所沢ダイオキシン問題の本質について(2) テレビ朝日への最高裁判決に関連して 2003年10月19日、10月26日、11月27日 青山貞一 株式会社環境総合研究所 代表取締役所長 転載禁 |
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<ほうれん草も十分高濃度である> 最高裁第一小法廷のテレビ朝日判決は、本質をそっちのけとしている点で問題である。 さらに言えば、最高裁が視聴者が受けた総合的印象をもとに、「白菜だけの1つのサンプルだけでは危険とはいえない」、とか「環境総研と摂南大の調査結果だけでは、地域の農作物全体が汚染されているとは言えない」と言っているが、そうであろうか。 私たちこの分野にいる研究者にとっては、以下に述べるようにほうれん草中のダイオキシン汚染濃度は、十分高濃度であり、それを報じたことが不法行為となり、損害賠償の対象となることは断じて許すことはできない。その主たる理由は、第一に、後述するように環境総合研究所や摂南大学宮田教授が提出したほうれん草の濃度は十分に高濃度であること、第二に行政が不作為を決め込む中、在野の研究者や調査機関がどこまでどれだけ調査、分析すれば最高裁の意にそう調査となるのかがまったく不明確な点である。 そもそも狭い地域に50カ所を超える焼却炉が林立している場所で栽培される農作物であることを考えれば、野菜から近海魚類顔負けの超高濃度ダイオキシンが検出されたこと自体、きわめて憂慮すべき事であり、早急に国、自治体、事業者が第三者に依頼し、実態を把握すべきと思える。これは昨今のBSE問題を見れば明らかである。 BSE問題は、一頭でも汚染牛が検出された場合、国、自治体、生産者などの事業者は安易に安全宣言など出せないばかりか、全数調査を行っている。 比喩的に言えば、危険性については、たとえ少ないサンプルであれ高濃度が検出されればそれを重視すべきであり、他方、安全性については、それを検証するためにはできる限り多数のサンプルが必要となるのではなかろうか。 ところで、後述するように、そもそもテレビ朝日で報道されたほうれん草のダイオキシン濃度は、全国平均の値より著しく高濃度であった。それらは昨年夏にEUで施行された食品ダイオキシン規制指針を大幅に超過している。 食の安全や消費者の立場に立てば、白菜(3.4pg-TEQ/g)や煎茶(3.6〜3.8pg-TEQ/g)の濃度が高いだけでなく、環境総研や摂南大が調査したほうれん草のダイオキシン濃度(0.64〜0.75pg-TEQ/g)も十分に高濃度なのである。 <当時の所沢周辺地域の実態> 図1に示すように、1997年〜1998年当時、所沢周辺地域には50カ所を超える産業廃棄物、一般廃棄物の焼却施設が集中して立地していた。このような地域、場所は世界広しといえど、おそらく所沢周辺地域しかなかったはずだ。 私たち環境総合研究所は、それよりはるか前、所沢市役所からの依頼により、これらの焼却施設や道路施設が地域の環境にもたらす大気汚染状況を調査する業務を受け、地域に入った。
その後、これらの焼却施設が高濃度のダイオキシンを大気や土壌中に排出していることが分かってきた。 図2は、環境総合研究所が行った1998年当時の所沢周辺地域における大気中のダイオキシン濃度のシミュレーションの結果である。赤い色の部分が高濃度となっていることを示している。 国、埼玉県が看過してきた所沢周辺地域に集中する産業廃棄物や一般廃棄物がもたらすダイオキシン汚染に、私たちは民間の研究者として、また第三者的立場で正面から取り組んだ。本事件は、その過程でのテレビ報道をめぐり起きた裁判である。 当時の所沢周辺地域では、異常なまでの焼却炉の集中による著しいダイオキシン汚染が生じていた。本来、国、自治体が率先してその実態を調べ、国民、住民、農民、消費者に公表すべきであった。同時に、立法的措置をとり、施策、対策を立案し、高濃度のダイオキシン類や重金属類など廃棄物焼却による有害化学物質及びそのもととなる焼却を規制すべきであった。
