東北シリーズ(2) 「街並み景観づくり100年運動」 山形県金山町 その4 阿部 賢一 2007年9月9日 |
10.十三号線から鳥海山をまわって酒田へ 栗田御夫妻の「暮らし考房」を辞して、中田春木川沿いを下り国道13号に出て右折、秋田方面に向う。 山形・秋田の県境、主寝坂峠の主寝坂トンネルを通り抜ける。従来は大型トラックのすれ違いにも苦労し、狭いトンネル部分を持つ旧道を改良して、将来は東北自動車道の一部となる「主寝坂道路」のトンネル全長2,944mが平成17年(2005年)に開通した。そのアクセス道路は、中田春木川から国道13号へ出た付近から現在改良工事中である。 「主寝坂」とは珍しい名称だが、トンネル手前の金山町側に存在する主寝坂集落に由来する。江戸時代、矢島藩*の姫君とその従者が恋仲になり、雷雨に見舞われて辿り着いたこの地で関係を持ったという伝説がある。しかし、旧矢島町では、古文書からもそのような事実はないとしている。この説については「矢島の評判を著しく落とす行為」と激怒しているという。主寝坂峠付近は金山町に隣接する真室川町域であり、塩根川が流れれているのでその転訛に由来するという説もあり、その方がもっともらしい。 * 『東北シリーズ(1) 鳥海山(1)「山頂争い裁定」と各登山口』(『今日のコラム』)参照 http://eritokyo.jp/independent/abeken-col1046.html ついで雄勝峠の雄勝トンネル(1,375m)を抜け、秋田県湯沢市院内に出る。この先もう少し行けば、小野小町の終焉の地、小町堂や岩屋堂が近い。次回、鳴子温泉〜秋の宮温泉旅行からの帰路立ち寄ることにする。 この県境付近の峠道は羽州街道の難所であり、秋田・佐竹藩主などが参勤交代で往来した道である。 院内から左折し、国道108号線の旧鳥海町(現在、由利本荘市に合併)の「鳥海道の駅」で小休止。鳥海山麓の法体の滝に向う。「鳥海道の駅」から直線距離では近いのだが折から工事中で通行止。大きく迂回して反対側のリゾートホテル「フォレスタ鳥海」側から法体の滝にようやく到着。鳥海山の雪解け水が山麓で湧き出して、長さ約100m、三段の滝で、落差57.4mである。秋の紅葉の見どころである。 法体の滝(秋田県) 撮影:2007/6/16 法体の滝へ行く途中の鳥海山展望台 山形側から眺める鳥海山とは全然異なる山姿 秋田県側祓川登山口の避難小屋と駐車場が見える 撮影:2007/6/16 フォレスタ鳥海(旧鳥海町第三セクター) この上が牧場となっており、その中の舗装道路を行くと法体の滝へたどり着く。背後の白雪の山は鳥海山 撮影:2007/6/16 フォレスタ鳥海の裏庭 以前は人の踏み込めない湿原であったが、つまらぬ工事をして折角の自然が無残に破壊された。 撮影:2007/6/16 フォレスタ鳥海の裏庭 上の写真の下流 撮影:2007/6/16 3年前に訪れたときは、このような豊かな自然だった。 上記の二つの写真を見比べて欲しい。以前は湿地であったところが切り開かれ石積みの側壁と遊歩道がつい最近施工された。こんな歩道を誰が喜んで歩くものか。ホテル周辺はブナ林であり、その林を伐採してホテルが出来た。ホテル食堂の大きな窓越しに眺める風景はすばらしい。まるでブナ林の中にいるような感じであったのだが、こんな人の手は加えてもらいたくない。 秋田県の人々は鳥海山の山形側を「裏鳥海」と呼ぶ。山形県側では、秋田県側を「裏鳥海」と呼ぶ話は聞いたことがない。鳥海山麓の開発は秋田県側の方が一歩先んじて行われ、牧場、青少年旅行村、リクリエーションの森、仁賀保の風力発電基地などがある。近くに象潟の蚶満寺、境内に北條時頼が植えたと伝えられる寺に異変のあるときだけ咲くツツジがあり、芭蕉が絶賛した九十九島の景観もある。 山形県側は旧八幡町の鳥海家族村と鳥海山荘があるが開発は進んでいない。大手業者によるスキー場開発の話が持ち上がったが、イヌワシの生息地であり反対運動が起こるとともに、スキー場開発気運もしぼみ、環境省「猛禽類保護センター」ができて一件落着。 秋田県象潟町から鳥海山五合目の鉾立(最も登山客の多い鳥海山登山口)を経由して山形県遊佐町に下る鳥海ブルーラインも無料解放されている。 二日間で鳥海山をぐるっと一周した。鳥海山山麓は広大で緑豊かである。しかし、この広大な山麓では希少猛禽類イヌワシペアが三組しか生息できない厳しい環境でもある。 (この項 終わり) ■ |