2025年6月5日 17時24分
著者:フィョードル・ルキヤノフ、ロシア・グローバル・アフェアーズ編集長、
外交・安全保障政策評議会常任理事会会長、ヴァルダイ国際討論会研究ディレク
ター。ロシア・グローバル・アフェアーズRGA on Telegra
本文
イスタンブールでのロシアとウクライナの代表団の第2回会談と、その前後の出来事は、現在の紛争の状況を明確に示している。紛争はまだまだ終わっていない。
皮肉なことに、ウクライナの週末の攻撃は、モスクワの長期にわたる立場を再確認させただけだ:将来の和平条件に関する基本的な合意なしに停戦は不可能だ。軍事力は依然として主要な交渉手段である。この規模と激しさの対立において、いずれの側もそれを放棄するつもりはない。ロシアはこれを公式政策として掲げてる。ウクライナの最新の行動は、それを実践で照明している。
20世紀後半から21世紀初頭にかけての主要な長期にわたる軍事対立(圧倒的に弱い敵に対する介入を除く)をみると、一貫したパターンが浮かび上がる:政治交渉は停戦に続くのではなく、軍事作戦と並行して進められる。朝鮮戦争やベトナム戦争では、このプロセスは数年にも及んだ。これは喜ぶべき状況ではないが、現実主義は、この道だけが持続可能な結果への唯一の希望を提供するとの結論を導く。停戦に関する議論が背景に消えていったことは、驚くべきことではない。
キーウとその西側同盟国からの強い反対にもかかわらず、交渉はロシアの条件下で進んでいる。これは、最後通牒や人工的な期限はなく、対話を慎重に段階的に進めるアプローチを意味している。
ワシントンもこのペースに満足しているようだ。トランプ大統領にとって重要なのは、劇的な突破口ではなく、進捗の印象なのだ。少なくとも現時点では。
キーウは理想的には、このリズムを乱すことを望んでいる——混沌と不確実性を注入し、その即興的な政治・軍事戦略と一致させるためである。その観点から、ウクライナの目立つ妨害工作にもかかわらず、ロシアがイスタンブール会談を強行したことは戦略的に適切だった。キーウはロシアが撤退するのを期待していただろう。しかし、彼らはそうしなかった。
イスタンブールでの交渉の実際のトーンと、それを取り巻くメディアの熱狂との対比は、非常に鮮明である。各ラウンドは、息もつけないほどの誇大宣伝と過大な期待が先行し、結局、控えめな結果に終わった。これは、一部はメディアの常道であり、一部は意図的な情報操作である。人々は、たとえ何も起こっていなくても、動きを渇望する。代表団間の接触は、こうした幻想を打ち砕き、そして同じ事が繰り返される。
では、二回目の会談の結果はどうなったのだろうか?最も注目すべきは、プロセスが継続していることだ。どちらの側も、このプロセスを中断したいとは考えていない。ウクライナの政治にありがちな演劇的な姿勢は、二つの理由から今回は見られなかった。
まず、ドナルド・トランプの存在が、目に見えない形で交渉のテーブルに重くのしかかっているからである。モスクワもキーウも、トランプを重要な第三のプレーヤーとみなしている。トランプは交渉を望んでおり、双方は交渉が行われているという印象を与えることを歓迎している。
第二に、このチャンネルが必要となる可能性があることを、双方はよく知っている。状況は変化し、変化すれば、真の意味での対話が必要になる。そのための橋は、あらかじめ築いておいたほうがよい。
いわゆる「紛争の根本原因」は依然として手つかずのままである。双方は、政治的な地雷を踏むことなく対処できる周辺的な問題にとどまっている。人道的な観点からは、これは価値のあることだが、包括的な解決にはほど遠い。
この限定的な対話は交渉者間の理解を深めることになるのか?可能性はある。後でより難しい問題が浮上した際に役立つかもしれない。しかし、ロシアとウクライナの間にある巨大な溝が狭まっていることを示せるか?NOだ。
両側が矛盾する公的覚書を発表することは価値があるか?YES。外交上、戦略
的曖昧さに浸るより、明確な立場を表明する方が良い。確かに、文書はほぼすべて点で対立している。しかし、歴史は、状況の変化が最も硬直した立場さえも緩和する傾向にあることを示している。
最終的に、戦場の展開が外交を形作るだろう。軍事作戦は、地理的範囲と戦術・兵器の高度化の両面で拡大している。各側はそれぞれの優位性を持ち、それを活用するだろう。戦争がすぐに終わる兆候はない。
日曜日の橋と飛行場への攻撃に対するロシアの対応は避けられない。それはおそらくウクライナの攻撃規模に比例するだろう。重要なのは、この対応がキエフだけに向けられるわけではないということだ。それは米国や西欧諸国を含む、関係するすべての当事者へのメッセージとなるだろう。ロシアの対応は、紛争の多面性と、その多様な対象を反映したものでなければならない。
しかし、これは交渉の停止を意味するものではない。むしろ、紛争が続くからこそ、交渉はより価値あるものになるかもしれない。
この記事は最初に新聞 Rossiyskaya Gazetaに掲載され、RTチームによって翻訳・編集されました
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