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シンガポール短訪

チャイナタウン・リトルインディア

・アラブストリート等

鷹取敦

掲載月日:2018年7月20日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景
5/3 2 セントーサ島 | 3 ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ
5/4 4 ジョホール・バル(マレーシア) | 5 オーチャード・ロード、ベイエリア
5/5 6 チャイナタウン・リトルインディア・アラブストリート

■市内中心部

 最終日は乗り降り自由の市内を周回する二階建てバス(シンガポール航空が運営しているホップオン・ホップオフバス)で、チャイナタウン、リトルインディア、アラブストリート等の市内中心部をめぐることにしました。主要民族の民族色の濃い地域です。

 歴史的背景で紹介したように、植民地時代にイギリスは、民族別に居住地を指定し分割統治を行っていましたが、その名残です。また出身地別に居住することで相互扶助の役割も果たしていました。

 なおアラブストリートはアラブという名前がついていますがマレー系民族の街です。マレー民族が主にイスラム教徒であることからモスクがあり、イスラム教徒であるアラブやトルコの民族なども集まっています。

 この日はスターウォーズランという10km、5.4km、540mのランニングイベントが行われます。下の写真の広告が市内中に掲げられていました。ダークサイドとライトサイドに分かれてシンガポール市内を楽しんで走るイベントのようです。事前に気がついていれば、日本でエントリーして参加出来たかもしれません。(そういえば昨年も行われていました。)


シンガポールランの広告 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


 以下はバスから見た市内各場所の写真です。


キャセイ(ショッピングセンターと映画館の複合施設)
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はシンガポール美術館です。19世紀にラ・サール修道会の神父によって建てられたセント・ジョセフ学院の建物を修復し美術館として利用され、東南アジア地域の現代美術を収集・展示する拠点となっています。国の記念建造物に指定されています。第二次世界大戦中にはイギリス軍の陸軍病院として、日本占領時代には日本語学校としても使用された歴史的な建築物です。


シンガポール美術館 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は有名なラッフルズ・ホテルです。1887年にアルメニア人によって建築された客室10室のバンガローホテルからはじまり、1899年に現在の原型となるコロニアル様式の建物が建築されました。トーマス・ラッフルズに因んで名付けられましたが、ラッフルズが開業したホテルではありません。

 現在改装工事中で2018年後半に再開予定です。


ラッフルズ・ホテル(改装中) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は戦争記念公園です。写真の中央にある塔は、日本占領時期死難人民記念碑(高さ約68m)です。歴史的背景で紹介したように日本占領時代には大勢の華人が粛正され、強制献金が行われました。1961年暮れから翌年1月にかけて東海岸一帯で粛正された華人のものとみられる大量の白骨が出土したことをきっかけに全土で遺骨の発掘調査が行われ、華人だけでなく日本占領中に犠牲になった全市民のための慰霊碑が建設されました。募金によって建設され、1967年の竣工後、シンガポール政府の管理に委ねられました。


戦争記念公園 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 マリーナベイ地区には下の写真のようにシンガポールランのためのテント等が準備されていました。


シンガポールランのためのテント 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 すぐ横には2008年3月に開業した世界最大級、アジア最大の観覧車、シンガポール・フライヤーがあります。高さ165mです。


シンガポール・フライヤー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はラウ・パ・サという人気の屋台村です。150年前の市場を改修して2014年6月にリニューアルオープンしたもので、以前よりきれいになっています。2500席あり、60店ほどが集まっています。前日遅い時刻に徒歩で通った時に中に訪れました。


ラウ・パ・サ(屋台村) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ラウ・パ・サ(前日5/4に撮影) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下のオレンジの屋根の建物がシンガポール議会の現在の議事堂です。左奥の塔は、ナショナル・ギャラリー・シンガポールの旧最高裁判所の中央の塔です。現在の議事堂は新しく1999年に新築されています。


シンガポール議会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下はチャイナタウンよりシンガポール川側にあるホテルの前です。中華系のカフェかレストランの開店祝いの獅子舞が行われていました。


