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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

日本軍「慰安婦」制度のさらなる証拠:

歴史はページをめくっていない(1)


~中国大陸に千カ所以上安所を特定~


日军“慰安妇”制度再添铁证:历史并未翻篇
来源:中国新聞網 2021年9月18日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月20日
 

この地図は中国・朝鮮・日本・琉球列島・東南アジア・太平洋などの諸国・地域に存在した大日本帝国軍の「慰安所」地図です。出典:中国江蘇省


この地図は中国に存在した大日本帝国軍の「慰安所」地図です。出典:中国江蘇省

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本文

 南京9月18日(新華社)--「日本政府は長年、軍に付随する『慰安婦』制度を隠してきたが、この歴史に対する世界の理解は、1991年の韓国人高齢者、金学順氏の自己申告に始まる。

 私たちが長年にわたって行ってきたことのひとつは、女性を強制的に軍の性奴隷にするというこの恐ろしい犯罪を回復し、記録することです。

 2021年9月18日、日本の「慰安婦」制度発覚から30年、日本政府が否定と改ざんを繰り返す中で、中国の学者は再び確たる証拠を示し、歴史は蒸し返されず、犯罪は隠蔽できないことを指摘した。

 同日、南京大虐殺犠牲者記念館で日本軍「慰安婦」制度の犯罪に関する展示会が開かれた。 中国と朝鮮半島を中心に、侵略戦争中に日本軍が東アジアで行った「慰安婦」制度の全体像を紹介する(※注:上の地図参照)。

 展示会に参加した上海師範大学の蘇志亮教授は、南京麗江慰安所展示館の初代学芸員として、1990年代から日本人慰安婦問題を調査し、中国で最初にこの問題を研究した学者の一人である。

 「この30年間で、黒龍江省から海南島まで問題を追跡し、中国大陸に1000カ所以上の慰安所を特定し、300人以上の慰安婦被害者がいることを確認しました。 中国、韓国、米国、アルゼンチンなどで、関連する研究文書が多数発表されています。 近年、中国全土で多くの慰安所跡地展示館が建設され、一部の歴史的建造物が保存され、一部の文化遺産の証拠が公開されました。また、映画や絵画を通じてこの歴史が明るみになり、より多くの人々がこの歴史を理解し、慰安婦被害者の生存に関心を持つようになりました。」

 日本政府が最近、日本軍による「慰安婦」の強制連行の歴史を軽視し、書き換えていることに対して、蘇氏は「『慰安婦』制度は、女性を性の道具として使い、戦争を促進・刺激した人類史上まれな犯罪だ」と指摘した。

 日本政府もそのことは十分承知しており、長い間、意識してきた。 日本政府はこのことをよく知っていて、長い間隠していたのだ。

 1993年に当時の河野洋平官房長官が「慰安婦」制度の存在を認めたものの、日本の歴史教科書が何度も改訂され、この歴史の否定を曖昧にし、削除しようとしていることに注目すべきである。

 幸いなことに、「慰安婦」制度の被害者一人ひとりの傷や証言、そして発見され続けている映像や文字による歴史は、山のような証拠となる。

 「2019年、東京のオークションで偶然、戦争で戦った日本兵の写真集を手に入れました。 2インチの小さな写真の中に惹かれるものがあった。」 

 蘇志亮は、この写真について「慰安所に出入りする多くの日本兵がはっきりと写っている」と説明した。 「写真の情報から、基本的に南京にある慰安所であることは間違いありません。」

 蘇志亮によると、南京は侵略してきた日本軍による「慰安婦」制度の確立と実施において、研究上重要な都市である。

  「1932年に上海で始まったこの制度だが、慰安所の規模と数が飛躍的に増え始めたのは、1937年7月に日本軍が中国に侵攻してからのことだ。 当時、日本の中国派遣軍の拠点であった南京は、特に駐屯地が多く、慰安所の数も多かった。 また、侵略した日本軍はここから「慰安婦」制度を他の占領地にも拡大・拡張し始め、中国全土の20以上の省(市)に慰安所を設置しました。」

 ここ数年、記念館のスタッフとボランティアは広西、山西、江西、海南、湖南などの各地を訪れ、日本の「慰安婦」制度の犠牲者とその家族を慰め、新しい手がかり、文物、歴史資料を探し求めている」とCNN記者は明らかにした。

 「日本の右翼がこの歴史を否定すればするほど、私たちはこの歴史を広め、展示し、研究し、この歴史的記憶を人々の記憶の中に入れていかなければならないのです」。 悲劇の教訓を忘れるなと 記念館館長の張建軍(Zhang Jianjun)氏はこう語る。


(2)につづく