和歌山カレー事件の発生は今から一〇年前、一九九八年七月二五日のことだ。和歌山市郊外の園部という町で催された夏祭りで、ヒ素が混入されたカレーを食べた六七人がヒ素中毒に罹患し、うち四人が死亡した。
この事件の被告人・林眞須美(四七歳)は、一、二審で状況証拠のみ、動機も未解明のままに有罪・死刑判決を言い渡されたが、今も無実を訴えて上告中である。
本稿は、公判記録などを元にこの事件を再検証した結果の一端を報告するものだ。
最初に表明しておくが、私はこの事件を冤罪だと思っている。この事件が冤罪と聞き、ピンとこない人も多いだろうが、公判でも林眞須美が犯人とは断じがたい事実が数多く明らかになっている。それが、報じられてこなかっただけである。
ただ、規定の紙幅で同女の無実を論証し尽くすのは、私の筆力では難しい。
そこで本稿の目標にしたのは、事件発生当時に洪水のように報じられた同女の保険金殺人・殺人未遂疑惑――夫や知人にヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金を詐取していたらしい――に関する誤解を少しでも解くことだ。あの「別件」の疑惑が、同女がカレー事件の犯人だという世間の予断の大本と思えるからである。
結論から言うと、この事件の初期報道は大半がデタラメで、林眞須美は保険金詐欺はやっていたが、保険金目的で人の命を狙った事実は一切ない。
本稿によって、少しでも多くの方がそのことを理解し、同女がカレー事件の犯人だという思い込みを捨ててくれることを私は期待している。
ではまず、林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑がどんなものだったか確認しておこう。これは「別件」の疑惑ではあるが、裁判でも、カレー事件の状況証拠として有罪の立証・認定に使われている。
公判で検察は、同女が夫や知人ら計六人に対し、保険金目的でヒ素や睡眠薬を使用した事実がカレー事件以前に計二三件あると主張。うち六件が一、二審で同女の犯行、もしくは関与があったと認定され、「被告人は、人の命を奪うことに対する罪障感、抵抗感が鈍磨していた」(二審)などとして、カレー事件の有罪判決の根拠にされているわけだ。
しかし公判では、検察が主張した林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑二三件は、根本から大嘘だとしか思えない事実が次々と明らかになった。以下、被害者とされた六人について、一人ずつ論証する。
他ならぬ被害者が被告人の犯行を否定
まず、夫の林健治(六三歳)である。健治は一、二審で、九七年二月六日ごろに妻に保険金目的でヒ素を盛られた殺人未遂事件の被害者と認定された一方で、妻と共謀し三件の保険金詐欺を働いたとして懲役六年の実刑判決を受け、二〇〇五年六月まで服役した。この裁判では、林眞須美は夫と一緒に保険金詐欺を繰り返しながら、その夫すら殺そうとしたという話にされているわけだ。
しかし、健治に関する眞須美の疑惑は、そもそも検察が描いた事件の構図が実に不合理なものだった。
というのも、検察が主張した二三件の疑惑の中には、右の九七年二月の件以外にも八八年から九七年の間に三回、眞須美が保険金目的で健治にヒ素を飲ませ、ヒ素中毒に罹患させた事実があったことになっていた。つまり検察のストーリーでは、健治は九年間に四回も妻に毒を盛られながら、妻と暮らし続け、一緒に保険金詐欺を繰り返していたわけだ。普通に考えれば、「ありえない」だろう。
実際、健治自身も二審では「ヒ素は保険金目的で自分で飲んでいた」と、妻と自分が純粋な共犯関係だったと訴えている。詳細は省くが、その証言は迫真性に富み、眞須美の証言と細部まで合致するものだった。これを二審判決は「妻をかばう口裏合わせ」として退け、健治を強引に被害者のイスに座らせたのだ。
しかし、たとえ妻とはいえ、自分を四回も殺そうとした人間を自分を貶めてまでかばうお人好しな夫が存在するだろうか? 健治は言う。
「検察官や裁判官は『林健治は妻をかばってる』なんて簡単に言いますが、ワシはカレー事件が起こったせいで過去の保険金詐欺がばれ、六年の懲役を食らった。出所後も、四人の子供たちと離れ離れです。眞須美がカレー事件の犯人やったら、かばう理由なんて何もありませんよ」
これが、普通の感覚というものだ。
漫画のようだった検察のストーリー
検察が立証に成功した林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑六件中、健治の件以外の五件は同一人物が被害者とされている。
その名を仮にIとしよう。Iはカレー事件発生当時三五歳。九六年二月ごろから、事件が発生した九八年の三月ごろまで約二年間、林家に使用人的立場で居候していた人物だ。
このIに関する林眞須美の疑惑も、検察が描いた事件の構図が実に不合理なものだった。何しろ、検察の主張では、Iは林家に居候した二年間にヒ素を四回、睡眠薬を一〇回も同女に保険金目的で飲まされ、そのたびにヒ素中毒に罹患し、バイクを居眠り運転して事故を起こすなどしたことになっていた。それほど頻繁に命を狙われて死なない人間は、漫画の世界以外に存在しないものである。
では、Iは本当は何者なのか?
