行われた1960年代前半等には大量の放射性セシウム(Cs-137)や放射性ストロンチウム(Sr-90)等が降下し、日本でも土壌、食べ物等から検出されてきた。Cs-137は半減期が30年と長く現在でも残存しているため、現在、土壌等を測定してCs-134が検出されずにCs-137のみが検出される場合は、福島第一原発事故によるものではなく、大気中核実験によるものであることが推定される。

 原子力船むつは1993年に原子炉が撤去され、ディーゼル・電気複合動力船に改装されて1996年に「海洋地球研究船みらい」として再度進水している。

 現在、「原子力船」は、軍用船舶を除けば、ロシアが砕氷船として用いているだけで、商船は存在しない。原子力船の持つ燃料面での経済的な利点より、リスクや点検・補修・廃炉のコスト、事故のリスクが上回り、実用にならなかったということなのであろう。世界各地で何度も事故を起こし、福島第一原発事故では多くの人が住んでいる場所を追われ、様々な困難に直面しているにも関わらず、依然として経済性の名のもと(本当に経済的かどうか問題がある)に使われ続けようとしている原子力発電所とは対照的である。

 原子力船むつから撤去された原子炉は、むつ市内にある「むつ科学技術館」に展示されており、今回はここを訪れた。

 建物の外にはむつのプロペラ、船体の一部で作られたモニュメント、原子炉の遮蔽体の一部、碇等が展示されている。科学技術館の建物は船舶を模した形状となっており、1階と2階が展示スペースとなっている。1階には原子炉室展示室、コミュニケーションシアター、科学技術紹介コーナーが、2階にはむつメモリアルコーナーやこどものためのコーナー、図書室等がある。


原子力船むつのプロペラ
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17


原子力船むつの原子炉格納容器上の遮蔽体
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17

 原子炉室展示室には、中央にむつから撤去された原子炉が、遮蔽体の外から内部が見えるような形で展示されている。周りには原子炉の模型、むつの模型、燃料棒、燃料棒集合体、使用済み核燃料の模型、耐衝突構造等が展示されている。


原子力船むつの原子炉室の展示
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17


原子力船むつの原子炉
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17


原子炉燃料棒集合体の模型
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17

 念のため、持参した線量計(DoseRAE2、2014年4月に校正済)で、館内の入り口付近と、原子炉付近の空間線量率を測定してみたところ、いずれも0.05μSv/h程度であり、展示施設の遮蔽の外への放射線は確認できなかった。むつの起こした事故が「放射線漏れ」であって「放射能漏れ」でなかったことから、外側が汚染されなかったためだろうか。


展示されている原子炉(実物)の前の線量率(奥の緑色が原子炉)
撮影:鷹取敦 Sony DSC-HX50V 2014-5-17

 2階の「むつ」メモリアルコーナーには行かなかったので、放射線漏れ事故に関する展示があったかなかったかは分からないが、少なくとも原子炉室の展示室には、事故に関する説明はなかったことは驚きであった。なお、メモリアルコーナーとは、むつの機械室・操舵室を再現したコーナーであり、事故やそれによって引き起こされた社会的な影響についての展示ではないようである。
(参考:http://yaplog.jp/pessimistic/archive/1272

 原発関連事故や放射線リスクにきちんと向き合うためには、過去に現実に起きた事故や社会的影響を正しく学ぶ必要がある。むつ科学技術館からはそのような教訓を学ぼうという展示はみられなかった。過去のマイナスの歴史には触れないようにしようという国の姿勢が、福島第一原発事故後の風評被害や誤った知識の流布を招いてしまい、社会的な被害を拡大しているのではないだろうか。