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オデッサは
自らの歴史を破壊している

 Одесситы уничтожают собственную историю
Vesti  War in Ukraine #1889 7 Nov 2022

fロシア語翻訳・青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年11月8

ロシアチャンネル1テレビ映像のスクリーンショット

本文

 ゼレンスキーが、ウクライナ軍(AFU)はどこでも攻勢に成功していると世界を説得する一方で、攻勢の成功は、ブロンズに不滅のロシア人にのみもたらされるのだ。

 オデッサはキーウより頑張っている。司令官スヴォーロフに縄をかけ、皇后エカテリーナ大帝を石棺に収めた。

  ※注:エカテリーナ2世(ロシア語: Екатерина II Алексеевна, )
   エカテリーナ2世は、ロマノフ朝第8代ロシア皇帝
   (在位:1762年6月28日(ロシア暦)。夫はピョートル3世
   ならびにグリゴリー・ポチョムキン(秘密結婚)、子はパ
   ーヴェル1世ほか。プロイセンのフリードリヒ2世(大王)
   やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代
    表とされる。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナ
   に拡大し、大帝 (ヴェリーカヤ)(Вели́кая)と称される。


オデッサ創始者のエカテリーナ2世の銅像(毀損される前)
出典: Pavel Bakulin、グーグルマップストリートビュー



オデッサ創始者のエカテリーナ2世の銅像の位置
出典: グーグルマップ


歴史に対するオデッサ

 オデッサでは、街の創設者であるエカテリーナ2世の銅像が黒いフィルムとスコッチテープに包まれ、ウクライナの民族主義者による不要論者に対する荒々しい路上虐殺を彷彿とさせる。

 周囲にはベニヤ板が張られ、「オデッサの創始者の碑を解体する」という張り紙がされた。2014年にオデッサの労働組合会館が燃えて人が死ぬのを喜んだ、憎むべき民族主義者ゴンチャレンコ議員は、喜びに輝いている。

 100万人都市のモニュメントの運命は、電子投票によって約4000人の人々が取り壊しに賛成したことで決まった。しかし、政治的には、ナショナリストたちは、ペンキや侮辱的なスローガンでモニュメントをあざ笑うなどして、数ヶ月にわたってこの決定を押し通してきた。ウクライナのメディアで広く、そして明らかに承認的に報道された、最新のいたずらの一つを紹介しよう。

誰がこの街をつくったのか?


ロシアチャンネル1テレビ映像のスクリーンショット

 「エカテリーナ2世はウクライナ人の拷問者 ハロウィンが終わっているにもかかわらず、オデッサンたちはロシア皇后(エカテリーナ2世)の記念碑を中世の処刑人に見立てて仮装した。このようにして、市民は彼女がウクライナ人に対して犯した犯罪を思い出したいのです」とジャーナリストは主張した。

 そして、1794年にエカテリーナ2世の勅令によってオデッサが誕生したのにもかかわらず、である。港ができ、計画に従って道路が整備され、公園や広場ができ、大学や体育館が開かれ、劇場や教会も建てられた。しかし、現代のウクライナ人は、ロシアと女帝(エカテリーナ2世)は無関係だと聞かされている。要は、14世紀からこの場所にクリミア・タタールの集落ハジベーがあり、こんな感じだったそうだ。

スボロフ号の冒涜


ロシアチャンネル1テレビ映像のスクリーンショット

 ところで、オチャコフの征服者、南西部の土地の解放者、その勝利によってオデッサをはじめ現在のウクライナの多くの都市が出現したアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフは、今のウクライナのナショナリストにも似つかわしくない存在だ。

 オデッサにある彼の記念碑が冒涜され、縄がかけられたのだ。ウクライナの著名な歴史学者ペトロ・トロチコは、自国の歴史を放棄し、神話を膨らませることの危険性を繰り返し警告している。

タンブルウィードの国

 「国家が基本的に基礎なしに建設されるのは、すべてを放棄しているからです。それは、ウクライナにある植物の一種、タンブル・ウィードを思い起こさせますね。緑色の球で、秋になると葉が落ち、球は根元から落ちる。風に乗って行ったり来たりするんです」とトロッコは言う。

 結局、こうしたことが、現在のウクライナの極端なナショナリズムやネオナチの横行につながっているのだ。バンデライトによるロシアとの関係性の否定である。

 しかし、歴史が繰り返し証明しているように、否定だけでは永続的なものは作れない。