しかし国や自治体、それに事業者らは、農地に膨大な数の焼却炉が林立する実態に目をつむり、それらの規制にまったく手をつけなかった。 ※ 都市ゴミを焼却しダイオキシンが発生することが分かったのは1977年 のオランダである。他の先進諸国が厳しい排ガス規制を行うなか、日本 は2002年12月に至るまで、まともな規制を行ってこなかった。 地元の住民や一部農民の依頼を受けやむにやまれず調査、分析を行った環境総研やそれを報道したテレビ朝日をこぞってバッシングした、と言うのが所沢ダイオキシン事件の実態であり真相であると思われる。 <1998〜1999年当時の所沢周辺地域の農作物中ダイオキシン濃度> 詳細は、以下の青山論文を参照のこと http://www.01.246.ne.jp/~komichi/tokoro-vege-dxn1.pdf 環境総研が依頼を受けカナダにある民間分析機関、マクサム社にサンプルを持参し行ったダイオキシン分析の結果から、はからずも焼却炉が集中する地域やその周辺でつくられる農作物中のダイオキシン濃度が異常に高いことがわかった。 ※ 以下のグラフは、当時の農作物中のダイオキシン汚染濃度を示して いる。対象はダイオキシン(PCDD)とフラン(PCDF)であり、コプラナ ー PCBは含んでいない。
<当時の農作物ダイオキシン汚染の評価> 当時、焼却炉が集中立地する周辺地域のほうれん草などの農作物のダイオキシン濃度は、サンプル数は少ないものの、厚生省などが行っていた未汚染地域及び全国平均値に比べ著しく高いものであった。 1998〜1999年当時、健康面からダイオキシンを評価、判断する基準や指針は、世界保健機関(WHO)が勧告する耐容一日摂取量(TDI)や米国の実質安全量(VSD)、食物については表1に示す米国環境保護庁(EPA)の魚類摂取警報指針があった。それらの基準や指針をもとに所沢周辺地域の農作物を評価すると、背景摂取を含めるとWHOの耐容一日摂取量を超過する可能性があり、同時に魚介類に近い健康リスクをもたらす可能性があることが分かった。 欧米では毎日食べる新鮮野菜などにダイオキシン類が含まれることそのものが許容されないなかで、魚介中のダイオキシン(PCCC+PCDF)が含まれることが消費者ととって重要な問題となったと言える。これが問題の本質である。しかも、こと日本では、消費者の健康にとってもっとも大切な食品中のダイオキシン含有について、政府がまったくなんの対応をしてこなかった。これは現在に至りまで変わっていない。
<EUの食品ダイオキシン基準と農作物の汚染濃度> 2002年夏、EUは食品・飼料全般に関するダイオキシン類について濃度規制を施行した。このEUの規制は、@最大許容限度、A行動指針値、B目標値の3段階を含んでいる。当然、農作物(野菜、穀類、果物)も対象となっている。 農作物(野菜、穀類、果物)は表2に示すようにいずれも、0.4pg-TEQ/gが基準値(行動指針値)となっている。このEUの指針は、2004年12月をめどにさらに厳しい目標値(行動指針値の1/2から1/3)が設定されることになっている。 図3に示す環境総研や摂南大学による当時の農作物濃度、すなわち0.64〜3.8pg-TEQ/g、いずれも表2に示すEUの指針を大幅に超過していることがわかる。EUなら指針を超過した食品は食に適さないことになる。ここに所沢ダイオキシン問題の本質があると思われる。
<テレビ朝日への判決の不当性> 2003年6月26日の環境総合研究所に対する最高裁決定は、国、自治体が不作為を決め込むなか、在野の研究者が行った調査とそれにもとづく社会に対する警告を司法が正当に評価したものであると確信している。 しかし、6月26日、最高裁はテレビ朝日に対し上告を受理し、弁論審理を2003年9月11日に行うことを決めた。9月11日、最高裁は口頭弁論を開き、10月16日にテレビ朝日に対する判決を言い渡した。最高裁は、「白菜だけの1つのサンプルだけでは危険とはいえない?」とし、同時に「環境総研と摂南大の調査結果だけでは、地域の農作物全体が汚染されているとは言えない?」、名誉毀損裁判の用語で言えば、「真実性が証明されたことにはならない」と、一審、二審の判決をくつがえし、東京高裁への差し戻しを指示した。 