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ミュンヘン・オーストリア短訪

ミュンヘンの歴史と街並み(2)

鷹取敦

掲載月日:2017年10月5日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景
ミュンヘン 8/12 2 ミュンヘン(1) | 3 ミュンヘン(2)
8/13 4 ノイシュヴァンシュタイン城 | 5 フュッセン| 6 ヴィース教会
ザルツブルク 8/14 7 歴史・ミラベル宮殿 | 8 教会・モーツァルト | 9 レジデンツ・大聖堂
10 ホーエンザルツブルク城 | 11 サウンド・オブ・ミュージック
ザルツカンマーグート 8/15, 16 12 ザルツカンマーグート | 13 ハルシュタット(1) | 14 ハルシュタット(2)
ウィーン  8/16 15 リングシュトラーセ
8/17 16 旧市街・シュテファン大聖堂 | 17 ホーフブルク王宮・美術史博物館
18 シェーンブルン宮殿

 バスはマクシミリアノイム(バイエルン州議会議事堂) の脇を通り抜け、東側のインネレ・ヴィーナー通りを南に向かいました。

 正面に旧市街を囲むトーマス=ヴィンマー=リング通りのイザール門が見えてきました。これは1835年、ルートヴィヒ1世の命により修復されたものです。元々バイエルン公ルードヴィヒ(神聖ローマ皇帝)がミュンヘンの街を拡大した時に城壁の東門として1337年に建設されました(参考)。東門のイザール門に対して西門はカールス門です。カールス門は後ほど訪れます。


イザール門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 イザール門の横を通り抜け、タール通りを西に進むと、正面に旧市庁舎が見えてきました。左手前の建物は聖霊教会、左奥の工事中の幕の向こう側の細い方の塔がペーター教会です。

 旧市庁舎は1310年に最初の城壁として建築が開始されたもので、1874年まで市議会が置かれていました。現在はおもちゃ博物館になっています。(参考


旧市庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ペーター教会はミュンヘンで最も古い教区教会です。12世紀頃に建築され、幾度もの改装を経てさまざまな建築様式が混在しています。老ペーターという愛称で親しまれています。塔の高さは92メートルでミュンヘン市内を一望できます(参考)。8世紀頃にはこの場所に修行僧が住み着いていたとされています。(参考


ペーター教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はペーター教会の正面です(後ほど徒歩で来たときに撮影したもの)。正面側が市の中心広場であるマリエン広場の新市庁舎側にあります。


ペーター教会の正面 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は聖霊教会です。聖霊教会はペーター教会と向かい合って建っています。聖霊教会も13世紀に遡る古い教会です。外壁は第二次世界大戦の空襲の被害を受け、戦後に修復されています。(参考


聖霊教会 by digital cat, CC BY

 バスは旧市庁舎前を左折して南に向かい、旧市街地の外周にあるブルーメン通りに入りました。ブルーメン通りは旧市街地の南端を過ぎて北西に向かっています。通りはソンネン通り、カールスプラッツ通りと変わり、カールス門のあるカールス広場に来ました。

 さきほど通過したのが東門のイザール門、カールス門は西門です。もう1つ南西にセンドリンガー門が現存しています。門の前(外側)には噴水があり、大勢の市民が噴水のまわりで夕方のひとときを過ごしています。


カールス門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 カールス門は14世紀に城壁の一部として建設されました。18世紀末にプファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドール(後に継承したバイエルン選帝侯としてはカール2世・テオドール)によって建て直されたため、カールス門と呼ばれるようになりました。(参考

 カール・テオドールは、バイエルン系とプファルツ系に分かれていたヴィッテルスバッハ家を、バイエルン選帝侯を継承することで統合しました。しかしバイエルンに執着がなく、バイエルンをオーストリア・ハプスブルク家のネーデルランドと交換しようとしたり、フランス革命軍がバイエルンに迫った際に、オーストリアの支援の見返りにバイエルンが実質的にオーストリアの属国となるのを容認したため、バイエルンの君主としては不人気でした。カール・テオドールの死後、選帝侯を継承したのは、最初の妃エリーザベトの妹の息子マクシミリアン・ヨーゼフで後に最初のバイエルン王となりました。(参考

 バスの周回ルートをグーグルマップに重ね合わせてみました。地図の左上の「スタート地点」から時計回りに回りました。古地図(クリックするとリンク先に古地図が表示されます)を参考に旧市街地=城壁の中と思われる部分に薄青い色で塗ってみました。


グーグルマップより作成

 旧市街地の輪郭は外周道路の少し内側にありますが、イザール門、カールス門の位置と一致しています。古地図を拡大してみると水路のようなものが見えます。オーストリアの首都ウィーンの旧市街の外周道路は堀を埋めて造られたものなので、ミュンヘンの外周道路も同じように城壁の外の堀の跡に造られたものかもしれません。

