東北シリーズ(1) 『鳥海山』その2 山開き登山記 阿部 賢一 2007年7月14日 |
4. 山開き登山 湯ノ台口は旧八幡町(あきたと県境を接する遊佐町の隣、2005年11月1日、酒田市に合併)にある。酒田市八幡総合支所(旧八幡町役場)の手前を左折、日向川沿いの集落、上草津を過ぎて左折し、鳥海高原家族村まで約20分のドライブである。 家族村入口には、環境省猛禽類保護センター、湯ノ台温泉『鳥海山荘』がある。 鳥海高原家族村は、湯ノ台温泉『鳥海山荘』とともに、旧八幡町の第三セクター。キャンプ場、ケビン、ツリーハウス、パターゴルフ場、魚釣り場、食堂などの施設があり、家族で休暇を楽しむ場所である。 『鳥海山荘』は渓流釣りの人々の宿泊が多く、県外ナンバー車の駐車が多い。釣りを楽しんだ後、この山荘の温泉(小規模ながら露天風呂もあり)からは、庄内平野の田圃、庄内町(米どころ旧余目町や風力発電の旧立川町)の街並み、その奥に鶴岡市街、湯野浜温泉、日本海などを見下ろせる。しかし、残念ながら、酒田市市街中心部、酒田港、日本海に沈む夕日は手前の尾根に阻まれて見えない。 旧八幡町では、毎年六月最終日曜日に、役場、八幡山岳会、鳥海山岳ガイド協会が主催して山開き登山を行ってきた。酒田市に合併された昨年、酒田市、八幡山岳会、鳥海山岳ガイド協会が主催して合併後第一回の山開き登山が昨年6月25日日曜日に行われた。一般市民登山者25名が参加。地元の酒田市、鶴岡市、庄内町からの参加者に、県内の米沢市、川西町、県外の秋田市、石巻市からの参加者も加わった。 筆者もこれに参加して、はじめて湯ノ台口から、鳥海山の外輪山最高峰、七高山を往復した。そのとき、なぜ最高峰の鳥海新山に登らなかったのかわからなかった。その理由が今年の山開き登山でわかった。 今年の湯ノ台口山開き登山は6月24日日曜日、昨年より一日早かった。昨年同様、早朝から快晴に恵まれ、それが終日続く幸運に恵まれた。一般参加者は26名。今回も地元の酒田市、鶴岡市、庄内町のほか、県内の山形市、米沢市、東根市、川西町、県外の仙台市、登米市からの参加者が加わった。 昨年御一緒した山開き登山常連の方々とも再会した。 2007年6月24日日曜日 鳥海家族村駐車場に午前5時半登山者名簿への受付開始。 参加費は2,000円(ガイド料、保険料、登山記念品等を含む)。 登山記念品は、紅白餅、鳥海山氷河水(ミネラルウオーター)500ml一本、温泉施設「ゆりんこ温泉」入浴券(350円)。 午前6時に酒田市役所中型バスに乗り込む。鳥海高原牧場を横切り、よく舗装された車道を登る。午前6時30分、標高1,200mの車道終点に到着。駐車場には、すでに、登山者や山菜採りの人々の車が数台あった。 この標高1,200mは開発規制限界*、これから上へは道路をつくれない。 * 山形県遊佐町から鳥海山五合目鉾立を経て旧象潟町に至る山岳道路『鳥海ブルーライン』(全長約34.9km、秋田県側は昭和47年(1972)開通、山形県側は昭和48年(1973)開通。平成9年(1997)より無料解放となった。 ブルーラインの開通以来、山麓開発が進み、鳥海山の景観が損なわれる心配が出てきた。その様な状況のなかで、山形、秋田両県の間で、昭和47年(1972)「標高1200m以上は無車道(含建造物)とし開発を規制する」という紳士協定が結ばれた。 その後、(1) 八幡町湯ノ台〜滝の小屋線観光道路延長計画、 (2) 遊佐町三の俣ブナ林伐採スキー場計画、(3) 矢島町祓川北東斜面スキー場計画(ゴンドラ、全長2,700m)、(4) 八幡町南麓開発スキー場計画(ゴンドラ、全長3,500m)などの計画が浮上したが最終的にはこれらの計画はすべて中止となった。 