映画『ダーウィンの悪夢』 について考える(10)[最終回] 阿部 賢一 2007年5月1日 |
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18.合法・非合法の武器の取引について ザウパーのこの映画の主題は、ナイル・パーチと武器密輸の連鎖である。それゆえ、タンザニア政府は敏感に反応した。この問題は近隣諸国との関係を緊張させる。タンザニアが絡む武器密輸に関する情報をインターネットでいろいろ検索した。 タンザニアのジャーナリスト・ムワナキジジ氏(M. M. Mwanakijiji)が、19997年から2006年までのヴィクトリア湖周辺の合法・非合法の武器輸送についての、さまざまな文献を調べ上げ、「火のないところに煙は立たない。政府はすべてを明らかにすべきである」と述べている。 ムワナキジジ氏は「平和と民主主義タンザニアセンターの事務局長である。 * WHERE THERE IS SMOKE, THERE IS FIRE! 彼がこれらの情報をもとに、タンザニア政府に対し、ヴィクトリア湖周辺の武器輸送についての見解を求めている。 その最後の部分を要約すると:
ムワナキジジ氏が分析した合法・非合法を問わず、タンザニアに関わる武器取引や輸送に関する英文の論文やニュースは以下に列挙する。 【アフリカに関わる武器商人(ロシア工作員)の死】 Africa’s Merchant of Death 【アフリカの武器と紛争に関するファクト・シート】 【アフリカに暗躍する武器フィクサーに関する報告】
No Arms for Atrocities 【ザウパー製作「ダーウィンの悪夢」に対する反論】 【国連総会報告】
【NGO人権ウオッチ(HRW)の世界年鑑1999】 【ケニア週刊誌の記事】 【NGO人権ウオッチ(HRW)のアンゴラに関する報告書1999】 ムワナキジジ氏の問題提起にキクエテ大統領および政府関係者がどう反応したのかは残念ながら検索できなかった。 しかし、こうゆう問題提起が堂々とできるということは、強引な言論弾圧はないかもしれないが、さまざまな圧力はあるだろう。ムワナキジジ氏のジャーナリストとしての強い意気が示されている。彼のスワヒリ語のサイトにもいろいろ情報があるようだが、理解できないのが残念である。 ムワナキジジ氏がリストアップした武器取引に関する情報内容は多岐にわたっている。武器が数多くさまざまなルートでアフリカに流れ込んでいることは間違いない。それによる紛争頻発の現実がそれを物語っている。 しかし、武器通行や密輸をどの程度チェックできるか、摘発できるかは、国家の統治体制如何によるところが大きい。政府の外交姿勢や財政基盤にも左右される。国内の武器通行や密輸を完全に阻止することは、アフリカの現状を考えると、容易なことではないというより、不可能であろう。 近隣諸国間の政治・経済・社会・地理的・地政的な力関係などが複雑に絡む。武器の闇取引はけしからんと声を上げることで、ナイル・パーチをボイコットするだけでは問題は何も解決しない。 その地域の人々自らが、相互に信頼を高め合い、戦争や紛争を起こさない努力を地道に積み重ね、外部からのさまざまな圧力に惑わされず、武器商人の暗躍を許さない環境作りをする以外に方法はない。 20 ドキュメンタリーは嘘をつく ザウパーの映画を観て、最初に疑問に感じたのは、彼が4年もタンザニアに住んでいたという割には、なぜインタビューの相手が、骨場の老女を除いて、英語を話す人々を相手にしたのだろう、ということが発端だった。海外では、まず、英語で近寄ってくる現地人を信用しないことを筆者は原則としてきた。 よそ者に近づいてくる英語使いはその土地のマイノリティーであることが多い。その土地で発言力も影響力もあまりない、そして尊敬もそれほどされていない連中である確率が高い、というのが筆者の体験である。 通訳として使ってみても、込み入った話になると、自信のなさが直ぐ表情に表れて、肝心なときに使いものにならない。しかし、よそ者の好みを瞬時にして読みとり、受け入れられようという態度をとるのは彼らの処世術でもある。 その土地の政治や経済を動かしているマジョリティ集団(部族、宗派、その他のリーダー、そして、小・中学・高校の教師などのその地域の知識階級、地域の世話役など)と、突っ込んだ議論が出来てはじめて同じレベルでのコミュニケーションが可能となる。