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嗚呼「美しい」ならぬ
「曖昧な日本の私」


田中康夫

掲載日2006年10月12日



「外交的、政治的に問題化している以上、参拝したかしなかったか、するかしないか、それは申し上げる事はない」。

いやはや、「美しい国、日本。」を目指す御仁が語る日本語は、古文・漢文の授業と同じく、凡人には難解極まりない代物なのかも知れません。

況してや、政治こそは生活そのものであり、その生活を共にする人々を結び付けるのは言葉であり、政治こそは言葉そのものである、と信ずる僕にとっては猶の事。

政治問題化、外交問題化していればこそ、国民や他国に対する説明責任が生じます。にも拘らず、問題化しているから「申し上げない」。詰まりは、都合の悪い事は「申し上げない」という居直りに他なりません。

その論理展開を別の事象で例えたなら、「ヒ素が粉ミルクに混入していたかいなかったか、今後は混入を防げるか防げないか、社会的、道義的に問題化している今だから、それは申し上げない」と企業の最高経営責任者が会見で述べるのと同じです。万が一にも、こうした認識の経営者が存在したなら、厳しい社会的指弾を受けるでしょう。

とまれ、「自衛隊が行く所が安全地帯」と宣った先代の小泉純一郎氏が“禅譲”したのも、こうした隠蔽体質を評価しての決断だったのかも知れません。凡そ「美しい日本の私」とは対極に位置する、「曖昧な日本の私」ではありませんか。

「曖昧な日本の私」を演じる安倍晋三氏には、これ以外にも看過し得ぬ、論理的に矛盾した問題先送りが目立ちます。

先の総裁選期間中にも、消費税に関する言語明瞭・意味明瞭な発言を一夜にして、言語不明瞭・意味不明瞭な発言へと変容させました。

 告示日の98日、「再来年の通常国会には、消費税増税を盛り込んだ法案が出るのか」と問われて、「結果として、そういう事になると思う」と答えました。それは、谷垣禎一氏ではなく、安倍晋三氏の発言です。

 が、翌日以降は「消費税の議論から逃げる心算はないが、消費税に逃げ込む心算もない、と私は考える」と明らかに変節しています。

消費税増税に言及した事に「腰を抜かしそうになった」世耕弘成参議院議員が、言語不明瞭・意味不明瞭な件の発言に統一させた「成果」だと「文藝春秋」誌は看破しています。

 言語明瞭・意味不明瞭な政治家と揶揄された竹下登氏よりも、遙かにタチが悪い話です。「消費税に逃げ込む心算もない」とは、果たして如何なる意味でありましょう?

来年の今頃も首相の座に留まっていたなら安倍氏は、「慌てて消費税に逃げ込む」のではなく、「悠然と消費税に立ち入る」のだ、と先代も真っ青な「安全地帯」すり替え発言を行うのでしょうか。或いは消費者=生活者の安全・安心な治安と福祉を充実する為の目的税だ、などと強弁して、生活税と名称変更でもする心算かも知れません。

「本当に核実験を実施したのかしてないのか、今後も行う能力が有るのか無いのか、外交的、政治的に問題化しているから申し上げられない」。お騒がせ“オオカミ中年”独裁者・金正日が仮に数日後に居直ったら、この野郎、と怒鳴るであろう「曖昧な日本」が抱える悲喜劇です。