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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ


安徽省淮南市大同の

「万人坑」は、日本軍が

行った非人道的な残虐行為

を目撃した場所である

安徽省淮南市大通万人坑,见证了日本人曾经惨无人道的暴行
 百度 2017-10-17

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月2日
 

安徽省 淮南大同万人坑(集団墓地)教育館

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安徽省(あんきしょう)には淮南市の大同万人坑がある

大別山の下で歴史について話す

 9月3日は、中国人民の日本に対する抵抗戦争の勝利記念日である。 中国人民抗日戦争と世界反ファシスト戦争勝利の69周年を厳粛に記念するため、国務院は9月1日、第1陣の国家抗戦記念施設・遺跡80カ所のリストを発表した。

 その中で、安徽省には淮南市の大同万人坑(集団墓地)教育博物館と宣城市新四軍司令部旧跡記念館の2つがある。 70年以上前、この地は悲惨な地獄絵図であった。

 淮南大同集団墓地教育館(冒頭写真)は1968年に建設され、敷地面積は31571.24平方メートル、建築面積は6900平方メートル、展示室面積は2400平方メートルである。

 現在、博物館は一般公開されており、博物館の概要、日本軍が大同を侵略し占領した時のレイアウトの砂場、鉱夫の生産と生活用具、作業の流れを上り下りする鉱夫の粘土彫刻、鉱夫の作業風景、日本軍によって残虐な扱いを受けた鉱夫の拷問道具、大病棟の概要、三つの大きな白骨土器、秘密の水牢などの展示を見ることができる。



 大同団結墳墓教育館は、なだらかな孫基山を南に臨む森林地帯にひっそりと佇んでいる。 博物館地区には高層ビルはなく、すべて平屋の瓦葺き家屋だが、中央の、、万人坑(集団墓地)の周囲に古代の激動を模した高い木枠が建てられ、「歴史を記憶し、平和を大切に」と書かれているだけである。  

 墓地は、日本がわが国への侵略戦争中に行った凶悪犯罪の証である。

 1938年に日本軍は大同炭鉱を侵略し、その後7年間、炭鉱で非人道的なファシズム支配を行い、約1万3000人の鉱夫が死んだ後、集団墓地に埋葬されたのである。

 大同鉱山時代、日本軍は生きたまま標的を殴り、水牢で溺れさせ、提灯を立て、袋に詰めるなど残虐な方法で、無数の抗日戦士を殺害し、中国の石炭資源を略奪したのである。

 統計によると、1938年6月から1945年8月までの間に、1万7千人以上が日本軍のひづめの下で死に、1942年秋から1943年春までのわずか数ヵ月間に、1万3千人以上が殺され、その死体は不毛の山の麓に捨てられ、山のように積まれたそうだ。



  悪臭に耐えかねた日本の侵略者は、鉱夫たちに長さ約20メートル、幅約5メートル、深さ約3メートルの3つの大きな穴を掘らせ、そこに骨を投げ込ませ、白骨の万人(集団墓地)を作り上げたのだ。



 万人坑と言われているが、1万人以上いたという。日本の公文書によると、13,000人以上が穴に投げ込まれたそうだ。 この場所は、日本帝国主義者の中国に対する犯罪の動かぬ証拠であると同時に、国民、特に若者に対する愛国教育の格好の場でもある。

 日本軍が淮南炭鉱を侵略したとき、何千人もの中国人炭鉱労働者が最も野蛮で残酷な略奪と血まみれの切断にさらされたのである。 淮南市大同の「集団墓地」は、その典型的な小宇宙であり、確固たる証拠である。



 今、日本は中国を侵略した歴史を認めないどころか、美化している。 彼らは認めないが、私たちはそれを忘れてはならない。忘れることは裏切ることなのだから。 これは、すべての中国国民が覚えておくべきことである。


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