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シンポジウム
福島第一原子力発電所の事故を通して
世界のエネルギー・環境問題を考える
参加記

鷹取 敦

11 June 2011 無断禁転載
独立系メディア E-wave Tokyo


 2011年6月11日土曜日の午後に霞ヶ関の弁護士会館の2階にある講堂「クレオ」で関東弁護士会連合会、日本弁護士連合会により開催されたシンポジウム「福島第一原子力発電所の事故を通して、世界のエネルギー・環境問題を考える」に参加した。

◆日本弁護士連合会:シンポジウム「福島第一原子力発電所の事故を通して、世界のエネルギー・環境問題を考える」
http://www.nichibenren.or.jp/ja/event/110611.html

 あいにく雨がちな一日だったが、講堂から溢れるほどの参加者で、補助椅子を並べるほど盛況だった。


撮影:鷹取敦

 シンポジウムは、福島第一原子力発電所の深刻な事故を受けて、あらためて原子力発電、エネルギー政策について、賛否両方の立場からのパネリストを迎えて議論しよう、という趣旨のものであった。

 パネリストとしては、原発に反対してきた立場からは、後藤政志氏(元東芝原子炉格納容器設計技師、博士(工学))、飯田哲也氏(NPO法人環境エネルギー政策研究所所長)、千葉恒久氏(弁護士)、原発を推進してきた立場からは、林勉氏(元日立製作所原子力事業部長、エネルギー問題に発言する会代表幹事)、小野章昌氏(コンサルタント、元三井物産原子燃料部長)、そして「中立」の立場から松村敏弘氏(東京大学社会科学研究所教授)が参加された。


撮影:青山貞一


撮影:青山貞一

 後藤氏と飯田氏は、原発事故発生以来、インターネットやテレビで頻繁に登場発言されているので、両氏の話は以前からよく聞いていた。特に後藤氏の話は、原子力発電がいかにあやうい幻想ともいえる前提の上に立脚しているかを元原発エンジニアとしての立場からわかりやすく述べたものであった。

 原発を推進してきた立場から参加された林氏、小野氏は、いかに原発が必要かを強調するものであり、福島第一原発の事故については、今回の事故の経験を踏まえて対策をすれば足りる、との主張のようであった。いまもって原発を日本の「財産」であると捉えているのである。

 今回、パネルディスカッション(残念ながら会場からの意見を聞く時間はなかった)の主なテーマは、事故の問題とエネルギー問題であった。これらは当然、重要な問題であるが、議論に上らなかった大きな問題がある。

 1つは、交付金や固定資産税、原発関連の雇用、その雇用を顧客としている地域経済など原発に強く依存しながら、結果として交付金が切れ、固定資産税収入が下がり、ハコモノの維持にばかりお金がかかって財政が苦しくなり、原発増設を求めずにいられない地方自治体の問題である。

 また、そのように麻薬にも例えられる依存性のある原発立地を受け入れる際の合意形成の問題もある。札束で頬をはたき、反対する人は地域に居づらくなるような、きわめて非民主主義的なプロセスを経て、結果として地方に押しつけられてきた経緯がある。

 その結果、原発のもつメリットばかりが強調され、リスクにきちんと向き合った国民的な議論をすることなしに、日本だけがひたすら原発を増設してきた。今回のシンポジウムで原発推進パネリストの資料に、世界の原発数の経年変化のグラフがあった。チェルノブイリの事故があっても世界で原発は増えてきた、という話であったが、グラフをよくみると全体で増えているものの、内訳をみると「アジア」が増加しているだけで、他は横ばいである。つまり他の地域で新規増設はほとんどない。そして「アジア」とはまさに日本のことである。今回の原発事故を受けて出版された小出裕章氏の著書「原発のウソ」でもその点が指摘されている。

 国民的な議論については、平成8年から行われた「原子力政策円卓会議」の第一回の様子が下記(E-wave Tokyo)にビデオで掲載されたのでご覧いただきたい。このような議論が政策に反映されてこなかった。

◆第一回原子力円卓会議全容(前半・後半のビデオへのリンク)
http://eritokyo.jp/independent/today-column-ewave.htm

 原発利権の問題もある。よく知られているように、政官業学報がこぞって原発から利権を得て、エネルギー政策を硬直的なものにしただけではなく、結果として日本の電気料金はきわめて高いものとなっている。日本の産業の競争力のため、といいながら実際には経済面からも足をひっぱってきたのがこの利権の構造である。

 事故の影響についての議論も必要である。原発事故といえば、推進論者も反対論者も放射能の長期にわたる健康への影響、死者の問題を中心に議論されることが多い。もちろん重要な問題である。しかし、福島第一原発事故により生じている甚大な被害はそれにとどまらない。

 多くの人が住むことも仕事をすることも出来ず、文字通り着の身着のままで地域を追われ、子供たちは学校では校庭にも出られず、将来の健康影響の不安をかかえ、きわめて広い範囲の農作物、魚介類が放射線物質に汚染され、汚染の程度に関わらず買う人はいない。日本だけ、放射能に関する基準が大幅に緩和され、基準値を下回っているといわれても安心できない、と思う人も少なくない。震災で生じた瓦礫は汚染され、燃やしても埋めても周辺への影響が心配されるが、さりとてそのままにしておくことも出来ない。ペットや家畜を連れ出すことも出来ず、その惨状は筆舌に尽くしがたい。

 この状況を目の当たりにしても、今回の事故で亡くなった人数を、交通事故やたばこの健康影響と比較して、たいした影響ではないように論じる、原発擁護論が見受けられるが、このような大きな被害を生じさせる原発が「経済のため」となぜ言えるのだろうか。目を開けていると危険が見えるのが怖いから、目をつぶって赤信号を渡ろう、といっているようなものではないだろうか。

 現実に起きていることに目を向け、その責任を明らかにすることなしに、現在の問題の収束もままならないし、将来の再発も防げない。この時代に生きるものとしての責任をあらためて感じるシンポジウムであった。