そのような地道な気の長い努力をよそ者が積み重ねなければ、現地の人々はいつまでも一見の他人に対する対応となり、彼らの本音にはアクセスできない。 最近、佐藤優著『自壊する帝国』を読んだ。佐藤氏自身ロシア語を英国で学び堪能である。しかも、旧ソ連やチェコなどについて詳しく、キリスト教の「教護教学」を詳しく学び、読書量も広範囲で豊富、その冷静さと自らの原理原則を持っている。だから、さまざまな分野のキーパーソンへの人脈を広げて、彼らとの間に生きたインテリジェンスの交換が出来るし、お互いの信頼感を高めていることが『自壊する帝国』を読むとよくわかる。 ザウパーが映画『ダーウィンの悪夢』でインタビューの相手として選んだロシア人クルー、歌手?兼娼婦、夜警、そして画家?は、どうみても、ムワンザの地元の人間ではない。ストリートチルドレン、これも田舎から出てきた子どもたち、エイズで親を亡くし、都会に流れ込んだ子どもたちであろう。彼らはみんなムワンザの人々にとってのよそ者であろう。水産加工場の幹部やその取り巻き連中は、明らかにインド系の移民の子孫であると、風貌や英語の話し方で分かる。漁村のシーンも新宿中央公園のホームレスのテントのような生活感の臭いのないようなところを撮っている。 ザウパーは4年間、タンザニアで生活したというが、彼の生活の臭いを感じさせる場所は、映画のどこにも出てこない。ヨーロッパ人受けのするストーリーをつくり、それにうまく合うシーンをつなぎ合わせたにすぎないのではないか。 4年間、住んでいたがゆえに、あのような断片的なシーンをどこに行けばどう撮れるということも十分わかっていたのだろう。だから、彼が、ストーリーを組み立てるためのシーンを撮ってつなぎ合わせて、自分の主張をしたのだ。彼の撮ったさまざまなシーンによる主張は正しいか、観客は考えながら観る必要がある。 ノン・フィクションとか、ドキュメンタリーという言葉に惑わされてはならない。ノン・フィクションもドキュメンタリーも、その監督やカメラマンがストーリーをまずフィクション化して、それに合ったさまざまなシーンを撮り、つなぎあわせてつくりあげた作品である。 このシリーズの冒頭、ドキュメンタリー作家、綿井氏を紹介したが、最後にもう一人のドキュメンタリー家・森達也*を紹介する。 彼も2005年世界一周航海の折、スペインのカナリア諸島ラスパルマスから乗船して、ジャマイカのモンテゴベイ下船したピースボートが手配した水先案内人で、船内で講演などを行った。その間、一週間程、彼の代表作であるオームを撮った「A」「A2」その他のドキュメンタリーがホールで上映された。船内では彼の著作も販売されていたので、4冊買って読んで、議論もした。 そのなかで一番面白かったのは『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店 2003年7月刊)だ。ベトナムで王位を継ぐ代わりに、祖国解放の独立を夢見たクォン・テを追ったノンフィクション。革命家ファン・ボイ・チャウと出逢い、1906年日本を訪れる。犬養穀や玄洋社の頭山満、新宿中村屋相馬愛蔵・黒光夫妻ら、満州国建国に奔走したアジア主義者大川周明、陸大時代から日支提携とアジア諸民族の復興・独立の志を持っていた陸軍の松井石根等々などとも交わった。しかし、終戦直前、ベトナムへ帰ろうとして果たせず、戦後は日本でひっそり暮らして死んだ。「僕らの王子は日本に殺されたようなものなのに、どうして日本人は誰もそのことを知らないのですか」というひとりのベトナム人留学生の声をきいて、森達也が当時の資料にあたり、ベトナムまで足を運んで、「その思い」をノン・フィクションにまとめた傑作である。「森さん、これが一番よかったよ」といったら、彼は、「一番思い込みを込めて書いたんだが、さっぱり売れなかった」といった。 帰国してほぼ一年後、2006年3月、千駄ヶ谷駅近くの津田ホールで、若い人たちが企画した「森達也トーク、御臨終、憲法?」という集まりにも参加したが、彼の発言は若い人々の共感を得ていて、人気があるのにびっくりした。 彼は多くの著書も出しており、最近は、むしろこちらの方が本業になっている。その中に『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社 2005年刊)がある。 ドキュメンタリーは、記録映像、記録映画といわれるもので、テレビ番組でも鳴り物入りでよく放送される。しかし、宣伝の割にはがっかりする確率が高いものが多い。ノン・フィクションのジャンルで「取材対象に演出を加えることなくありのままに記録された素材映像を編集してまとめた映像作品」と定義されている。 しかし、森達也はいう。