林夫妻の主張では、「Iは保険金詐欺の一番の協力者」で、「ヒ素は自分で飲んでいた」し、「バイク事故も納得の上でやっていた」ということになる。そして実際、林夫妻の主張通りだとしか思えない事実も公判で数多く明らかになっている。
まず、Iは腹部症状を訴えるなどして入院するたび、症状を重く偽り、入院期間を引き延ばしていた。しかも入院中は頻繁に無断外出し、麻雀をするなど入院生活を楽しんでいたような事実も明らかになっている。
バイク事故についても、Iはそもそも、林家に居候する前から何度も車やバイクで事故を起こしていた。しかも林家に居候した間は、林夫妻に生活費も遊興費も依存し、夫妻が詐取した保険金の恩恵に与っていたのだ。これで保険金詐欺の共犯者として立件されず、被害者にしてもらうのはムシが良すぎよう。
ところが、この裁判では、Iが経済的に林夫妻に依存していたことなどを根拠に「都合のいいように一方的に使われていた面が強い」(一審)などとされ、Iは強引に被害者とされている。この認定は、どう考えても無理があろう。捜査機関が林眞須美をカレー事件で有罪にすべく、Iと司法取引的なことをしたとみたほうがはるかに自然であるはずだ。
実際、そのことを強く疑わせる事実もある。カレー事件発生後間もない時期から、林眞須美が同事件で起訴されたころまで約四カ月間、Iは警察官官舎で捜査員と寝食を共にしながら取り調べを受けていたのだ。
このいかがわしさをIは公判で、「マスコミの取材攻勢から保護してもらっていた」などと説明。これを一、二審判決ともに信用したのだが、Iと検察に優し過ぎるだろう。
さらに、Iは警察官官舎を離れたのち、今度は和歌山市内の自宅から遠く離れた高野山の寺で僧侶として働くようになっていた。この行動も、不自然というほかないだろう。
Iの事件後の足跡を検証すべく、私はまず、Iが「マスコミの取材攻勢から保護してもらっていた」という警察官官舎を訪ねてみた。
和歌山市内の中心部からは車で約一時間半。道路の両側に果樹畑が広がる一帯を抜け、温泉街へ向かう途中の山道沿いに、その警察官官舎はポツンと立っていた。官舎の周りは緑が豊かで、道路を挟んで向かい側の崖下を流れる川では、釣り人たちが鮎釣りをやっていた。自然が好きな人には最高の環境だろうが、夜はずいぶん寂しそうに思われた。
「ここに四カ月も閉じこめられたら、何でもうたってまうやろなア……」
同行した林健治は、この官舎の前で呆れたようにそうつぶやいた。
「マスコミから保護してもらった」というIの証言を信用した一、二審の裁判官もここを一度訪ねれば、一発で考えが変わることだろう。
Iがこの官舎を離れたのち、身を寄せた高野山の寺も訪ねてみた。最寄り駅の高野山駅までは和歌山駅からJR、南海線、ケーブルカーを乗り継ぎ、約二時間四〇分。その寺の境内に入ると、住職らしき男性が事務仕事らしきことをしていた。
「Iくん? ああ、コーヒー牛乳の好きなIクンやね。もう五年くらい前に下界に降りてもうたけどねえ」
私がこの寺を訪ねたのは、一昨年(〇七年)の八月だ。Iが下界に降りた(=高野山を離れた)のが「五年前」というこの男性の記憶が正しければ、Iは一審が結審したころ(〇二年九月)まで、「下界から離れた場所」に身を寄せていたわけだ。裏事情を勘ぐるな、と言われても無理だろう。
私は、Iの自宅を訪ね、出勤前のI本人に単刀直入に聞いてみた。
――ヒ素は、自分で飲まれたんですよね?
