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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ


9体の遺骨の物語

  邢菲=文・写真提 人民中国 2020年8月17日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月16日
 

「強制連行された中国人」の資料写真
邢菲=文・写真提  人民中国


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本文

 今年(2020年)は第2次世界大戦終結75周年に当たる年だ。

 毎年8月になると、今年はどんな戦争ドキュメンタリーが観られるかと楽しみにする。それは自分のドキュメンタリーディレクター人生の1作目の作品が、戦争関連のものだったためだ。

 ディレクターになる前、私は北海道大学国際広報メディア研究科の修士課程でジャーナリズムを専攻し、ニュース記者を目指していたが、札幌を拠点にするある市民団体との出会いで、人生は予想もつかない方向に転向した。

 「この9体は間違いなく中国人のものです」

 「どうもこの9体は日本人の可能性がかなり高いです」

 「北海道フォーラムとして、この9体の遺骨を中国に返還したい」

 この3人の発言は、私が修士時代に作った人生初のドキュメンタリーの冒頭の映像だ。

 「9体の遺骨」は、北海道の室蘭市で亡くなった中国人強制連行者のものだと思われる骨のことである。

 室蘭市は、北海道の南西部に位置する人口10万人の町。1872年の開港以来、鉄鋼や造船関連の企業が設立され、北海道の中心的工業都市として発展してきた。


室蘭市の位置
出典:グーグルマップ

 1972年、室蘭イタンキ浜で行われた自動車専用道路の工事中に、115体の白骨化した遺体が発掘された。そのうちの9体は中国人強制連行者の遺体である可能性が高いと見なされた。

 強制連行とは一体どういうことか? 

 なぜ中国から遠く離れた室蘭で中国人と思われる遺骨が発掘されたのか。

 市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」(以下、北海道フォーラム)の集会に参加したことで、私はすっかりその疑問にとらわれ、修士2年目のときに1年間かけて、北海道のあちこちで調査や撮影を行った。

 戦争の後期、日本国内では労働力不足の問題が著しく深刻化した。国内労働力を補うため、42年11月、東條内閣は『華人労務者内地移入ニ関スル件』を閣議決定した。翌年、中国大陸から、3万8935人の中国人が強制連行され、日本国内35企業の135事業所で働かされた。

 44年、室蘭市には、1855人の中国人労働者が連行され、川口組室蘭出張所など五つの事業所で荷役作業をさせられた。過酷な労働を強いられ、日本全国で約6830人の中国人強制連行者が死亡し、室蘭市では1年間に約3分の1である564人が亡くなった。

 「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が53年に設立され、日本各地の墓地や寺院に散在していた中国人強制連行死亡者の遺骨の発掘・収集が行われた。日本各地の華僑、日本の民間人の努力の下で、計2733体の中国人強制連行者の遺骨が中国に返還された。

 遺骨が返還されて、けじめがついたかのように見えたが、実は半数以上の遺骨は不明のままだった。

 72年、室蘭イタンキ浜墓地にかかる新道工事現場で、計115体の白骨化した遺体が新たに発掘された。うちの9体の埋葬状況は異常だった。

 北海道新聞の記事によると、「たたみ一畳ほどの所に折り重なって埋められ、一番下の一体以外は寝棺にも入っていなかったという」。室蘭市役所の記録によると、「遺品は何も入っていない。歯を見ても若い人のようである」。

 「中国人強制連行者のものではないか」と札幌華僑協会は遺骨の身元判定を室蘭市に依頼した。9体について、北海道大学の吉崎昌一助教授(当時)は、「発掘の状況は確かに異常。アイヌ、中国人の可能性も考えられる。しかし、遺品や着服のない骨だけでは判断困難」と述べた。

 科学的な鑑定が不可能なため、9体の遺体は火葬され、飯尾詮教さんが住職を務める証誠寺に安置された。

 飯尾さんは9体の遺体を中国人のものと見て、骨箱の上に「中国」の2文字を書き残した(以下の写真参照)。82年、9体の遺骨は証誠寺から浄光寺に移された。浄光寺は川口組中国人収容所の敷地内に建てられた寺で、今も中国人殉難者の慰霊碑がある。