森氏がオームのドキュメンタリーを撮った経緯などを含めて航海中の一週間、彼の講演や、ときにはビールを飲みながら、モンテゴベイで別れるまで彼とは話す機会が多く持てた。それができるのが、時間がゆったりとある船旅の良いところである。オームの信者たちを撮ったことについては、荒木広報部長に、撮らしてくれと申し入れたら、いいですよ、ということで、淡々とカメラを回したのだと話してくれた。 * 森達也の公式サイト 本シリーズの冒頭に紹介した綿井健陽、そして、今回紹介した森達也は、二人とも、彼ら自身のメッセージをドキュメンタリーに託した作品であるが、「誰々好み」を想定してつくった作品ではなかったと思う。 綿井氏の撮影した『Little Birds----イラク 戦火の家族達』は、その数年前まで筆者が駐在したバグダッドのごく普通の家庭を中心にして撮ったシーンであり、バグダッドの人々と綿井氏の間に醸成された信頼感がもたらすシーンに溢れていた。バグダッドの一般家庭の生活の雰囲気が一杯だった。 森氏のオーム関係者とのあいだの関係を見ると、他のジャーナリスト達がなぜオームにアクセスできなかったのか、あるいはしなかったのか、わからない。森氏は当たり前のことをやったのであって、何か特別のことをしようと気負ってやったわけではない。 二人のドキュメンタリーは、水彩画的な淡々としてドキュメンタリーである。 しかし、ザウパーの映画は、ゴテゴテの油絵といった感じである。そして、彼の撮ったシーンで西洋絵画の構図が、西欧の映画批評家には分かるらしい。彼の視点は明らかにヨーロッパ人を意識した、ヨーロッパ人のステレオタイプな視点を意識したドキュメンタリーとの映画評があった。しかし、ムワンザに生活する多くの人々の中に入って撮ったシーンは全然見当たらないし、意図的に撮らなかったのだろう。人々の喧騒とか、家族とか、街並みとか、三十万が住む都会の人々のシーンがさっぱりない。 ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』も森達也のいうことを考えると、ザウパーの意図、とりわけ、彼が考える強烈なメッセージが出ている。アメリカや欧州の映画評を読むと、そのシーンの構成など、ヨーロッパの知性が観れば、すでに紹介したように、エル・グレコやヒエロニムス・ボッシュの絵画、そして、ウイリアム・ブレイクなどの引用が出てくる。筆者には、聞いたことはあるが馴染みのない名前ばかりでてきで理解を超えるが、彼らの映画評は、一様に手厳しい。ヨーロッパ人のアフリカに対するイメージに合わせたドキュメンタリーであると22項目にわたり指摘する比較文学研究者*もいる。 我が国の映画評のように、グローバリゼーションのマイナスを強調するというような単調な映画評ではない。 * “The Little Story”: Darwin’s Nightmare,
Hubert Sauper; 21 グローバリゼーションとは? ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を観て、ナイル・パーチをボイコットしたフランスの観客は、ザウパーの意図と術中に完全にはまってしまった。そして、ザウパーは数々の賞を受ける名誉も得た。しかし、ナイル・パーチをボイコットしてもタンザニアの食糧問題が解決するわけではない。反対に、タンザニアの経済に打撃を与えた。そして、そのしわ寄せは、ムワンザに住む貧しい人々に『ザウパーの悪夢』をプレゼントしたに過ぎないのではないか。 グローバリゼーションは現在の世界では、止まらぬ奔流である。当然ながら、そのプラス面、マイナス面が多くある。現在の我々はそのグローバリゼーションのなかで生きている。