横に並んで歩きながらのやりとりだったが、Iは「えっ!?」と声をあげて歩みをとめ、やや間があった後に不機嫌そうな顔をこちらに向け、「飲んでへんって」とだけ言った。
その他にも私は、Iが本当に林眞須美に殺されかけた被害者なら、失礼にあたる言葉を次々にぶつけたが、Iは携帯電話をいじりながら押し黙ったまま歩き続けた。たまに返ってくる答えも、「ウソなんか言うてへん」と短くつぶやくのみだった。
私は彼が本当に林眞須美にヒ素や睡眠薬を飲まされていたとはまったく思っていないが、やはり「ある種の被害者」ではあると思っている。
警察官官舎で「身柄拘束」されていた約四カ月間、Iは相当キツく締め上げられたのだろう。かつて親しくしていた人間を裏切り、死刑判決へと追いやった心苦しさが、Iの後ろ暗そうな様子の端々に窺えた。
殺人未遂の現場に捜査の痕跡なし!?
被害者と認定された健治やIですら、かくも被害者だと断じがたい事実が多いのだ。被害者と認定されなかった四人に関する林眞須美の疑惑についても当然、検察の主張は不合理のオンパレードだった。
中でも、被害者とは断じがたい事実がとくに多かった人物の名を仮にDとしよう。経営する会社がカレー事件発生の数年前から休業状態で、生活費も遊興費も林夫妻に依存していた人物だ。事件発生当時は四五歳。
検察の主張では、Dは九八年の五月と七月に各一回、林眞須美に死亡保険金目的で睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲まされ、自損事故を起こすなどしたとされていた。そんな検察の主張が退けられたのも当然というべき事実の一部を挙げてみよう。
まず、林夫妻が詐取した保険金の多くは、D所有の休眠会社を「受取人」として契約されていた。そしてDも、する必要のない入院をしたり、入院したらしたで病院を無断外出し、林家で麻雀をしたり飲み歩くなど楽しげな入院生活を送っていた。
また、九六年に林夫妻が共謀の上、眞須美が両脚に負った火傷の原因などを偽り、保険金を詐取したことがある。Dはこの際、火傷の発生状況を偽る口裏合わせに協力。保険会社が保険金の支払いを渋ると、健治と一緒に担当者を恫喝してもいた。
そして、林夫妻の保険金詐欺に協力するたび、Dは夫妻から金員も受け取っていた。にもかかわらず、検察のストーリーでは、Dは眞須美に二回も殺されかけながらカレー事件の発生まではそのことに気づかなかったことになっていたのだ。そんな鈍感な人間がいるはずないだろう。
検察の主張では、Dが林眞須美に殺されかけた現場を訪ねたところ、きわめて不可解なこともあった。
まず、大阪府内の某病院の院内食堂。検察の主張では、九八年五月二日にDはここで、眞須美に睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲まされ、車を運転中に意識を喪失して自損事故を起こしたことになっていた。
この食堂で私は、カレー事件発生当時から勤めている女性従業員を見つけた。事情聴取くらいされていると思いきや、彼女は素っ気なく言った。
「そういうのは、病院のほうでやってたみたいですよ」
つまり、捜査には、病院の代表が対応しただけのようなのだ。
一方、和歌山市内の某喫茶店。検察の主張では、九八年七月二日にDはここで、眞須美に睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲まされ意識を失い、意識が戻った時は顔などにケガをしていたことになっていた。ここにも、当時から勤める女性従業員がいたが、「ウチでそんな事件があったことになってんの?」と彼女は、何も知らない様子なのだ。
とまあ、検察の主張では、殺人未遂事件があったはずの二つの現場では、捜査機関が捜査をした痕跡が一切見受けられないのだ。胡散臭いとは、こういうことを言うはずだ。
脅されて泣く泣く被害届を提出
