公共工事の諸問題 その11(1) 建設業者過剰供給構造の改革 ~『建設産業政策2007』を読んで~ 阿部 賢一 2007年11月10日 |
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はじめに 国土交通省は今年7月6日「建設産業政策2007」を公表した。その全文及び参考資料が、同省HPに掲載*された*。さらに、翌8月、大成出版社より出版(本文及び参考資料全119頁)された。 * http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/01/010706_6_.html 我が国の戦後における本格的な公共工事は、昭和37年(1962年)に策定された「全国総合開発計画」からスタートした。最後となる平成10年(1998年)「第五次全国総合開発計画」に至るまで、基本的には、国土の「均衡ある発展」を目指して政策が実施されてきた。その具体化されたものとしての公共事業は、次第に当初の目的からはずれて、景気対策・雇用対策・中小企業対策・地域活性化(バラマキ)として行われてきたといっても過言ではない。 それらのさまざまな対策を達成するために、公的規制・公的保護が設けられ、実行されてきた。 公的規制・公的保護も当初意図した目的も次第になおざりにされ、本質から外れ、効率性が疎んじられ、次第に既得権益化されてきた。公的規制・公的保護はすでに賞味期限切れのものばかりで、我が国「活力」の大きな障害となっている。 この間に世界情勢は大きく変化し、我が国はグローバリゼーションと技術革新への対応に遅れた。さらにバブル崩壊が重なり、我が国経済は長期間にわたり停滞を続け(灰色の10年、それ以後現在まだ続いている)、「国際競争力」を急速に失うと共に、少子高齢化の加速で、国としても国民全体としても「活力」を失いつつある。 この「停滞」と「活力」の回復を目的として、我が国政府は、さまざまな景気対策・雇用対策・中小企業対策・地域活性化に努めてきた。しかし、増えるのは借金ばかり。これまでせっかく整備した社会基盤(インフラストラクチャー)の劣化が進み、耐用期限を向かえ、その維持管理に巨額のコストを必要とする状況になった。 我が国の経済を回復軌道に乗せ、「国際競争力」とその「質」を高めるための手段としての公共工事の入札・契約の改革が促されて来たが、すでに久しい。 改革が叫ばれるが、実情を見ると遅々として進んでいない。その障害となっているのが、現行関係法令とそれに伴うさまざまな公的規制・公的保護の枠組である。それらの抜本的な見直し・改革が必要である。 公共工事の目的を「景気対策・雇用対策・中小企業対策・地域活性化(バラマキ)」から大きく転換させて、我が国の「国際競争力」を高めるための、将来性を見通した将来展望と戦略的な構想の確立が必要である。 この6月に公表された「建設産業政策2007」はあまりにも抽象的であり、公共工事入札制度改革の将来を見通した具体的な政策も見出せない。 本論では、「建設産業政策2007」至るこれまでの建設産業政策や公共工事の入札・契約改革の経緯と、関係法令とそれに伴うさまざまな公的規制・公的保護の経緯をたどり、提言する。 1. 二つの「建設産業政策大綱」 バブル崩壊後の1995年(平成7年)4月、建設省(当時)は「建設産業政策大綱」を策定した。 建設業の経営環境が急激に悪化する中、の三つの政策目標が立てられた。-----[図-1]
これを受けて、以下の三点が政策課題として取り上げられた。-----[図-2]
それから11年後の昨年6月、国土交通省は、建設業界、大学、弁護士などからなる委員26名(座長、大森文彦弁護士)による建設産業政策研究会を設置した。全14回にわたる審議の結果、2007年(平成19年)年6月29日、『建設産業政策2007~大転換期の構造改革~』(以下「建設産業政策2007」という)がまとめられた。 「建設産業政策2007」の概要は、次の通りである。------[図-3]