出典:http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/kaihatu.html 昨年(2006)の山開き登山のとき、この車道終点手前は、まるで立山の山開きのときの雪壁の様な、車道の両側が3m以上もの高さに達する雪壁があり、山開き前日まで除雪に励んだという。しかし、今年は全然ない。 今年は酒田市中心街では、ほとんど雪が降らず、三月になって、ようやく積雪、酒田市内ではこの冬、除雪車が一度しか活動しなかった。この車道終点付近も同様に雪は少なかったようだ。今年は雪が少ないと思ったが、それは間違いだった。この先、河原宿小屋、その上の大雪渓や外輪山に到達すると、逆に昨年よりも雪が多くてびっくりした。 この車道終点には環境配慮型の立派な鉄筋コンクリート造りのトイレが設置されている。 鳥海山の雄大な沢筋から山頂付近までを眺望できる地点である。希少猛禽類イヌワシの格好の観察場所でもある。今日は上昇気流が発生していないまったくの快晴無風状態なので、望遠カメラをセットしている観察者は見当たらない。観察チャンスは秋である。 イヌワシは日本全国で最小限約四百〜五百羽生息しているという。しかし、この広大な鳥海山麓全体で生息できるのは三〜四ペアにすぎないと地元の人々はいう。鳥海山の豊かな緑が小動物たちの格好の隠れ場となる。鋭い目を持つイヌワシにとっては餌を得るは容易ではない*。 * 参考サイト:鳥海山のイヌワシ保護について http://www3.ic-net.or.jp/~sierra/shizen/shizen01/inuwashi01.html 今年の春、この車道終点の手前、鶴間池付近で、昨年同様、イヌワシのヒナが一羽誕生し無事飛び立った。 友人が500mほど先の巣にカメラの焦点を当てて四日間も粘ったそうだ。そして近来にない近距離からの飛翔ショットをものにしたと自慢していたが、専門家にチェックしてもらったところ「ハチクマ」であったと残念がっていた。イヌワシは警戒心が強くなかなか近くでは観察できない。 昨年秋、この車道終点で多数の観察者がおり、沢の向こう側の岩壁頂部に一羽のイヌワシがいることを教えてもらった。望遠カメラで覘かせてもらい、自慢のイヌワシ・ショットを多数見せてもらった。 一昨年の夏、秋田県側祓川登山口に行く途中のブナ原生林の道をドライブしていたら、突然イヌワシが蛇をくわえて飛び上がるのに出くわした。ただ唖然としてその羽根を拡げた大きな姿を眺めるだけで、絶好のシャッター・チャンスを逃してしまった。 5. 登山開始 午前6時35分、車道終点地点で山頂コースの出発式。酒田市関係者と地元の八幡山岳会堀会長が挨拶。ガイドを務める山岳会メンバーが紹介され、三班に分かれて出発した。 車道終点から鳥海山外輪山を見上げる 撮影:2007/6/24 午前6時半」 車道終点からよく整備された登山道を登り、荒木沢を渡ると、隣町、遊佐町町営の滝の小屋、まだ小屋は開いていない。だが、昨年完成した立派なトイレは利用することができた。ここまで25分。 小休止して、すぐその上の雪渓を登り切り、八丁坂を登って約一時間で河原宿小屋(鳥海山大物忌神社、河原宿参籠所)に到着。 ここにも、一昨年立派な鉄筋コンクリート造りのトイレが建設されたが、鍵がかかっていて利用できない。 小屋もまだオープンしていない。 これからのルート、大雪渓の上部には、八幡山岳会先発隊三名が小さく見える。 