浄光寺に安置されている9体の遺骨

 従軍慰安婦、強制連行など未解決の問題が風化しつつある中、北海道内の中国人や朝鮮人の遺骨を家族に送還することを主旨とする民間団体・北海道フォーラムが2003年に設立された。カンパや会費で維持され、300人の会員を有している。

 共同代表を務める殿平善彦さんは、浄土真宗本願寺派一乗寺の住職だ。朝鮮人強制連行を調査する韓国真相究明会の一員で、1980年代から朝鮮人遺骨返還に携わってきた。殿平さんをはじめ、北海道フォーラムは9体の遺骨が中国人のものだと考え、室蘭の市民運動者と連携し、なるべく早く中国に返還しようとしていた。

 そこで、その返還を疑問視し、慎重論を取る人が現れた。上野志郎さんだ。室蘭の中学校に勤務しながら、中国人強制連行のことを40年間調べてきた。

 1978年、『室蘭における中国人強制連行、強制労働の記録』を著し、室蘭の強制連行の実態に関する研究の権威とされている。上野さんは遺骨の鑑定について、ある事実を見逃してはいけないという。

 45年7月15日、約860発の砲弾が米国の戦艦から、兵器を生産する日鉄、日鋼に打ち込まれ、387人の室蘭市民が犠牲になった。遺体を焼く煙は2度目の艦砲射撃を引き起こす可能性があるため、遺体は焼かずに一旦イタンキ浜墓地に埋めた。

 米国の機動部隊が沿岸からいなくなってから、埋めた遺体を掘り出して火葬した。9体の遺骨の中には、胴体のない遺体があった。強制連行者のものとは考えられないが、艦砲射撃のときに犠牲になった人なら説明がつくと上野さんはいう。

 「フォーラムとして、9体を返還対象から外した方がいい。事実ではないことに基づいて、戦争責任を取ったつもりになってもいけない」と上野さんは主張した。

 中国人のものであるかどうかを巡って、北海道フォーラムと上野さんの間で大きな論争が行われた。私にとっては、中国人のものであるかどうかより、民間人の彼らが多くの時間や金銭を使い、見知らぬ強制連行者の骨を祖国に帰そうとすることをとても不思議に思った。

 強制連行の事実を調べていた間に、あまりにも悲惨な事実に衝撃を受け、私は小さなアパートに3日間引きこもり、大学の日本人の先生やクラスメートにまで会いたくなくなった。

 日本の大学に入るまで、日本という国には、東アジアの国々に起こした侵略戦争をいつも否認しているイメージを持っていた。日本政府はイコール日本人だと思っていた。北海道の民間人がなぜそこまで真剣に強制連行のことを考えているのか。

 殿平さんは、「遺骨は無理やり日本に連れてこられたものである以上、そこで犠牲になったものである以上、その中国人の悲しみを今から取り替えることはできないですが、戦後の日本で生きているものとして、せめて遺骨を中国に帰すことを通して、悲惨な戦争を起こした歴史に、小さなピリオドでも打ちたい」という。

 上野さんは、「邢菲さんが聞いたら、日本人はなんてひどいことをやったんだかと思うでしょ。私も15歳ごろその一人だったんですからね。私も立派な軍国少年でしたからね。だから、僕は強制連行に40年取り組んできたけど、罪滅ぼしの気分でやっている気もしないでもない」と話した。

 2人の思いは、私にとっては、とても重かった。中国人としてこの歴史を調べる苦しみが慰められ、中日両国の相互理解のために役立つドキュメンタリーディレクターになろうと勇気づけられた。

 2008年、私は33分間の映像作品 『9体の遺骨の物語』を完成し、特定課題として北海道大学に提出した。09年、室蘭市役所は最終的に9体の遺骨を今のまま浄光寺に安置することを決めた。

 室蘭で亡くなった600人近くの中国人強制連行犠牲者を追悼するため、イタンキ浜には「中国人殉難烈士慰霊碑」が立てられ、毎年、慰霊祭が行われている。

 終戦75周年の今、戦時中犠牲になった全ての霊に合掌。


上野志郎さんから室蘭の強制連行の実態を聞くディレクター(右)


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