「被害者と認定されなかった四人」の中には、公判で保険金詐欺の共犯性が発覚した人物がもう一人いる。
その名を仮にMとしよう。事件発生当時三六歳で、八六年から八七年まで、健治の営む白蟻駆除業の従業員だった人物だ。眞須美は八七年二月一四日ごろ、このMに死亡保険金目的でヒ素入りのお好み焼きを食べさせ、予後不明の急性ヒ素中毒に罹患させた……そんなストーリーを検察は主張し、立証に失敗したのだが、それも当然だった。
まず、Mはこの時、医師に対し、実際はそうではないのに四肢が動かなくなったように偽っていた。Mを被保険者とする受取人・林健治の保険金約三〇〇〇万円が支払われたのは、そんなMの協力があってこそだった。しかもこの時、M自身も独自に加入していた生命保険から約二〇〇〇万円を手にしていたのである。
「今は弟は誰とも会わせたくないんです」と言うMの兄とは、大阪府内で会った。彼が事件発生当時に某テレビ番組に出演した際の発言について、私はかねてから抱いていた疑問があったので、この機会に聞いてみた。
――テレビで弟さん(=M)の入院中の症状として、体重が半分くらいまで落ちて、髪の毛が全部抜けたと言われてましたが、本当ですか?
「ええ、間違いないですね」
――では、ヒ素中毒とは別の病気じゃないですか? その症状は、ヒ素中毒とは違うみたいですが……。
「……まあ、他の病気だったかもしれませんね……」
顔をほのかに紅潮させたMの兄は、気まずそうにそう言った。
彼との対話は万事、こんな調子だった。世間話などしながら、たまに核心をつく質問をぶつけると、そのたびに言葉に窮するのだ。
この兄によれば、実はMは最初に警察に呼ばれた際、「捜査の時間稼ぎ」のために被害届を出すことを求められ、ずいぶん渋ったのだという。
「警察では『被害届を出さないと、あの夫婦の共犯者と世間にみられるようにするぞ』みたいなことまで言われて……。弟は最後は、泣く泣く被害届を出したんです」
Mの兄は、今も悔しそうにそう言った。私は、Mについても、本当に彼が林眞須美にヒ素を飲まされたとはまったく思っていないが、やはり「ある種の被害者」だと思っている。
短絡的だった初期報道
「被害者と認定されなかった四人」の中には、故人が一人だけいる。
その名を仮にYとしよう。八〇年代前半に健治のもとで白蟻駆除の仕事をしていた人物だ。
Yは八五年一一月一二日に吐き気や嘔吐を訴え、最初は和歌山市内の病院で診察を受け、転院した大阪府内の病院で同月二〇日に死亡した。享年二七。病院のカルテには最終診断として「腎不全、骨髄低形成、急性肺水腫」と記されていた。
そしてYの死後、Yを被保険者とする死亡保険金約二五〇〇万円をめぐり、林夫妻はYの遺族から訴訟を提起されている。詳細は後述するが、最終的に双方は、約二五〇〇万円を折半することで和解している。
このYの死を検察は、林眞須美が保険金目的でヒ素を盛って殺害したと主張した。これも、検察が立証に失敗したのは当然の無理筋だった。
何しろ、林健治が営んでいた白蟻駆除業の従業員の中でYは大黒柱的な存在で、その経営は大部分をYに依存していた。しかも、当時二四歳の眞須美は専業主婦で、林家の収入源は健治の商売のみだった。当時は景気が良く、唯一の収入源であった夫の商売を破綻させてまで、同女がYを殺害する必然性を検察は公判で何も指摘できなかったのだ。
Yの死亡保険金をめぐる遺族と林夫妻の紛争についても触れておく。事件発生当時にろくに取材もせず、林夫妻側が一方的に悪かったように報じたメディアが多かったからだ。
まず、Yが生命保険に加入したのは、保険外交員だった眞須美の実母のノルマに協力したためだ。契約者・被保険者がYで、受取人がYの母親という契約だった。しかし、保険料を実際に払っていたのがYではなく、実は林夫妻だったのだ。健治は言う。