 この後、「スタート地点」から旧市庁舎のある中心部を目指して歩きました。

 下の写真はフラウエン教会(聖母教会)で、ミュンヘンのランドマークの1つです。上の地図のカールス門と旧市庁舎を結んだ直線の中央より少し上にある大きな建物です。2つの塔の上にあるタマネギ型のドームが特徴的で、展望台になっています。入口を入ったところに悪魔の足跡:Teufelstrittと呼ばれる足形のようなものがあります。悪魔が教会を壊そうとした説と、悪魔が建築を手伝った説があるようです(参考1参考2)。


フラウエン教会(聖母教会) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 フラウエン教会の東側のマリエン広場に面して1867〜1909年に建てられた新市庁舎があります。さきほどバスから見た旧市庁舎は同じマリエン広場に東端にあります。ミュンヘン市内で最も高い塔がフラウエン教会(聖母教会)の100mで、新市庁舎の塔はそれに次ぐ高さ85mでエレベーターで登ることができます(参考)。


新市庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 新市庁舎はドイツ最大の仕掛け時計グロッケンシュピールで有名です。


新市庁舎の仕掛け時計 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 さらに東に歩き、バスが東から来て左折した旧市庁舎とペーター教会と聖霊教会のあたりにも広場があり、マリエン広場とともに賑わっています。


ペーター教会と聖霊教会の間の広場、奥は旧市庁舎
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 広場には肉店、花屋、パン屋、ワイン専門店、食材店等の小さな店舗が並んでおり、ビアガーデンもあり、大勢の人が屋外のテントの下で食事をしています。

 肉店(ハム等を売っている)で、すぐ食べられるように、パンにレバーとチーズを挟んだサンドイッチをその場で作ってくれ(2ユーロ)、これを買っていく人が大勢いたので、いただいてみました。(美味でした。)


レバーチーズサンド 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


広場のビアガーデン 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 広場の南の方にメイポールが建っています。ヨーロッパには古代ローマに由来するキリスト教以前に遡る起源をもつ5月祭があります。春の訪れを祝うお祭りで森から切り出したメイポール(ドイツ語ではマイバウム=5月の柱)を飾り、そのまわりを夜通し踊ります。(参考


メイポール(マイバウム) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 広場を出て南西に向かうと通りの右側にバロック様式のアザム教会(聖ヨハン・ネポムク教会)があります。18世紀初頭にアザム兄弟によって建てられたことから、アザム教会として知られています。アザム兄弟はバイエルンで建築、絵画、彫刻、スタッコ装飾を共同で取り組んでいました。(参考


アザム教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 さらに南西に進むと旧市街の外れのセンドリンガー門に到着します。下の写真は門の内側からの写真です。「西門」であるカールス門の南側に位置します。ミュンヘンの城壁にあった門のうち現存する3つの門の1つです。


センドリンガー門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 カールス門を少し北に行ったところに、キュンストラーハウス(芸術家の家という意味)という伝統的なベネチア風の部屋のある美しい建築物があります。かつてはモーベンピックレストランやワイン居酒屋、菜食主義者向け居酒屋などが入っていましたが、現在は1階がロステリアというピザレストラン、2階がグリル・イン・キュンストラーハウスとなっています。2階は混雑していたのでこの1階でピザとビールの夕食としました。


キュンストラーハウス 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 1861年にウィーンで2つの芸術館団体が合併し、ウィーン芸術家同盟を作りました。ウィーン芸術家同盟は自身の展示会場として1868年にキュンストラーハウスという施設をオープンさせ、それ以来この団体もキュンストラーハウスと呼ばれるようになりました。ウィーンのキュンストラーハウスは楽友協会の隣にあります。

 ミュンヘンのキュンストラーハウスが、この団体や施設と関係があるかどうか確認できませんでしたが、バスの解説では、かつて芸術家が集う場所だったというような趣旨の説明があったように思います。また、「魂の燃ゆるままに−イサドラ・ダンカン自伝」によれば、ミュンヘンではキュンストラーハウスに著名な画家達の一団が毎晩集まって哲学や芸術について論じていたようです。(参考

 食事の後、キュンストラーハウスからみて西の方向にあるホテルとの間にある旧植物園(Alter Botanischer Garten、バスに乗ったのはこの植物園の角)の中を歩き、ホテルに戻りました。写真は公園の列柱門とネプチューン噴水です。


旧植物園の列柱門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


旧植物園のネプチューン噴水 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 植物園は、1804年から1814年にかけて造られ、1812年に古典主義的な列柱門が築かれました。園の北側に築かれた水晶宮は1931年の大火災によって焼失しています。1914年以降、植物園は移設され、旧植物園の跡地は公園として整備されました。ネプチューン噴水は公園として整備された際に作られたものです(参考)。公園の一角にはパークカフェがありビアガーデンも賑わっているようです(参考)。

 20時30分頃にホテルに戻りました。金曜日の昼過ぎに東京を出て、中部国際空港経由、仁川空港、アブダビ空港経由でミュンヘン入りし、土曜日の夜までの長い一日でした。

つづく