2. VFMについて 「1995年建設産業政策大綱」とその12年後の「建設産業政策2007」の要旨を比べてみると、そのスローガンが、1995年の『最終消費者(エンドユーザー)である国民にトータルコスト(ライフサイクルコスト:設計、施工から維持管理にいたるまでのコスト)で「良いものを安く」提供する』から、2007年には「エンドユーザーに対するVFMの実現」と表現は変わったが内容は同じ、あとの二つについても、同じ内容の繰り返しである。 1995年「建設産業政策大綱」の「よいものを安く」に対して筆者は、次のように指摘した。
この10年間ほどで、「1995年建設政策大綱」のスローガン、「よいものを安く」を最終消費者(エンドユーザー)に提供できてきたのか。 その検証はなされたのかどうか、「建設産業政策2007」では全然、「1995年建設政策大綱」のスローガンの成果に言及されていない。 「良いものを安く」は、旧建設省のコスト縮減施策として具体化した。その後、財政事情の緊迫化と構造改革に伴う公共事業費の削減で、ダンピング受注の多発を招き、「良いものを安く」どころではなく、公共事業発注者は「品質確保」を大義名分にして、低入札価格調査制度や最低制限価格制度による低価格調査を強いられているのが現状である。 VFMという考え方は、すでに1992年、英国の公共事業に導入された。その基本的な概念がVFMである。 「1995年建設産業政策大綱」の作成にかかわっていた我が国関係者にはすでに広く知られていたはずの概念である。12年後の「建設産業政策2007」のキーワードとなっていることに、我が国関係者の対応の遅さを痛感する。しかも、VFMの基本概念は公共事業の「官営」から「民営」化への展開である。 1980年代までの英国はいわゆる「英国病」が蔓延していた。そのような閉塞状況の中で登場したサッチャー保守党政権は、「市場原理の尊重、小さな政府」という基本構想で国家の大改革を着手し、英国経済の再活性化を目指した。 サッチャー政権を引き継いだメジャー保守党政権は、1992年、公共事業にPFI方式を導入し、交通、厚生、防衛、官公庁施設、情報、教育、都市開発など幅広い分野に適用され、その考え方が世界にも普及して現在に至っている。 PFI(Private Finance Initiative)とは、民間企業によりプロジェクト化され、資金調達が行われ、事業全体のスキームの設計段階から民間を参画させ、公共事業を大幅に効率化しようとするものである。 PFI事業の具体的な手法として、「事業者が主体的な施設等を整備し、一定期間、施設等を運営管理した後、公的部門に譲渡する方式----BOT(Build Operate Transfer)」、「事業者が主体的に施設等を整備し、最後まで事業を継続する方式---- BOO(Build Own Operate)」、「事業者が主体的に施設等の設計、整備及び必要な資金調達を行い一定の期間、施設等を運営管理した後、公的部門に譲渡する方式---- DBFO(Design Build Finance Operate)」等がある。これらの方式の中から、事業毎に当該事業の特性を踏まえ最も効率的・効果的な手法が選択される。 PFIにおける最も重要な概念の一つがVFM(Value For Money)であり、一般に、「支払に対して最も価値の高いサービスを供給する」という考え方である。 VFMは、国民の税金(Money)の使用価値(Value)を最も高めようとする考え方を示したもので、公共事業を実施するのは政府や地方公共団体の独占ではなく、民営化という選択肢があることを示したものである。 「建設産業政策2007」では、「建設生産物のエンドユーザーに対し、対価に対して最も価値の高いサービスを提供すること(VFM)」(21p)としているが、公共事業の「官営」から「民営」化への言及はない。 我が国では、1999年(平成11年)7月23日、参議院本会議で「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律」(PFI法)が可決成立し、7月30日に公布された。 我が国においては平成17年3月末現在で、PFI手法を用いた公共事業を行おうとしている事業は、国等を含め全国で180件を超えており、すでに施設の建設を終え、運営を開始している事業(平成17年3月末現在43件)もある。