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東北シリーズ(3)
「秋田焼山」と「玉川温泉」
その1

阿部 賢一

2007年11月15日


はじめに
酒田市内のスポーツ店が中高年の登山愛好家の親睦を目的として「木曜会」を組織して、毎年4月から11月まで、月一回の登山行事を行っている。
その7月例会に参加して、2007年7月26日(木曜日)、日帰りで「秋田焼山」に登山した。
参加者は26名。リーダーは山形県山岳協会メンバーで70歳(元学校の「先生」)、参加者はリーダーとほぼ同年輩から五十代後半までの中高年、男性は5名、女性が19名。

1. 酒田をバスで出発
午前5時、チャーターした地元の観光バスに乗って、酒田から7号線を北上、秋田県旧西目町(現・由利本荘市、平成17年3月合併)で国道107号線(本荘街道)に入り、秋田県を内陸部に向かい、道の駅「鳥海」で小休止。横手市から国道13号線経由で角館へ。そこから秋田新幹線沿いの国道46号線(角館街道)、田沢湖町の手前で左折、国道341号線に入り、玉川ダム堰堤近くの休憩所で二度目の小休止。


焼山周辺図 出典:Yahoo Map


玉川ダム堰堤で出来た宝仙湖 撮影 2007/7/26

バスは、ダム湖沿いに次第に高度を上げる。ダム湖に架かる橋の対岸には新玉川温泉、またしばらく行くとその上の対岸に玉川温泉を望む。
さらに道路は急勾配で高度をあげて、雪崩防止の長い洞門を抜け、山の背を越えると、なだらかな山麓。

2. 地熱発電所
遠く緑の森の中に温泉からの蒸気が青空に真っ直ぐ立ち昇っている。なだらかに広がる森の中を下ってトロコ温泉から今度は右折。この近くに大沼温泉と大沼地熱発電所、澄川温泉と澄川地熱発電所がある。

大沼地熱発電所は、三菱マテリアル(株)が自家用に建設。出力9,500KW。昭和49年に完成。日本三番目の地熱発電所である。

澄川地熱発電所は東北電力(株)が建設。平成7年3月に発電開始。出力50,000KW。三菱マテリアル(株)が蒸気を生産し、東北電力(株)が発電している。標高1,062M,東北で一番高い場所にある発電所である。いずれも八幡平一帯の豊富な地熱資源を利用した発電所である。さきほど、尾根を越えたところで蒸気が立ち昇っていたのが見えたのは、この澄川地熱発電所の蒸気だった。

現在、我が国における地熱発電所は18ヶ所。実用地熱発電所第1号は、やはり、岩手県岩八幡平市の松川地熱発電所。日本重化学工業株式会社が建設。昭和41年(1966年)10月に運転を開始した。
平成16年(2004年)における我が国の地熱発電の設備容量は約54万KW、日本の総発電設備容量の約0.2%、世界第5位である。
出典 ウィキペディア/大久保泰邦・産業技術総合研究所*
  * http://www.mottainaisociety.org/column/pdf/column1.pdf

3. 後生掛温泉に到着
八幡平への登り道、アスピーテ・ラインに入り大沼温泉を通過、さらに高度を上げ、今回の秋田焼山登山口、後生掛温泉駐車場に到着したのが午前9時45分であった。途中2ヵ所での休憩を含めて酒田から約五時間であった。

4. 後生掛温泉の由来
後生掛温泉という名前は学生時代から知っていたような気がするが、それは、湯治宿としての「後生掛」というめずらしい名前が記憶に残っていたのかもしれない。
後生掛温泉の由来
約300年前に、三陸地方出身の九兵衛というものがこの地に住んでいた。
九兵衛が重病で苦しんでいた際、恐山巡礼途中の女性の看病を受け、回復後その女性とともに暮らした。3年後、三陸から九兵衛の妻が当地にやってきた際に、巡礼の女性は源泉地の谷に身を投げた。それを知った九兵衛の妻もまた、「後生」を「掛」けて源泉の谷に身を投げた。以降この地を後生掛と呼ぶようになり、また源泉をオナメ(妾)の湯、モトメ(本妻)の湯と呼ぶようになった。
出典:ウィキペディア
後生掛温泉は湯治主体の一軒宿、駐車場正面の「本館」それに「新館」「湯治棟」等が、湯田又沢沿いの狭い傾斜地に軒を接して建っている。宿の上流側の黄色い山肌から湯気が立ち昇っている。源泉、オナメ(妾)の湯とモトメ(本妻)の湯の池からお湯が溢れ、本館と湯治棟の背後の川となり流れ下っている。蒸気と硫黄の臭気で溢れている。
後生掛温泉は標高1,000Mに位置し、建物は全部で5棟(収容人数200名規模)*。
* 後生掛温泉HP http://www.goshougake.co.jp/