それを、無慈悲な外国資本あるいは先進国と貧しい搾取される発展途上国そして貧しい人々という単純な構図で観たり考えたりするのはひとつのわかりやすいストーリーであり、映画制作者がそう考えるのは自由である。その背景や情報を調べると、彼のストーリーはあまりに単純である。しかし、現実は複雑であり、大きな疑問が出てきたというのが、筆者がこのシリーズを書き出したきっかけである。 ザウパーは、タンザニア政府や現地関係者からの公開状や非難に対して、現地ジャーナリズムのインタビューに応じて、「私はタンザニアの人々を愛している。タンザニアには4年間住んでいたのだから。」と述べている。 ナイル河のナイル・パーチがヴィクトリア湖にバケツで放流された理由や説は、いろいろあるようだが、その詮索はやめた。その結果のナイル・パーチの国際商品化、ヴィクトリア湖の環境破壊・汚染その他、必然的に起きたグローバリゼーションの大波、それら、これからの問題の方が重要である。 ナイル・パーチはグローバリゼーションの中で生まれた国際商品である。国際市場への強力な販売力がなければ、価格の主導権は取れない。国際市場からは常に価格引下げの圧力がかけられる。輸送の主導権も取れないことが政府の公開(質問)状を読んでも容易にわかる。どこの市場にどれだけの量をタイミングよく供給するかの主導権が取れなければ、価格を叩かれる。しかも、その生産工程でEUの厳しい衛生基準を適用される。その要求する衛生基準以下であれば即刻輸入禁止が発動される。 その一方で、ヴィクトリア湖の湖水面の低下、漁業資源の減少で、漁獲コストは上昇している。さらに、水産加工場は、ムワンザ環境法の規制で工場廃水処理の管理が年々厳しくなっている。販売価格の下落と環境設備投資等による生産コストの上昇を抑えるかのなかで、すでに経営をやめたギリシャ・オーナー系の工場があると現地英字紙も報じている。 ヴィクトリア湖の汚染は、ムワンザから100kmほど離れたゲイタに、世界資源コングロマリットのアングロ・アメリカンが採掘している金鉱山がある。1999年、タンザニア政府から開発権を取得し、金その他の掘削を開始した。そこには日本の総合商社丸紅がコマツの大型重機械を納入していると、丸紅やコマツのHPに載っている。その周辺には無法な採鉱業者や一匹狼が群がり金探しに夢中になっている。金採掘に伴う水銀汚染が起きている可能性があると指摘されている。これらの採掘で雨が降れば土壌がヴィクトリア湖に流れ込むと汚染を引き起す。 このゲイタ金鉱山の事情は、タンザニア在住の根本利通氏の「ダルエスサラーム便り」でも報告されている*。 * Habari za Dar es Salaam No.47 "Mazingira ya Ziwa Victoria" これなど、南米アマゾンの金採掘に群がるガリンペイロ(ブラジル/ポルトガル語で「金鉱発掘人」)と水銀汚染とまったく同じ構図である。 さらに、雨季が短く雨量も少ないという地域であり、ここ数年は気象変化による降雨量の減少と湖水面の低下、ホテイアオイなどの外来植物の繁茂も生じている。ウガンダの水力発電、これは、ヴィクトリア湖の地形や水系を過大評価したプロジェクトではないかという疑問もある。しかし、エネルギーはその国の産業の原動力であり、国民生活向上の必須条件でもある。世界からの資金を集めて水力発電を行い、産業振興源とし、人々の生活向上・環境改善の近代化を促す政策でもある。ウガンダは、発電した電力を輸出して貴重な外貨を稼いでいるという事情もある。 一人当たりの国民総所得(GNI)が330米ドルと、一日1米ドル以下という最貧国グループのタンザニアやその近隣諸国は、外貨獲得に必死である。三十年余りにわたる社会主義的な計画経済から決別し、国営企業を民営化し、積極的な外資導入政策で国内産業の発達を促さなければ、国の将来の発展はないという考えかたに転換し、鉱物資源開発も本格化している。これもグローバリゼーションの大きな流れである。 22おわりに 現在のアフリカは、旱魃等の自然災害による飢饉、貧困、独立後の政争や資源争奪戦争、欧米列強が人為的に引いた国境線に起因するさまざまな問題、部族内紛、部族差別、エイズその他の疾病等々、マイナス・イメージが多すぎる。 