シンガポール議会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 マリーナ・ベイ・サンズを横から見た写真はあまり見ないので載せておきます。下の写真はチャイナタウンを出て再度バスに乗っている時のものです。ビルは左右2棟あるだけではなく、下の方は前後に分かれています。


マリーナ・ベイ・サンズ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はサンテック・シティで、ショップや飲食店が集まったモール、映画館等のある大型複合施設です。5棟の高さの違うビルが噴水(富の噴水:Fountaion of Wealth)を囲んでいます。5棟のビルは5本の指に見立てられており、噴水をつかむ巨大な手を表しています。

 サンテック・シティはチャイナタウンの後です。この後、リトルインディアに向かいます。


サンテック・シティ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■チャイナタウン

 チャイナタウンでバスを降ります。下の写真は車道に面しているシンガポール最古のヒンドゥー教寺院のスリ・マリアマン寺院です。

 1827年に建設された当時はこのあたりには多くのインド人が住んでいました。南インドからの移民によって建てられた南インドのドラヴィダ様式で、南インドの地母神であるマリアマンを祀っています。マリアマンは不調や病気を治す力で知られています。スリ・マリアマン寺院は拡張を続け、玄関の高さ15mの塔門は1903年に建設されました。


スリ・マリアマン寺院の塔門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 塔門や屋根には多くのヒンドゥー教の神々の像が並んでいます。


スリ・マリアマン寺院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 チャイナタウンに入ります。下の写真の右手の建物はチャイナタウン・ヘリテージ・センターです。1950年代の内装を再現し、初期の華人移民の生活の様子が分かります。2016年に大幅リニューアルされ再オープンしました。


チャイナタウン・ヘリテージ・センター(右) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 以下に内部の展示から一部を紹介します。いろいろな職業の住民の部屋や、それ以外にもパネル、写真等を使った様々な展示があり、チャイナタウンの歴史のダークな側面も含めて紹介されていました。


チャイナタウン・ヘリテージ・センターの展示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


チャイナタウン・ヘリテージ・センターの展示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


チャイナタウン・ヘリテージ・センターの展示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


チャイナタウン・ヘリテージ・センターの展示 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 なお、時間の関係で入館しませんでしたが、リトル・インディアやアラブストリートにもインド系およびマレー系住民のヘリテージ・センターがありました。

 チャイナタウン・ヘリテージ・センターを出てさらに進みました。


チャイナタウン 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 チャイナタウンを抜けて道路を渡ると、ピープルズ・パークという複合施設があります。この1階の外に面した屋台で食事をしました。


ピープルズ・パークの屋台 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ピープルズ・パークの中は様々なものを売っている小さな店舗が集まっています。


ピープルズ・パーク内部 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■リトルインディア

 リトルインディアのあたりでバスを降りました。街並みも、通る人々もチャイナタウンとは一変しています。ここに来ると中華街(チャイナタウン)の雰囲気が、馴染みのあるものだったことに気がつきます。


リトルインディア 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 リトルインディアの中の通りはとても賑わっています。


リトルインディア 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 インド系民族のヘリテージ・センターです。時間の関係で入館しませんでしたが、大きく新しい施設のようでした。


リトルインディア 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 学校の先生に引率されているような華人系の子供達の団体がいました。他の場所でもみましたが、多民族国家シンガポールで、異なる民族の相互理解のためにこのような遠足?が行われているのではないかと推察されます。


華人系の子供達の団体 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ヒンドゥー教のスリ・ヴィラマカリアマン寺院です。リトルインディアの中でも特に有名な寺院で、殺戮と破壊を象徴する女神カーリーを祀ったものです。


スリ・ヴィラマカリアマン寺院 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 有名なムスタファ・センターが見えてきました。ムスタファ・センターは何でも売っている大規模なディープな24時間営業のディスカウントショップとして知られているようです。

 中に入ると広大な売り場に膨大な種類と数の商品が雑然と展示されていましたが、事前に聞いていたほどの「あやしさ」はありませんでした。ここも他の施設同様、綺麗に改装されてきたのかもしれません。


ムスタファ・センター 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ムスタファ・センターの中 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■アラブストリート

