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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

李鴻章、和平交渉のため来日し、

日本の青年に撃たれる


李鸿章赴日本议和遭日本青年枪击
出典:北京日報
2008年12月8日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月13日
 

下関条約交渉の様子を描いた日本画

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本文

  最近CCTV(中国中央電視台)で放送された歴史ドラマ「台湾1895」では、李鴻章が和平交渉のために日本に行った際、日本の青年に撃たれるシーンが描かれている。

  1894年春、中国全権公使の李鴻章は、和平交渉の旅を始めるため、船で日本へ向かうことを命じられた。 24日午後3時、李は日本の伊藤博文全権公使、宗光陸夫外相と3回目の会談を行った。

 会談後、李は宿泊先のホテルに戻る途中、日本の暴徒にセダン姿で撃たれ、「国際的な反乱になりかけた」一大外交事件となったのである。


  午後4時15分、李鴻章は春帆ビル正門前からセダンに乗り込み、30分、外浜町の郵便通信局前を通り、江村(廉太郎)の雑貨店へ向かった。

 店の前を通り過ぎた後、北に折れて50メートルほど歩くと、寺の入り口があった。 道の角は狭く、有名な中国全権公使の李鴻章を見ようと集まった人々の群れで、担ぎ手が集団でゆっくり移動しなければならないほど雑然としていた。

 弔問車が群衆の中を通り抜けるとき、暴漢が輿の前に飛び出してきて、左手で担ぎ手の肩を押し、担ぎ手が驚いている間に右手で銃を振り上げ、李鴻章に発砲したのである。

 銃弾は李鴻章の左目の下に当たり、頬骨に食い込んで、さらに血を流した。 李鴻章は手で傷口を覆い、馬車で寺の門前まで行ったが、まだ落ち着いた様子で、徒歩で中に入っていった。

 突然の出来事、犯人の正体、暗殺の理由など、各国の世論に広く関心を呼び起こした。

  犯人が逮捕された時、山口県の地裁は、球磨県沖田島出身の小山豊太郎という26歳の無職の青年であることを突き止めた。 不思議なのは、なぜ李鴻章を暗殺したのか、ということだ。 山口県地裁の判決によると

  被告人である豊太郎は、自分が殺されなければ我が国は野心に勝てず、東洋の平和を保つことは難しいと考えていた。 山口県の赤間峠(馬関)に和平交渉に来るよう命じられたと聞き、暗殺を決意した。


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