ここで朝食を摂る人、アイゼンや簡易アイゼンを装着する人、準備運動に余念のない人、それぞれ出発前の緊張した面持ちである。 昨年の山開き登山の折には、この河原宿小屋の前はすでに雪が消えていたが、今年まだ厚さ30cm以上の残雪で河原(大雪渓からの融雪水が流れ出ている)は大部分が覆われている。 河原宿小屋前で 大雪渓をバックに二班の記念撮影。 大雪渓の上部に丸い小さな雪渓(心字雪渓)がるが、この雪渓を登るとあざみ坂の急坂となり、外輪山端に達する。 前列左端が筆者そのとなりはガイドのリーダー 撮影:2007/06/24 9時少し前に、第一班、第二班、第三班の順でいよいよ大雪渓を登りはじめる。 大雪渓の左肩に近い部分を登る。昨年は大きなクレバスが二筋ほど、ばっくりと口をあけていたが、今年はそれがない。 アイゼンが心地よく雪に食い込み、足場を確保しながらジグザグと高度を上げてゆく。 我々の班長さんはまだ若くどんどん先頭を歩いてゆく。そのためメンバーの間隔が大きく開く。これを見ていた三班の班長であるベテラン、堀会長から無線連絡が入る。もっとゆっくり歩いてメンバー間の距離をあまり開かすなとの指示である。 最後の第三班は細い赤テープ付の竹製ポールをある程度の間隔で雪に指しながら進んでくる。これは、帰路の目印にするものである。ポールには斜めの切り口があり、この斜めの方向に向かって下れば霧に巻かれる心配はないと、帰路、雪渓を降りるとき、堀会長から説明があった。 山岳会のメンバーが携帯無線機を持ってお互いに連絡・確認をしながら進む。快晴なので大雪渓の景観を楽しみながらの登りで視界は良好。この時期、単独や数人の仲間だけの初めての登山では、リスクも多い。この点、地元山岳会のガイドの方々のこのようなサポートがあれば心強い。ということで今年70歳になる筆者も安心してこの「山開き登山」に参加した次第。 大雪渓の上の「心字雪渓」の急坂 ロープを伝って登る第三班一行。 山岳会メンバーがロープを調整、見守っている。 画面右下には「ミネザクラ」が咲いている。 撮影:2007/06/24 大雪渓を登り切り、すぐ上の「心字雪渓」の急傾斜を先発隊が設置してくれたロープを握りながら登る。 「心字雪渓」の直上で休憩。大雪渓や「心字雪渓」を登ってくる第三班一行を見下ろしながらリックをおろして汗をぬぐい、水分補給。近くの岩に腰掛けたら、目の前に「ミネザクラ」が咲いていた。強風にさらされてか背丈は低いが、幹は逞しい。可憐なピンク色の「ミネザクラ」が美しい。その下の地面にはミヤマキンバイが咲いていた。 ミネザクラ 撮影:2007/06/24 ミヤマキンバイ 撮影:2007/06/24 あざみ坂はまるで大股で石段を登るような感じである。目の前の石段状の急坂を周囲の景色を見る余裕もなく、必死に登る。 そして約30分、外輪山端部の九合目、伏拝岳(2,125m)に到着。ここで、登山ルートは象潟口と合流。休憩。上を見れば外輪山と鳥海新山、その前には外輪山内側の絶壁と雪渓。日本海方面に目を転ずれば、鳥海湖、その上の長坂道の三峰、二峯、そして?ヶ岳へと続く尾根の残雪が素晴らしい。 伏拝岳から日本海方面の眺め 左の尾根は?ヶ岳方面へ、右の尾根は象潟口方面へ 撮影:2007/06/24 昨年は、この伏拝岳で昼食を摂り、荷物を置いて、外輪山最高峰七高山を往復した。今年は小休止した後、その七高山手前の鞍部まで行く。先発隊からの無線連絡で、今年は雪が多く鳥海新山への登頂が容易だとの連絡が入ったからだ。11時過ぎ、その鞍部に到着。先発隊が新山手前の雪渓から手を振っている。 今年は雪が多く雪渓が大分上まで続いているので片道20分で新山頂上に達することができると、堀会長の説明があった。