 再びバスに乗り、アラブストリートに移動しました。アラブストリートはアラブ人の街ということではなく、かつてスルタン(サルタン)を中心とした(イスラム教徒である)マレー系住民の街でした。


アラブストリートの外周から 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 アラブストリートの街区に入ったところに電気自動車によるカーシェアリングサービス(blue SG)の充電施設と自動車がありました。blue SGのリンク先に料金(契約コースにより$0.33/分や$0.50/分など)や100カ所以上のステーション等の詳しい情報があります。借りた場所と別のステーションに返却できるようです。


電気自動車によるカーシェア 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 アラブストリートに入って最初に見つけた食堂が中華系の食堂だったので、アラブストリートだからといってマレー系、イスラム諸国系だけというわけではなさそうです。


アラブストリートの中華系食堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 リトルインディアで見たような、学校の先生に引率されているような華人系の子供達の団体がここでも見かけました。


華人系の子供達の団体 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 ここには1824年に建築されたシンガポール最古のモスク(イスラム教の寺院)であるサルタン・モスクがあります。今でも日常の礼拝に使われているだけでなく、建物の中の一部を観光客等が見学することが出来ます。観光客向けのきれいな展示等も設置されています。


サルタン・モスク 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真は礼拝している様子です。この手前にロープが張ってあり、中までは入れませんが写真撮影は自由です。見学者向けの展示には、イスラム教に対するよくある誤解を解くための解説(他の宗教に対する寛容性、女性の服装の理由、女性の地位、家族の重要さ、環境問題への関心、神秘性、モスクの役割、イスラムの信仰の考え方など)が写真付きで掲載されていました。写真撮影が可能なのもできるだけオープンにすることにより理解を得ていこうという趣旨かもしれません。

 女性の見学者には肌が露出しないよう上から羽織るもの?が貸し出されます。多くの見学者が施設の人に記念撮影をしてもらっていました。


サルタン・モスク 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はイスタンブール・トルコ・レストランです。トルコはオスマン帝国時代にはイスラム世界の盟主でした。


イスタンブール・トルコ・レストラン 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 このあたりで偶然にも、ジョホール・バルに行った時のシンガポール側のガイドさんに出会いました。別のツアーを案内している仕事中だそうです。

 この後、ショッピング街として有名なブギスを経由し、City Hall駅に徒歩で向かいました。暑い日で(シンガポールは1年中暑いのですが)、熱中症になりそうだったので、休憩をはさんで駅に辿り着き、空港に向かい、帰国しました。



 シンガポールは植民地支配を受けていた他国と異なり、植民地以前には地域の民族の社会はほとんど存在せず、大英帝国の貿易の中継のための植民地としてはじまり、そこに華人、マレー人、インド人等の移民が集まってできた歴史が浅い国です。

 生き残りのために、なりふり構わず経済発展を最優先したため、景観や歴史的なものよりもビルばかりが目立つ国全体が都市として開発されているユニークな国家です。(今回は母を連れて行きましたが、父はビルばかりで面白くないということで来ませんでした。)

 そして政治体制も経済発展優先のために一党独裁を長年続け、言論の自由などを制約する権威主義の国で、社会の安定や安全を、先進国の資本や海外からの観光客に提供してきました。

 資源がなく面積もきわめて小さく(東京23区程度の面積に横浜市と川崎市を合わせたくらいの人口)、それでいて多民族によって構成されている特異な国だからこそ、歴史的にこのような形態をとることが必要で、かつ可能だったのかもしれません。

 シンガポールに「開発」された人工的な観光施設には興味はわきませんが、このような特異な歴史と社会の側面をみることは非常に興味深いことでした。


 ちょうど日本ではシンガポール等を手本にしたような、カジノ法案(統合型リゾート実施法案)が2018年7月20日(これを書いている日)に成立する見通しです。しかしシンガポールと日本では、社会の規模もあり方も全く異なります。シンガポールでさえよいと考えられていなかったカジノについて、少なくともシンガポールよりは「民主的」な国家であるはずの日本では、もっと丁寧に慎重に議論されるべきだったと(シンガポールを数日訪れただけですが)感じました。