----- 内閣府 民間資金等活用事業推進室(PFI推進室)* * http://www8.cao.go.jp/pfi/tebiki/kiso/kiso01_01.html しかしながら、2002年以降、PFIの件数は年間50件前後と頭打ちで推移しており、公共投資全体の推計マーケットのわずか1%程度の規模に留まっている。特に上下水道、教育施設等、財政規模の大きな分野での普及が遅れている。 「日本のPFIには、建物をつくってその後は軽いメンテナンスのみを行う『箱もの』型事業が多く、独立採算型、付加価値の高い事業が少ない。この背景には、日本のPFI導入が、英国のように国営企業の民営化、公共事業のアウトソーシングの普及という流れの後にPFI導入に至ったのではなく、日本では緊急経済対策において資金不足を補うものとしてPFIが言及され、その後、アウトソーシング、民営化という順序で進んだため、民間企業にアウトソーシングのノウハウが蓄積されておらず、PFIを活用するためのマーケットの育成が遅れた。」 ------ 「井熊均 PFIの現状と評価」* * http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/07022801_flash.html これまで実施されてきた『日本版PFI』は、英国のようにVFMによる「公共事業の意識改革」というよりも、国にも地方公共団体にもオカネ(税金)がないので、民間資金によるPFI事業に目を向けたというのが実態である。 我が国はバブル経済崩壊後の長期不況時代に入り、未だに銀行金利が実質ゼロの異常事態が続いている。国も地方公共団体も税収の減少で巨額の公債発行で赤字財政を余儀なくされ財政破綻が危惧されている。第二、第三の夕張市がいつ出てきてもおかしくない。公債による「官営」公共事業よりも、『日本版PFI』の民間資金による「民営」PFI事業への長期分割払いで、中央も地方公共団体も負債を先送りして現状を凌ぐことに活路を見出している感がある。 『日本版PFI』は、VFMの追求よりも、国及び地方公共団体の赤字財政対策化している。 さらに、我が国の公営事業情報の公開不十分による「官」と「民」の情報非対称性が、我が国でPFI事業を進める上での大きな障害となっている。 『日本版PFI』では、すでに破綻した事業(温浴施設タラソ福岡-福岡市)や、地震リスクを民間に移転できなく、かえってコスト高になった事業(スポパーク松森-仙台市)なども出てきている。 我が国の公営事業についての資料公開等アカウンタビリティが未だにきわめて貧弱である。このため、これまでの官の事業に対する民のノウハウ(競争性や効率性)を発揮できない状況にある。英国その他で積極的に展開している「官から民へ」の動きのなかで、遅々としてその方向性が見えないのが『日本版PFI』の問題点である。 英国ではVFMを実施して、公営事業民営化の強烈な嵐が吹きすさんだ。その急激な変化に対する揺り戻しもあった。 保守党政権と交代した労働党ブレア政権は「第三の道」政策を掲げて、公共サービスでのPPP(Public-Private Partnership)による官民連携を推進、さらに、サッチャー政権による中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促す地方分権政策(ベストヴァリュー政策)を進めた。 保守党政権、それを引き継いだ労働党政権の進めてきた一連の改革により、インフレ抑制・財政赤字削減・旧国営事業の効率化などの成果が上がった。製造業からサービス業への産業構造の重点がシフトした。労働市場改革により雇用構造が柔軟化し、労働生産性も向上した。しかし、新興産業に必要なスキルに対応できない労働者の産業間移動がスムースにいっていない。失業者は94年のピーク以後減少傾向(2007年は2~3%、独仏は10%前後)にある。しかし、長期的失業が増加し、ブレア政権がスキル習得への積極的雇用政策を取ってきたというのが、これまでの英国経済の動向である。 小泉政権が進めた道路公団改革も、日本式民営化でその方向性や効率化は不透明のままである。英国のVFMの代表例のひとつである英国道路庁(Highways Agency)のDBFO導入とはまったく違った方向に進んでいる。 また、英国のエージェンシー化が、日本では「独立行政法人」化となった。