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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

宣化龍岩鉄鉱石鉱業所(河北省)

宣化龙烟铁矿
梁雪松 2020-08-05

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月2日
 

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宣化龍岩鉄鉱石鉱業所

 龍岩鉄鉱石鉱山は、1919年3月29日に設立された華北で最も早い近代的な鉄鋼企業の一つであり、これまで100年の歴史がある。 チャハルロンヤン鉄鉱石会社の設立当初、公式株式は128万元、商業株式は212万元であった。 1日の製鉄能力は300トンだった。

 1914年、北洋政府農商務省鉱山局長の顧問であったアンダーソン、ミッスル(スウェーデン人)らは、龍観、方家宝、燕巣山に「玄龍式」ヘマタイト鉱床を発見した。

 1919年3月19日、北洋政府国務院は龍岩鉄鉱石公司の正式な設立を承認した。 呂宗久が監督で、丁世淵がマネージャーである。 同年、石景山東麓の土地1,300ムーを石景山精錬所の敷地として取得し、総額58,000銀元余りを投じて龍岩鉄鉱石公司石景山精錬所(現在の首鋼の前身)を設立し、同年10月1日に操業を開始した。

 この100年の間に、龍岩鉄鉱石鉱山は今日の首鋼(旧龍岩鉄鉱石公司石景山製錬所)と宣鋼(現河北鉄鋼集団)を生んだのである。

I. 頭首工坑内(Pangjiabao)エリア





本社工場の管理事務所








日本軍の中国侵略時に龍岩鉄鉱山に作られた万人坑(集団墓地)。



本社オフィスビル



当時の生活サービスセンター



写真現像部



新華書店






精肉店



石炭積み出し場



爆発物作業場



鉄道駅






鉱石積み下ろし場



鉄鉱石


二、北庄鉱山付近(近北庄矿区)


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