「湯治村」として、「箱蒸し風呂」、「火山風呂」、「泥風呂」、「神経痛の湯」(上部の大きい湯船)、「サウナ風呂」、「打たせ湯」(滝湯)、「露天風呂」などの7つの温泉浴が楽しめる。平成12年に新館をリニューアル。
「馬で来て足駄で帰る後生掛」というのがその効能宣伝文句。酸性硫黄泉で源泉温度は約85℃。


後生掛温泉 右の林の斜面から焼山への登山口から源泉を見る。

5. 焼山について
焼山というと、新潟県糸魚川市にある新潟県唯一の活火山、妙高などの長野との県境近く「新潟焼山」(標高:2,400M)がある。
山体の形成は新しく、山頂部が荒々しく溶岩が隆起している典型的なドーム型の活火山。最近では、昭和48年(1773年)の噴火で火砕流を発生。その後、水蒸気爆発噴火をしている。このため、山頂部周辺は登山禁止になっているようだ。冬季登山に人気があるようで、その山行記録がインターネット上に掲載されている。

これと区別するためか、秋田県の焼山は「秋田焼山」と呼ばれている。

秋田焼山の概要
「秋田焼山」は、秋田焼山は秋田県北東部に位置する活火山で、最高点が標高1,366mの焼山で、ほぼ円錐形の成層火山。焼山の北東には、東方向に開いた直径約1kmの山頂火口があり、鬼ヶ城(中央火口丘)火口や火口湖が分布し、噴火口もある。

基盤からの比高は約700m、基底直径が約7kmほどの主に安山岩溶岩からなる小型の成層火山で、山頂部には径700mほどの山頂火口がある。
山頂付近にはいくつか溶岩円頂丘があり、火口内のものは鬼ヶ城と呼ばれる。
山体の南斜面と東斜面にはそれぞれ黒石森、国見台の2つの側火山がある。
西麓には玉川温泉がある凹地があるが、これは玉川温泉軽石(5000年前より古い)が放出された噴火口と考えられている*。

* 玉川軽石は降下堆積物ではなく、熱雲堆積物の可能性がある。
山頂付近は硫気変質が著しく、山頂火口や山麓に後生掛温泉、澄川温泉など多くの温泉がある。1997年5月に地滑り・土石流・水蒸気爆発が発生した澄川温泉は、秋田焼山山頂から北東約4kmのところにある。

秋田焼山の歴史噴火記録
807年? 噴火?、玉川温泉、八幡平などに降灰?
1678年2月21日 噴火、降灰。
「延寶六年(1687)正月元日、南部大膳太夫領内鹿角郡南部の内水澤村在家の南陽の山の方、元日朝夥敷鳴り地震す、二日の七時分、秋田境山の近所、南部領そり瀧と云所、新に穴出来、穴廣サ竪十七間、横十五間程にみゆ、そりたきの近所、北山二ツ谷ヘ白土をねりたる様成物厚さ一尺二寸許打つけ申候、是は右の穴より吹出したると也、水澤よりそり瀧へ一里程有之と也。」(承寛〓(衣へんに集)録)
「白土をねりたる様成物厚さ一尺二寸許打つけ申候」は水蒸気爆発により噴出した火山灰のことだろう。なお「そり滝」は焼山の北約3kmにある曽利滝のことと考えられる。
1890年9月23日 噴火?降灰?
1929年9月 噴火?降灰?
1948年 噴火、泥粒が5-7km飛散。
1949年8月30日-9月1日 噴火、空沼の4ヶ所で噴火。小規模な泥流発生。
1997年8月16日~26日 噴火、26日15時までに観測された火山性地震は991回、火山性微動は4回。


登山者から1997年8月16日昼ごろ秋田焼山山頂部の空沼(鬼ヶ城脇の火口湖)付近で小規模な水蒸気爆発があったという情報がもたらされた。今回の火口は、縦穴状の火口(1)と、"泥流"を噴出した火口(2,3)である。
出典:気象庁:1997年8月21日、22日に撮影
http://www.aist.go.jp/GSJ/dEG/sVOLC/AktYK_P.html

出典:http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2002/0425.htm
   http://www.aist.go.jp/GSJ/dEG/sVOLC/AktYk.html
(つづく)