希望者だけ新山頂上に行くことになる。四名は残ると申し出たが、そのほかの者は荷物を置いて、外輪山内壁の急坂を鉄鎖やはしごをたどりながら雪渓まで降りる。そして今度は雪渓を急登、荒々しい岩石の割れ目をだとり、約20分で鳥海新山の山頂(2,236m)に達した。 案内の先発隊の方々は、こんなに雪渓の雪の多いことはめったになく、今年は久しぶりの幸運に恵まれてよかったと、話してくれた。 七高山手前鞍部から鳥海新山山頂を望む 今年はこの雪渓の雪が多く登頂が容易だった。 撮影:2007/06/24 新山頂上から外輪山最高峰の七高山を見ると、どうもあちらのほうが高いように見える。高さ6mの差は目の錯覚をきたすようだ。 鳥海新山頂上にて(二班の仲間たち) 前列右側が筆者 相当疲れた表情が。 撮影(主催者スタッフ):2007/06/24 新山からの眺望は以外に開けない。周囲の外輪山が内陸方面の視界を妨げているためだ。 帰路、班のリーダーの案内で新山頂上直下の「胎内めぐり」という洞穴を通り抜ける。これですべての穢れを祓った気分になる。 この空洞は、入口も出口も狭く、往路では気が付かなかったし、案内板も小さく、その存在を事前に知っていなければ見過ごしてしまうところだ。 短い洞穴を出てガレ岩を登ると、そこは雪渓、外輪山鞍部まで約20分で戻ることができた。 ここで昼食、参加者全員の記念写真を撮る。午後1時、各班に分かれて鞍部を出発、再び伏拝岳から往路と同じルートを湯ノ台口へと下る。 昼食後七高山手前鞍部での全員記念写真 筆者は前列から二列目のほぼ中心 撮影(主催者スタッフ):2007/06/24 筆者は、帰路、あざみ坂から雪渓に降りる手前で転倒してしまった。幸いかすり傷二ヶ所の軽傷で済んだ。 帰路、堀会長やスタッフが、往路で設定したポールを抜いて、束にまとめながら雪渓を降りてゆく。 今日は快晴なので視界をさえぎるものはなく問題がないが、ひとたび霧が発生すると、事態は一変する。 自然は怖い。霧の中で方向感覚を失い思わぬ事故に繋がる可能性がある。さすが地元山岳会のリスクマネジメントの実力発揮である。 筆者はさらに大雪渓でもう一度滑って転倒。すかさずサブリーダーが駆け付けてくれた。ステッキを二本借用、サブリーダーに見守られながら慎重に大雪渓を下り、河原宿小屋に午後3時半無事帰着。 昨年は、大雪渓で二回滑って転倒したが、ショックはなかった。今年も二回。しかし、転倒のショックは大きく、意気はまだまだ盛んなつもりだが、下肢筋力の衰えを実感した。 河原宿小屋で休憩ののち、八丁坂のニッコウキスゲを見ながら滝の小屋で小休止、車道終点に戻ったのが午後4時半。 車道終点から鳥海山頂を見上げて、よくもあんなに高いところまで登ってきたもんだと自らを褒めた。 酒田市の中型バスに乗り込んで、鳥海家族村に午後5時到着。 参加者全員、無事に山開き登山を終えたことをお互いに感謝、来年の再会を期して解散した。 午後5時半、今朝頂戴した「ゆりんこ温泉」入浴券を早速活用、ふもと荒瀬川沿いの八森温泉「ゆりんこ」で今日一日の疲れを癒した。そこでまた同行の仲間達数人とも再会した。 鳥海家族村の出発地点から万歩計をオンにしていたが、戻ってきた駐車場でカウント数を確認すると29,136歩であった。 今回の登山中、一本500mlのミネラルウオーターやお茶など合計三本飲んだ。 ゆりんこ温泉で体重を測定したら、2kg減量という結果だった。それだけよい汗を掻いたということだろうが、来年は下肢の筋力を鍛えて三度目の山開き登山に挑戦する。 (おわり) |