しかし、国や機関の特殊法人が衣替えした現在百二の独立行政法人は、2006年度末で繰越欠損金とは別に約六千億円の「隠れ損失」(減価償却の特例処理)を抱えており、繰越欠損の総額が二兆二千億円に達する。* * 日本経済新聞(2007/10/12) 我が国の行政改革は、「構造改革なくして景気回復なし」「戦後レジームからの脱却-美しい日本」が声高に叫ばれてきた。中央省庁の統合、日本版PFIの導入、エージェンシー化など、一見、改革を進めたように見える。しかし、形だけで、内実は、遅々として進んでいない。福田新政権は、むしろ構造改革後退へと進路を変えそうな情勢である。 3. グローバル化の対応に遅れた日本 「建設産業政策2007」では、「環境の変化」で、国民経済社会の変化を、次のように要約している。----[図-4]
1991年のソ連の崩壊、東西冷戦構造の崩壊後、グローバリゼーションに伴う国際競争が激化し、それ以前の世界を様変わりさせた。グローバリゼーションに対応する「構造改革の必要性」に対して、我が国の対応は、極めて緩慢、グローバリゼーションに対する認識が欠けていた。 東西冷戦体制とその周辺の第三世界諸国という構造が崩壊し、それに、東欧諸国と中国が加わり世界が市場経済(資本主義)の基盤の上に「統合」されたのである。ITの発展とその急速な普及で、ヒト、モノ、カネ、技術、情報がめまぐるしく世界中を飛び交い、その同時性・即時性が高まった。 ところが、我が国は「和」の世界という規制社会に安住し、どんどん世界の動きに遅れたのである。 我が国の政治と中央官庁が惰眠をむさぼって、省庁縦割りの「事前規制」「国内調整型」統治にどっぷりと浸っていた。 バブル崩壊とグローバリゼーションの強風を真っ先にまともに受けたのが我が国の銀行業界。大蔵省の「護送船団方式」という「国家の枠組」(事前規制・国内調整)のなかで安住していた巨大銀行群は難破・再編で、グローバル経済体制下の自由競争市場における存在感はいまや薄い。 建設行政と建設産業界も同様である。多数の「賞味期限切れ」規制がいまだに蔓延している。 しかも、我が国には、中央と地方、二つの国家財政があり、それぞれが別々で公共事業を行ってきた。 中央を仕切るのは財務省(旧大蔵省、それを公共事業で実施する国土交通省、農林水産省、官公需法で絡まる経済産業省中小企業庁)、地方を仕切るのは総務省(旧自治省)である。その予算規模や権限はほぼ同じ。公共事業は、中央が四割、地方が六割という配分が恒例化している。 省庁縦割り行政が、建設産業のスリム化、公共事業の改革の大きな弊害となっている。 1965年(昭和40年)、東京オリンピック後の深刻な不況対策として、福田赳夫蔵相(福田現首相の父)は、戦後初の赤字国債の決断を下した。1972億円の国債発行である。福田蔵相は、国債発行の危険性を自覚し、「これを悪用すると大変な過誤を犯すことになる。正しく、高橋是清、福田赳夫の考え方でやっていけば、国力増進に大きな役割を果たすものである」(福田赳夫著「回顧九十年」)と自負した。しかし、その後の歴代政権は、その後、景気対策、地方対策、雇用対策として、せっせと公債(国債・地方債)を発行し続けて、公共事業を促進し、借金を巨大化させてきた。その後の政権は福田蔵相の危惧した「悪用」を安易に積み重ねた。 平成19年の国債残高は547兆円(税収10年分に相当)を超え、GDPの105%、一般会計予算に占める割合も国債の発行も25.3%と巨大化した。地方債残高は約199兆円、両方合せると、約746兆円、政府債務の対GDP比150%近い。財政赤字の対GDP比はマイナス約7%。 平成19年度の国家予算の基礎的財政数字をみると、一般歳出・地方交付金などの合計が61.9兆円、国債費が21兆円。これを賄う歳入が57.5兆円、新規国債発行額が25.4兆円、総額82.9兆円、国債依存度30.7%。 財政再建への中間目標「2011年に国・地方合せた基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化」は小泉政権の改革で、増税なしで達成する望みも出ていたが、参議院選の与党惨敗で怪しくなってきた。 「国土の均衡的発展」政策にもとづく地方への補助金配分、すなわち、地方交付税交付金政策も財源不足で削減の一途である。 