我々日本人は、それらのニュースを新聞やテレビで断片的に、しかもごく少ない情報を示される程度で、アフリカの抱えるさまざまな課題に対して、日本政府として、あるいは個人レベルで取り組んでいる、無償援助、円借款、国際協力機構(JICA)や海外青年協力隊、NGO、NPO、個人レベルのボランティア活動やその成果を知ることがきわめて少ない。 タンザニアに対する我が国の無償資金協力は2005年までの累計で1,312億円。2005年は18.37億円、技術援助の累計は585.41億円、2005年は23.81億円である。いずれもここ数年間、減額の一途である。我が国ODA予算総額の減少の影響を受けているようだ。 そんな状況の中で、緒方貞子氏が第8代国連難民高等弁務官(UNHCR:United Nations High Commissioner for Refugees)が、1990年から2000年まで二期十年間務めていた頃には、我が国のテレビには、アフリカの難民救済の現場で先頭に立つ緒方氏のシーンが数多くあった。 しかし、緒方氏のあとの第九代弁務官ルード・ルベルス氏(元オランダ首相)、そして、2005年6月に就任した第十代弁務官アントニオ・グテーレス氏(元ポルトガル首相)になると、我が国の新聞やテレビからアフリカ難民救済に関する情報は急減した、というよりほとんどなくなってしまった。その経歴を見れば錚々たる弁務官の名前も知らないという、観光地しか知らない遥か遠い国になってしまっている。 NHKの世界の衛星放送ニュースでも、カタールのアルジャジーラ局(中東ばかりではなくアフリカのニュースも多い)を除けば、西欧諸国(定期的には米国、フランス、ドイツ、ロシア、スペイン)及びアジアでは中国、韓国のものであり、アフリカや南米をキー局とするニュースは皆無である。 日本に居て我々が知る世界の情報は極めてアンアンバランスであることを常日頃は忘れている。 今回、ザウパーの映画『ダーウィンの悪夢』を観て、疑問に感じた点が多くあったので、インターネットの検索を駆使して、いろいろな情報にアクセスすることが出来た。しかし、筆者がなんとか読めるのは英文情報だけに過ぎない。英文情報だけでは相当にアンバランスであることを自覚しながら、それらの情報を取捨選択し、矛盾点を突き合わせながら、まとめたものである。 昨年10月、2.54mも下がったヴィクトリア湖の最低水位が最近戻りつつある。しかし、それとともに、1980年代にヴィクトリア湖に侵入した南米原産の浮草ホテイアオイ(water hyacinth)が再び爆発的に繁茂して湖岸を覆い始めていると現地紙*は報じている。 ホテイアオイ繁殖は湖面を取り巻く周辺の森林伐採による土壌浸食・水質汚染に起因するといわれている。 それに伴い、魚群の住環境悪化による漁業資源の減少、湖面交通への障害、その他さまざまな環境汚染問題が発生し現地ではその対策に追われている。 * Hyacinth threatens L. Victoria April 8, 2007 「映画『ダーウィンの悪夢』を考える」シリーズも、当初五回程の予定がその倍の十回になってしまった。これをきっかけとして、ヴィクトリア湖を取り巻く東アフリカ諸国の現状の一端を知ることが出来た。 (おわり) *********************** 【追記】 このシリーズ連載中に、素晴らしいタンザニア情報を発信し続けているダルエスサラーム在住の根本利通氏を知ることができた。そして、タンザニアのムワンザを数回訪れたという友人からも貴重なコメントを頂いた。ケニアのヴィクトリア湖キスム港に調査に行った友人は、キスム港の写真数枚をメールに添付して送ってくれた。その中の一枚には、ヴィクトリア湖岸近くで、静かな水面から頭を出している一頭のカバのショットがなんともユーモラスだ。このカバが、ゆったりと遊泳している姿を想像すると楽しくなる。こうゆうのどかな風景がいつまでも続くことを願っている。 【訂正個所】 映画『ダーウィンの悪夢』について考える(1) [2.綿井氏の『ダーウィンの悪夢』の紹介]のなかで、フーバート・ザウアー監督】となっているのは、-----フーバート・ザウパー監督------に訂正します。 綿井氏は「(2006年10月の)山形国際ドキュメンタリー映画祭で------は、(2005年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、------に訂正します。 ■ |