「Yの母親は最初、『保険料を林さんが払うてたんなら、保険金はもらってくれてええですよ』と言うてたんです。ところが、二五〇〇万円の支払い通知書がYの実家に届いてもうた。それから、Yの母親の周りで親戚が騒ぎ始めたらしくて……」
そして訴訟を提起された、というのが、あくまで林夫妻側の言い分だ。
一方、Yの母親の言い分も聞くべく、訪ねてみたが、「何も話すことはないです」と、とりつく島もなかった。もちろん、Yの母親の言い分を聞けていても、どちらの言い分に理があるか、裁判官でもない私に判定する力はない。ただし、この紛争の非が林夫妻側に一方的にあったような「報道」については、短絡的に過ぎると断言する。どちらかが一方的に悪いなら、和解の際に保険金を折半したりしないだろう。
夫以外にも被告人を擁護する“被害者”
「被害者と認定されなかった四人」のうち、最後の一人は田中満(五八歳)という。どういう人物なのかは後述するが、田中に関する眞須美の疑惑は、検察の主張の中でも、他とは趣が違う独特なストーリーだった。
今から二〇年前、八八年五月一〇日のことだ。胃潰瘍で入院していた田中はこの日夕方、同じ病院に入院していた健治の病室で酢豚と餃子をおすそ分けしてもらい、その夜、激しい腹痛に襲われた。そして同月一九日、手術で胃の三分の二を切除した。
この件を検察は、「眞須美が死亡保険金目的で健治にヒ素入りの飲食物を提供したところ、これを健治に提供されて食べた田中がヒ素中毒に罹患した事件だ」と主張したのだ。だが、これも明らかな無理筋だった。
何しろ、田中に餃子や酢豚を分けてやった健治がこの時、体の異状を何も訴えていないのだ。これには、検察の不合理な主張を数多く認めたこの事件の裁判官ですら、「田中と同じ皿に盛られた酢豚と餃子を食べた可能性が高い健治が、一切ヒ素摂取に必発する腹部症状を発症していないということは、田中が食べた酢豚と餃子にも、ヒ素が入っていなかった可能性が合理的可能性として残る」(一審)
として、検察の主張を退けざるを得なかったのだ。
ところで、田中が林夫妻以外で唯一、本稿の中で実名なのはなぜか? 夫妻の長年の友人である田中が「被害者」として法廷に立たされた立場でありながら、実名を明かした上で眞須美の無実を訴えているからだ。
田中は訥々とした語り口ながら、物言いは率直なタイプだ。私が初めて会った時、「本当に林眞須美の食べ物でヒ素中毒になったと思うか?」と問うと、田中は「いっこも思うてへんわ」と言下に否定した。田中の言葉を借りれば、林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑はすべて、「マスコミのデタラメ」ということになる。
「眞須美さんは明るくて、いっこも悪いところはない人や。とにかく、早く塀の外に出しちゃってほしい。眞須美さんは何もやってへんのに、こんなことがあったらアカンよ」
切実にそう訴える田中は、取り調べでも、八八年の自身の容態急変の原因がヒ素中毒であること自体を否定し、取調官と激しくやり合ったという。実際、自分たちの物語づくりに非協力的な田中に、取調官は手を焼いたに違いない。IやD、Mと違い、田中は林夫妻の保険金詐欺に一切関与しておらず、捜査機関に迎合する必要が一切無かったからだ――。
では結局、林眞須美の保険金殺人・殺人未遂疑惑は一体何だったのか。捜査機関が同女をカレー事件で有罪とすべく創作し、メディアが大宣伝した壮大な茶番だったのだ。
ほとんどがデタラメだった初期報道から抱いた予断を排除し、この事件の事実関係を見直せば、林眞須美を犯人と断じるのは、むしろ難しい。死刑事件の慣例である上告審の口頭弁論の期日は二月二四日に決まり、裁判の決着まで残る時間はわずかだが、それまでに今回書けなかったことも私は機会あるごとに報告していく。読者諸氏にも今後、この事件を注視してほしい。 (敬称略)
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