戦前は、戦時国債の乱発で我が国は自滅した。そのため、戦後、経済が大混乱、1万%のインフレ、国債は換金されることもなく、紙くずとなった。 戦後二十年、再び国債が発行され、国も地方も借金漬けで身動きが取れなくなった。 EU諸国の財政状況と比べると我が国の財政状況が異常であるかが一目瞭然である。 EC条約第104条に基づき、ユーロ導入国は、「過剰な」財政赤字を防止する義務が課されている。どの程度の財政不均衡を「過剰」とするかは、EC条約内では特定されていないが、EU理事会が決定する。過剰財政赤字の取締手続に関する議定書(マーストリヒト条約附属第5議定書)第1条は、単年度の財政赤字額は国内総生産(GDP)比の3%以下、また、債務残高はGDP比で60%以下にしなければならないと定めている。 基準値としては、インフレ率2.8%、長期金利7.8%、財政赤字GDPに対し3%、政府債務GDPに対し60%となっている*。 * EU Convergence Report 2006 4. 建設市場の変化 このような我が国の財務状況の中で、「建設産業政策2007」では、「建設投資がピーク時の平成4年度の84兆円から、平成19年度の約54兆円と減少。公共投資はピーク時の平成7年度の約35兆円から平成19年度約17兆円とピーク時の半分以下」と述べる。 我が国の財政状況を見れば、公共投資、土木投資が再び上昇に転じることなどと考えるのは実現不可能な夢想である。 先進諸国では、長期的な視野に立つ展望(Outlook)、予測(Forecast)とそれにアプローチするための多様なシミュレーション(Simulation)、再検討(Review)の報告書などが定期的に公刊されている。 一例を挙げれば、米国の二十一世紀委員会がその検討成果を出版した報告書「新しい世界がやってくる(New World Coming)」*がある。第一段階(July 1998 - August 1999)、第二段階(August 1999 - April 2000)、第三段階(April 2000 - February 2001)で、それぞれ分厚い報告書がまとめられ、インターネットからもダウンロードができる。 *http://www.fas.org/man/docs/nwc/index.html NEW WORLD COMING:AMERICAN SECURITY IN THE 21ST CENTURY そのなかで、報告書[Global Trend 2015]*によれば、世界の地域別GDPの予測をしている。東アジア・東南アジア・太平洋地域の成長率が著しく、それに次ぐのが米国、EUである。 日本の世界に占めるGDPは1990年代後半には8%であったものが、2025年には約4.5%になると予測している。 「日本は現在世界第三位の経済を2015年まで維持することは難しいだろう」-----136-137p * http://www.dni.gov/nic/NIC_globaltrend2015.html
我が国ではそれらの検討資料が極めて少ない。 「建設産業政策2007」にもそのような『展望』の検討を行ったような参考資料は添付されていない。抽象的な文章の羅列で、具体的な提言などはない。 我が国は2011年をピークとして人口減少が始まり、少ない労働人口で多くの年金生活者を支えなければならない時代を迎える。 当然財政収入は減少の一途を辿るであろうし、逆に支出面で社会保障費は膨らむ一方となる。 「建設産業政策2007」では、「建設産業は「更なる再編・淘汰は不可避」という厳しい現実に直面している」(1p)、とさりげなく述べているが、いままで再編が促進されてきたのか、淘汰が進んだのか、といえば残念ながらノーである。 「更なる」という以前に、「再編」はさっぱり進んでいないし、「淘汰」も進んでいない。再編による利点など、建設業者にとっては、現在の規制の下では見出せない。「淘汰」は「規制改革」が進まず、過剰供給状態のままである。その結果は、ダンピング受注の急増が示している。 我が国の建設投資がピーク時から平成四年度(1992)から15年過ぎた平成19年度には、64%減少、公共建設投資も、ピーク時の平成7年度(1995)に比べると12年過ぎた平成19年度は約49%に減少している。 