テレビ朝日に対する10月26日の最高裁判決は、@国、自治体がこぞって汚染実態を把握しようとせず、A事業者が測定を分析機関に依頼しながら公表せず、Bダイオキシン分析自身が非常に高額であり、C第三者による試料採取そのものが困難であり、D試料提供者のプライバシー保護が重要であることを考えあわせると、きわめて理不尽かつ不当なものであると言えます。もちろん、サンプル数は多ければ大いに超したことはありません。一審、二審は@〜Dの実態、状況を考慮した判決であると言える。 しかし、上記の@〜Dの状況のなかでは、比喩的に言えば「危険を言うにはひとつのサンプルでも十分」、「安全を言うには全てを言わねば十分でない」という論理が、まったく理解されていないと言えよう。 逆説すれば、国、自治体、事業者が一向に調査をしない場合、国民は最高裁判決を充たすためには、何10、何100のサンプルの分析をしなければならなくなる。これに要する費用は、数100万円〜数1000万円になる。これを本来リスクを受ける側である住民、消費者が負担することは本末転倒だと思う。EUでは、国など行政、事業者がこれらの費用を負担している現実がある。 一方、最高裁判決では、報道機関、とくにテレビ報道に関する名誉毀損の解釈をきわめて危うい方向に持ち込んだ。それは、「映像、効果音、ナレーションなど放送全体の印象を総合的に考慮すべきだ」としたことだ。 さもなくとも現下の日本の報道機関はまともな調査報道をサボリ、また権力、為政者への徹底取材をしないことがある。報道内容をめぐる名誉毀損裁判における真実性、相当性を視聴者が受ける総合的印象、など主観的、恣意的な判断にゆだねることになり、結果的に裁判所の恣意、裁量により真実性、相当性の証明の範囲が著しく狭まることになる。 これは報道機関の調査報道を著しく萎縮させるものだ。 <あらためて必要な「調査報道」> 本事件は、さもなくとも萎縮している我が国の調査報道のあり方に大きな問題を投げかけている。当然のこととして、もっとも大切なことは社会全体にとって重要な問題へのマスコミ報道を萎縮させてはいけないことである。同時に研究者、専門家のマスコミへの情報提供についても萎縮させてはならない。 我が国では、この種の問題で率先して調査や報道を遂行する研究者や報道関係者に対して、本質そっちのけで非難、中傷する評論家や「識者」が後をたたないのは非常に遺憾なことである。さもなくとも、事なかれと長いものに巻かれろ的な風潮が支配的な我が国にあって、本質そっちのけの論議は、為政者の無責任を放置するもの以外の何者でもないだろう。 ここで、先に示した東京新聞の2003年10月17日社説を再掲する。国民の生命、健康に係わる情報は「疑わしくは報道」したい。事実の正確性、報道手法の慎重さは基本だが、慎重を期すあまり事なかれ主義に陥ると報道機関の使命放棄になりかねない。人の生命、健康に関する情報を伝える自由は特に重要なものとして確保されなければならない。だが、テレビ朝日の番組「ニュースステーション」による埼玉県所沢市産の野菜のダイオキシン汚染報道に関する最高裁判決は、この論点に触れず、名誉毀損の法理の細部に問題をわい小化してしまった観がある。まったくその通りである。 10月26日の最高裁第一小法廷判決でも、裁判官のひとり泉徳治裁判官は「農家の人々が被害を受けたとすれば、その根源的な原因は廃棄物焼却施設の乱立にあることにも留意する必要がある」と補足意見を述べ、放送後の99年7月に新たにダイオキシン類対策特別措置法が成立したことなどを挙げ、「公害の源を摘発し、生活環境の保全を訴える報道の重要性は改めて強調するまでもない。テレ朝の報道の全体的な意義を評価することに変わりない」と付言している。至言である。 繰り返すが、我が国の場合、国民の健康と安全に係わる事項について、本来、国、自治体など公的機関がなすべきことがなされないことが多い。かかる場合に、報道機関と研究者によって行われる調査報道が大きな意味、価値、役割をもつことになる。その意味で、研究者、専門家、報道機関ともに、ひるむことなく、「調査報道」を行うことが今の我が国にとって必要であると思う。 |