建設許可業者数はピーク時の2000年、600,980社、2007年3月末時点で524,273社と13%減少。 建設就業者数は長期にわたる不況においても増加を続け、ピーク時の平成9年(1997)には685万人、その後減少傾向が続いているが平成18年には559万人、18.4%の減少である。 建設投資の減少傾向と比べて、建設関係の業者数も就業者数がそれに応じて減少しているとはいえない。 1992年から1997年の間、製造業の就業者数は127万人も減少したが、建設業は逆に66万人も増加。むしろ、建設業が他産業の人員削減の受け皿になっている。しかし、建設投資の減少で平成10年(1998)以降の9年間で126万人(18.4%)減少した。 経済のグローバリゼーションで、我が国の製造業が国際競争力を失い、地方の工場群が次々と閉鎖され、海外へ移転する動きが加速した。国内産業の空洞化現象である。そして、新たな知識集約産業への転換ができない地方ほど疲弊の度を強め、過疎化が進んでいる。 公共投資の減少で地方における公共工事が減少、人々は職を求めて都市へ移住・出稼ぎに出るのが常態化した。 地方を動けない建設業者も就業者も過剰供給状態のままであり、少なくなった工事を求めてダンピング受注が大手ゼネコンから中小業者に至るまで全国で横行しだした。 そのダンピング受注が昨年度激増した。公共事業発注者はダンピングによる工事品質の低下を心配すると共に、建設業者の陳情を受けて、低入札価格調査制度(国)や最低制限価格制度(地方公共団体)の適用に大童になり、ダンピング受注も終息したかに見える。しかし、地方における建設業者の倒産はあいかわず多い。 今年10月、業界再編の先駆けとして注目を集めた全国展開の中堅業者「みらい建設グループ」(中堅三社による再編)が法的整理に追い込まれた。競争激化で採算悪化、赤字転落、破綻した。 建設業界の再編・淘汰は、これまでの15年間の建設投資の減少で当然の帰結である。それなのに、政治家も建設産業行政も数多くの規制や保護を続けて現在に至っている。最近は「棲み分け」議論が姦しい。 とっくに賞味期限切れになっている各種の制度を、いじくりまわして小手先の対応で凌ごうとしている。 建設関係の規制が撤廃されると、当然ながら大企業から零細企業に至るまで熾烈な自由競争に巻き込まれる。全国52万4千社(2007年)、就業者数559万人(2006年)という巨大産業(地方における主要産業・基幹産業)が激震にさらされ、企業倒産と失業者の激増は我が国を混乱に陥れる危険性があるとの漠然とした推測が優先する。競争により、入札金額の叩き合いで、公共事業費は全体としてコスト削減の可能性がある。品質確保のための管理費用増加も懸念される。敗者の企業倒産の結果としての失業者救済等の社会保障対策費、地方経済の衰退がその代償として、同規模あるいはそれ以上、増加するという結果を招くことも考えられる。 しかし、「おそれ」が先にたち、だれも、そのようなシミュレーションすら、やろうとしない。 そのために、景気対策・雇用対策・地元中小企業保護政策の一環としての公共事業の存在意義に政策の重点が置かれてきた。しかしながら、グローバリゼーションの対応に遅れ、国の財政が破綻状態に至っている厳しい現状では、公共投資の原資であるこれ以上の公債発行はとても無理である。 しかも、これまでの15年間を振り返れば、公共事業はあくまで一時しのぎにしかならなかったこと、その公共事業で潤うのも地方の特定の人々だけであり、地方全体としてみれば、一時しのぎにすらならなかった。 政府は「骨太方針2006」で20011年に基礎的財政収支の黒字化する目標を盛り込んだ。しかし、金利が上昇すれば利払い増加、借金急増の時限爆弾を抱えている。選択肢は、増税か、歳出削減と減税か、真剣な論議が必要だが、テロ対策、防衛省不祥事発生でなおざりにされている。 「建設産業政策2007」では、地域中堅・中小総合建設業者について、次のように述べている。-----[図-7]
地域の建設業が成り立っているのは、地方交付金と公債による「公共事業」のお陰である。その交付金(税金)は「借金」であり、それが雪だるまのごとく膨張して手に負えなくなっている。こんなことはいつまでも続くわけがない。建設業が地域の他の産業に進出するというが、地方には、すでにその方面の専業・兼業者が存在しており、彼らも悪戦苦闘している。進出は既存の分野ではなく新しい分野でなければ展望は開けないし、将来性もない。 我が国の農業については、グローバリゼーション・過疎化のなかで衰退の一途であり、「集落営農」等の農業改革などという農水省の苦肉の策、その一方で循環農業・持続的な自然環境保全などについての考え方等々、農業の原点に戻った再検討が求められている。建設業者が農業の「担い手の不足」に着目しても前途は多難である。 「福祉」は高齢化社会に伴い事業が拡大してきた。その就業者は、低賃金・過重労働で定着率が悪い。求人もままならず慢性的な人手不足。他産業の就業者との賃金格差は拡がるばかり、「低賃金」層拡大の現状である。その様な環境・状況を改善することを優先させるべきであり、建設業の安易な事業展開先では決してない。 災害多発国の我が国ゆえ、災害対応の産業としての地方建設業者の位置付けはある。 しかし、他の先進国では、建設業が地方で数少ない企業となっているなどという事例は皆無に近い。 災害発生についても、地震は確かに我が国に最近多発して災害をもたらし、その対応にカネもヒトもかかっている。災害全般を分析して見れば、地球温暖化の影響(異常気象現象)を考えざるを得ない。これまでの自然破壊、自然環境維持の手抜き、局地的に見れば自然との折り合いを無視した産業用・宅地用地造成から地域に視野を広げると、土地利用計画の総合性欠如に起因するもの、農地や森林の放棄、自業自得の人為的な災害が多すぎる。 地方の数少ない産業の一つである建設業は、我が国特有の「族議員」「官僚主導」「公共事業」の三点セットで、建設業者を生き延びさせているに過ぎない。 「建設産業政策2007」では、我が国の将来を展望して、どの程度の規模の建設業者が必要とされるのかについての検討・言及がない。 「更なる再編・淘汰」というのなら、今後10年、20年、30年先の我が国建設市場の展望とそれを担う建設業者・建設就業者の適正規模をシミュレーションして、『展望(Outlook)』すべきである。 その際、省庁の縦割り行政の枠を越えて、カネを出す財務省、実施する国土交通省・総務省・農林水産省・経済産業省(中小企業庁)が集い、『日本国建設政策大綱』をつくるべきである。各省個別の自らの縄張りにとらわれた国土交通省だけの『建設政策大綱』などという狭い視野のものでは意味がない。 日本国の建設政策全般を総合的に検討しないから、「建設産業政策2007」では、他省関連管轄事項についての言及が全然ないし、むしろ避けている。 具体的な例を挙げれば、『官公需についての中小企業者の受注の確保に関する法律(官公需法)』にもとづく、毎年度の「国等の契約の方針」、地方公共団体における入札参加者を地域内の特定業者に制限する「地域要件」や日本型JV(大手ゼネコンと地元業者を組み合わせる形でのジョイント・ベンチャー)、そして各省における公益法人との多額の「随意契約」などである。 政治圧力の産物である官公需法は、「弱者である中小企業保護」という、(誰も正面きって反対できない正論もどきのスローガンを掲げ、「触らぬ神に祟りなし」状態が続いている。 地方公共団体では、大型工事案件の発注決定が議会承認事項となっており、首長と議会有力者(建設関連業者のオーナーやその意向を受けた者多い-地方で数少ない主要産業として発言力が強い)での利権や馴れ合いが指摘されている。首長の任期長期化とそれを監視すべき議会との緊張感の欠如、議会の首長監視役としての機能がさび付き、両者の癒着、汚職沙汰に発展する事例に事欠かない。 官庁や地方公共団体の乱造する公益法人・財団などという組織が、それらの下請機関として肥大化させている。 民間コンサルタントが公益法人・財団の孫請機関となっている。先進諸国では職業倫理を確立して存在感を示している中立・公正な民間のシンクタンクやコンサルタントが、我が国では未発達のままである。民間のコンサルタントは中立・公正でない、公益法人・財団が中立・公正であるというのも、公益法人など外郭団体を乱造したお役所側のつくりだした何の根拠もない神話に過ぎない。 (つづく) |